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「集客」なんてしなくても

「自分の心を解放したら
お客さんが来るようになりました。
だからあなたも自分を解放して
集客をしましょう!」

例えばセラピストが、そう言ったとする。

たしかに自分が変わることによって
お客さんが来るようになる、可能性はある。
実際にそういう話も、見聞きする。

でも集客を目的とした時に、その人の意識は
「セラピーで何を提供するか」ではなくて
「人がたくさん来る」という結果に
集中してしまうだろう。

それは本末転倒だと思う。
大体、それでは心が解放されてないじゃん。

心を解放する
クリアにしておくということは
セラピストにとっては活動の大前提。

もしセラピストが自分の心に無自覚だったなら
苛立ちや怒りを子供にぶつける親のように
クライアントに対して振舞ってしまうだろう。

だからセラピストはできるだけ
自らの心をクリアに見つめることと
解放されていない部分がどこなのかとを
把握しておくことが求められる。


無自覚な怒りや悲しみが多くあると
特に心理系のセッションでは
自分の傷を相手のものとして誤認する
投影といわれる状況が起こりやすく
自分とクライアントの安全が守れないから。

でも、そんな風に無自覚に
自分の問題と相手の問題を混同してしまうこと
結果と目的とが曖昧に絡まっていることって
よく見かけることだ。

「行為の結果を動機としてはならない。
また、無為に執着してもならぬ」

ヒンドゥーの聖典、バカヴァット・ギーターの
大好きな言葉。

その戒めは、行為の結果を目的とするな
無闇に結果にこだわるな……
ということなんだろうなあ。

以前、ドラッカーを学んでいる人が
「集客が……」って呟いていて
「ドラッカーは『顧客を創造せよ』って
言ってたのでは?!」と
突っ込んでしまったことがあったっけ。

集客を結果としてしまうと
目指すべき本来の目的を見失いがち。

問うべきは
「何のためにそれをするのか」
「それによってどんな未来を創りたいのか」
ということなんじゃないのかな。

最近、いろんな人に
「あなたはこの仕事を通して
誰になにを提供したいんですか」
と問いかけているのだけれども
その人の言葉が返ってこないことが多い。

企業理念を言われたり
誰かの言葉のおうむ返しだったりして
その言葉は、その人自身がやることとして
落とし込めていないように感じてしまう。

逆にすっと納得できる言葉が返ってくると
この人と仕事がしたい!と思っちゃう。

それではともみん企画では
誰になにを提供したいのか。

ざっくりというと
人が楽になるために、変化を後押しすること。

プロセスは怖く苦しいかもしれないけれど
今の苦しみの中にとどまるよりも
踏ん張って一山超えれば楽になる
その材料となることを伝え、サポートする。
そんなことかな。

それを、何を通してやっていくのかは
まだまだ模索中。
いろんなところに球を投げたりして
試行錯誤しているところ。

知らせる、知ってもらう努力は
必要だと思っているけれど
いわゆる「集客」なんてしなくても
人は来るようになる。

なすべきことをしていれば
思いがけず、流れに乗れる時が来る。

もし、人が来ないなら
それは自分のやるべきことじゃないのか
それともまだ、タイミングじゃない
今は他にやるべきことがある
そんなことなんじゃないのかな?

たぶん、きっとね。

おいしいごはんと、瞑想のようなもの思いから浮かぶ言葉と、日々のささやかなできごと。そんな生活の切れ端と、たまにディープに心のことを、思いつくままにつづります。 お仕事として、ライティングや講座の企画・構成、こころとからだのセッションもやってるよ♪