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人生をそうめんに例えたら

ある見方をすれば、人生ってそうめんの束のようなものだと思うのだ。

真ん中の結束されている部分が現在の一瞬。自分はそのそうめんのどれか一本を選んで生きている。
そしてどの一瞬にも、多様な別のそうめん(現実)を生きることだってできる。
心からそう思えば、いつだって。

この、心からそう思うというのは、正確にいうと、その現実が実際に存在していることを知る、ということだ。
信じる、じゃなく、知ること。

そしてそのそうめん(現実)は、その人が実現の可能性があると知っていることしか現れない。
だから、どんなことも起こりうると知っている人のそうめんの束は太いかもしれないし、自分の人生はこんなものだと思っている人の束は細いのかもしれない。

かつて細かったわたしのそうめんの束は、先細りの予定調和のようだった。
20年先のリタイア後のことなんかを考えながら、毎日を生きていた。

なんでもありうるんだな、と知ってから、そうめんの束はきっと少し、太くなった。
おかげで、思いがけないことが続く。来年のこと、来月のことすら予想はつかないけれど、未来が見えない分、瞬間瞬間の現実が、自分の今を映し出してくれる。

人生には、なんでも起こりうるということを知ること。
可能性に、自分の心をひらいておくこと。
そして、自分ののぞみを、一瞬一瞬、つかみ続け、そこからそらさないこと。

ダンスのステップを踏み続けるのに似て、その流れに身を任せさえすればいいのだけれど、なかなかまだ、かたいなあ。

おいしいごはんと、瞑想のようなもの思いから浮かぶ言葉と、日々のささやかなできごと。そんな生活の切れ端と、たまにディープに心のことを、思いつくままにつづります。 お仕事として、ライティングや講座の企画・構成、こころとからだのセッションもやってるよ♪