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「何も求めあわないパートナーシップとは、成立しうるのか?」という長い問いかけ、もしくは「猫のように生きるとは」という試論

最近、パートナーシップとか、性差とか
男女のわかりあおう、わかりあえない
みたいな話を聞いてて
なんだかもやもやしていた。

別に男だからとか
女だからとか
関係ないんじゃないの?

木石ちゃんな相方なんて
男でも女でもないような存在だし
わたしは男女関係なく
ひとのことを好きになるしなあ……
あ、プラトニックに、だけどね……
なんて考えていて。

そもそもわたしの欲求って

その人が見ている世界を見てみたい
それをこの世界に露わにしたい

ということなんだよね。

そう思った時に
あれ、わたしって相方に求めるものは
本当は何もないんじゃない?
って気がついたのだ。

一般的なパートナーって

互いに何かをしあうこと
なんらかの世話をしあったり
共に子供を育てたりと
経済的や身体的、精神的に
助け合うことを当然に求めるよね。

でも、相方に対して
わたしがどうしても求めたいことって

一緒に過ごす時間を取れることと
書くこと、話すこと(レクチャーとか)の共有と
本や知恵を貸してもらうことと(これ、重要!)

……って、親しい友達とか
ビジネスパートナーとかわらない。

もともとが人柄と
その思考や思想に惚れ込んでるから

この面白さをどうやって人に伝えるかという
そのことがわたしには大切で
(本人は、それすらどうでもいいのだけど)

彼を面白がる人が増えてきた最近は
さて、どういう立ち位置でいようかと
考えてしまったりもしていて。

わたしは割と、普通に人間だから
つい、普通の男の人に対するようなことを
求めてしまったりもするけれど
(一緒に遊べとか、話を聞けとか)

でも、理想としては
相方が勝手気ままに生きているのを
一番近くで見ていたいし
できるだけそうできる環境を整えたい
それだけなんだよなあ……って思ってる。

うん、ほとんどこれって
たまにしか来ないよその猫と
一緒にいるようなものだ。

そしてじつは相方も
わたしがそんな猫みたいに
勝手気ままに生きればいいのにと
思っているんだろうなあ。

しかもきっと、望んではいない。
あくまでその人がやりたいように
しているのがいいというひとだから。

そんなあたりも
一般的な男女関係とは異なっていて
何も求めないってそもそも
どういう関係なんだろう……ってなるけどね。

最近勝手にもやっとしていた
いろんな形のパートナーシップ。

わたしから見たら
その人が本当にやりたいことを
やりたいようにやらせてあげることが
世界への何よりの貢献なのにと感じて
それできっと、もやっとしていた。

一般的に、こうだから……という形とか
絵に描いた理想に絡め取られているから
そんな不自由な思いをしてるんじゃん?
なんてね。

でもまあ、だいたいそういう時は
自分ができていないことを人に見ているので

今回も、自分が相方に対して
そうありたいと思ってることを
できていないというジレンマが

ひとへのもやもやを
生み出していたみたいだね。

放っておかれたい
いまは引きこもりたい相方とは
この先、半月は会う予定がなくて
(本当は一ヶ月だったけど、予定が入った)

そんな会わない時間のうちに
自分の気持ちをもう少し、整理しておこう。

一緒に動くことが増えるかもしれない
秋以降に向けて。

ふうう、これってむっちゃ
自立(自律)への試みだなあ。

おいしいごはんと、瞑想のようなもの思いから浮かぶ言葉と、日々のささやかなできごと。そんな生活の切れ端と、たまにディープに心のことを、思いつくままにつづります。 お仕事として、ライティングや講座の企画・構成、こころとからだのセッションもやってるよ♪