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私の母は牛丼が苦手、という話

高校生になるまで、私は牛丼を食べたことがなかった。

テレビのCM(あと、キン肉マン)で牛丼という存在は知っていた。
でも、母が日々作ってくれる食事に牛丼が出てくることはなく、家族での外食も洋食寄りのファミレスに行くことが多かったから、私にとって牛丼は「自分とは違う世界に存在する食べ物」だった。

別にそれに何も不満もなかったけれど、高校生になり、友人にそのことを話すと驚かれた。

そんなに驚くこと? と逆に私も驚いた。

そして、部活が午前中で終わった土曜日、友人に連れられて牛丼屋さんへ行った。

これが、私の牛丼デビュー。

大学生になって家を出て、それからは何回牛丼を食べたか知れない。

帰省したときに、母と牛丼の話をした。

「うちは晩ご飯に牛丼が出ることもなかったし、牛丼屋さんにも行かなかったよね」

「お母さん、牛丼が苦手なのよ」

「苦手? 味が?」

「そうじゃないんだけどね。昔、お母さんがまだ結婚する前にね、おじいちゃんが入院して、もしかしたら死んじゃうかも、って時があったってね。その時に病院の近くで食べたのが牛丼だったの。だから、牛丼は食べようと言う気になれないの」

「へぇ…。」

「在る」ことから、その人を推し量るのは比較的簡単だ。
(お母さんは魚を使った郷土料理をよく作ってくれることから、「お母さんは魚が好きなんだな」とか何となく推測できる。)

でも、「不在」や「拒否」から、その人を知ることもできる。そしてそれは、秘密を覗いてしまったような、ドキドキした感覚を伴う。

モノクロ映像で、私の中に再生される、美しい若き日の母。自分の父親の病気に気が滅入り、苦々しい顔で牛丼を見つめる母。
実際に見たわけではないのに、見てはいけないものを見たような気持ちになる。

ついでに母は、ビーフンも嫌いだから作ったことがない、と告げた。

ビーフンを食べるか、死ぬか選びなさいって言われたら、お母さん、たぶん死ぬ方を選ぶわ

お料理上手の、おおらかな母の中には、私の知らないヒヤリとした部分がまだまだ秘められているらしい。

私は牛丼も、ビーフンも気にせず食べる。

結婚して、娘も生まれて。
我が家の食卓には時折、私の作った牛丼が並ぶ。

牛丼を作るたび、「自分が拒否する食べ物」に思いを馳せる。
食いしん坊の私は特に思い当たらないのだけれど、私自身も自覚できていない「不在」や「拒否」が、私の中にもあるのだろうか。

そしていつか、娘はそれに気づくんだろうか。

ちょっと、ドキドキする。

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