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幽霊の正体見たり……夏の終わりに

スマフォに詰めこまれている
2014年からの写真を見返していると

この数年、いろんなことがあったなかで
よくぞここまで生きてきたなあと
なんだかしみじみとしてしまう。

喉元過ぎてしまえば、ただの記憶。
もうすでに、終わったこと。

でも、どうして生きているんだろう
この世のどこにも身の置き処がないと
絶望的になったことは
一度や二度じゃなかった気がする。

それは、現実的に家も仕事も無くなって
相談できる相手もいなくなり(と思って)
どこに行こう、と途方にくれるようなことや

自分の心が作り出す鎖に絡め取られて
自縄自縛になるようなことなど

いろんなことがあったのだけれど

この数年、物心両面で起こる人間のドラマに
闇の中でうずくまるような思いを
何度も何度も繰り返しながら

気が付けばどうやら
心地よいところに抜けていた。

結局は、身も心も現実も変えたくない
今のままでいたい、というその執着が
自らを落とし穴にはめるのだけれども

その落とし穴でさえ
実は自作自演で、掘ったことを忘れ果て
まんまとはまっているだねなのかもしれない。

いや、むしろそんなことばかりが
立て続いていたような気がしてる。

そう思ってみると
そこまでして、何かを体験したい
知りたい、とことん味わいたいと思う人間って
なんとも愛しい存在だよねえ……なんて
思えたりもする。

渦中にいるときにはきつくって
そんなことには気づきすらしないんだけど
少しだけ、感慨にふける余裕がある
いまはどうやら、そんな時期みたいだね。

そんな時にしか、考えられないことのひとつ
「もう、人間のドラマは終わりにする」という
意図をここで、放っておくことにする。

もうね、たっぷりと味わい尽くした
自作自演のステージは降りたいし

ひとの人間ドラマを鑑賞するのも
もう飽きてきちゃったから
劇場を出て、違うことをやる。

そこに何があるのかは、未知だけれども
わたしじゃなくなることも
人間じゃなくなることも
かつてのようには怖くはない。

それは自分の中で作り上げた、恐怖の幻想
枯れ尾花だとわかったから、ね。

ここまで決めたら、きっと何か起こるはず。
それを楽しみに、もうしばらくはのんびりと。

さあて何が起こるのか、楽しみだなあ♪

おいしいごはんと、瞑想のようなもの思いから浮かぶ言葉と、日々のささやかなできごと。そんな生活の切れ端と、たまにディープに心のことを、思いつくままにつづります。 お仕事として、ライティングや講座の企画・構成、こころとからだのセッションもやってるよ♪