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同じでないけれど、わたしたちは対等

団体の創始者を、特別な人として恐れ敬ってしまうひとが多い、という話を聞いた。どこにでも誰にでも、敬意は払いつつも突っ込んでしまうわたしには、わかるけどわからない心境。

「意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張することが大切」
【嫌われる勇気/岸見一郎・古賀史健】

誰かを特別にしちゃうと、そこから全部に順番がつくでしょう。
ボス猿、二番猿、三番猿。その中で自分の順番をつけていくなんて、とても不自由。カルト的な集団や、ある種の宗教の怖いところはそこ。

でも怖いっていうのは、ある種の魅力があるから怖いのね。そこにいたら思考停止できるもの。楽ちん。自分の価値基準を持つ必要がない。

わたしはそこから、完全に自由ではない。会社にいた頃には、その構造にはまっていたし、すごい人をみたら、自分より上に置きたくなる。自分が辿ってきた道の途上にいる人は、遅れてきた人のように感じることだってある。

でも、それもわたしだと眺める。
そして、山じゃなく、みんなが平原で自分の道を歩んでいるイメージをもつ。

同じでないけれど、わたしたちは対等。

おいしいごはんと、瞑想のようなもの思いから浮かぶ言葉と、日々のささやかなできごと。そんな生活の切れ端と、たまにディープに心のことを、思いつくままにつづります。 お仕事として、ライティングや講座の企画・構成、こころとからだのセッションもやってるよ♪