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今回は、僧侶、興道の里代表、16歳で家出。
大検(高認)を経て東大法学部卒業された
著者 草薙龍瞬(りゅうしゅん)さん著の
『反応しない練習』について記事を書いていきたいと思います。

この「反応しない練習」は、インド仏教に基づき、ブッダの教えをベースに「心のムダな反応を止めることで、いっさいの悩み・苦しみを抜ける方法」として話を展開しています。

・余計なことを判断しない。
・どんなときも、自分を否定しない
・不満やストレスといった「マイナスの感情」で苦しまない
 ・他人の視線を気にせずに、自分らしく生きる
・勝ち負けや優劣にこだわってしまう性格を、もうやめる
 ・心から納得のいく人生を、ここから目指す

という誰にとっても大切で悩みを抱えるテーマを、ブッダの教えに照らして構成されています。

私は、本書を読んで、「最近イライラしていたこと不安に思っていたこと、仕事について、対人関係について」の色々悩んでたことが少し、軽くなったかな感じられました。

今年50冊程読んだ本の中で、私にとって1番「心が救われる本」であると実感しております。

是非おすすめしたいと思う一冊です。

1.悩みをなくそうとしない理解する

ブッダの考え方の特色は、「人生には悩み・問題がつきものなのだ」という現実を、最初に受け入れてしまうところにあります。
私たちが日々感じている満たされなさ、生きづらさ、憂鬱といった思いを「ある」と認めてしまうこと。そのいさぎよさ、合理性が、仏教の特徴だといいます。

私たちは、日々の仕事・生活のなかで「反応」しています。

〝執着〟以前に、悩みを作り出しているものがあるのです。それが〝心の反応〟です。

その問題に着目する

周りの人にイラ立つことが増えてきた。身近な人のやることなすことが、やたら目についてしようがない。家族のことは昔から気に入らなかったが、最近は職場の同僚や友人にも、不満が募ってきた。正直かなりのストレス・欲求不満が溜まっている。一体、どうすれば解決できるのだろう──。

 ブッダが発見した〝求める心〟
それは、〝七つの欲求〟に枝分かれします。

①生存欲(生きたい)
②睡眠欲(眠りたい)
③食欲(食べたい)
④性欲(交わりたい)
⑤怠惰欲(ラクをしたい)
⑥感楽欲(音やビジュアルなど感覚の快楽を味わいたい)
⑦承認欲(認められたい)です。

「心は求めつづけるもの」と理解すると、不思議な心境の変化が訪れることがあります。

つまり、「このままではいけない」「何かが足りない」という得体のしれない欠落感や焦り、心の渇きが収まって、「人生はそういうもの」と、もっと大きな肯定が可能になるのです。

「この反応の理由は承認欲だ」と理解しないと、つい反応して、人の目を気にして、嫉妬に駆られ、競走してたりして、舞い上がったり、落ち込んだりと、動揺しまくりの人生を繰り返すことになります。

心の状態を「きちんと見る」

心の状態を見るとはどう言うことか?

①言葉で確認する。
②感覚を意識する。
③分類する。
いずれも、ムダな反応を鎮める絶大な効果を持っているので、実践してみると心の状態を落ち着けることができます。

2.良し悪しを判断しない

「いい・悪い」「好き・嫌い」をやめる

「判断は時に猛毒になる」

人が苦しみを感じる時、その心には必ず「執着」があります。
本来心は、サラサラと流れ続ける小川のように、苦しみを残さないはずなのに、執着ゆえに、滞り、苦しみを生んでいるのです。

「かなわなかった過去の願い」が、苦しみを生んでいる。

「失敗した」(こんなはずではない)という判断が、苦しみを生んでいる。

「相手はこうでなければ」という期待・要求が、苦しみを生んでいる。

これらの執着を手放さなければ ー でないと、自分も相手も、苦しみ続ける。

”慢” という心の病気に気を付ける

人を苦しめる「判断」には、「自分は偉い」「正しい」「優れている(はずだ)」と肯定しすぎる思いもあります。
仏教では、こうした心理を ”慢” と呼びます。

”慢”はいっときは自分を肯定できる気がして心地よいのですが、高慢、傲慢、プライド、優越感といった思いは、結局、不満や、自惚れのゆえの失敗を招いて、損をします。

本当は、「自分も他人も判断しない」ことが、一番である。

仏教が目指す「正しい理解」とは、逆説的な言い方になるが「正しいと判断しない」という理解です。
そんなことより「真実であり、有益である」ことの方が大事ではないか、と考えるのです。

「つい判断してしまう」からの卒業

①「あ、判断した」という気づきの言葉
「今日はついてない」「失敗したかも」「あの人は、苦手」「自分はダメな人間だ」といった思いがよぎった時は、「あ、判断した」と気づきましょう。
ブッタならそれは必要ない判断だと考えます。

②「自分は自分」と考える
人は人。自分は自分。と言う明確な境界線を引くのです。
自分の心は、自分で選ぶこと、決めることーーー常に自由に、独立して考えなさい、というのも、ブッタの思考法です。

③いっそのこと「素直になる」
自分は偉い、正しいという、”慢”の心に固まってしまうと、周囲との間に「壁」ができてしまいます。
「正しい自分」でいるよりも「素直な自分」でいる方が、魅力的に写ります。
「素直になってみよう」と考えてみましょう。
それだけでも、心が開かれたように感じるはずです。

「本物の自信」をつけるには?

「もっと自信があれば、人生うまくいくのに」と感じている人は、大勢いるはずです。
ただ、ブッタの考えにてらせば、自信がある・ないというのも「判断」に過ぎません。
「自信が欲しい」は「不合理」
それより、今できることはなんだろう?を考えよう

とりあえず体験を積むだけで良い

もし唯一「自信」を持てることがあるとすれば、それは「こう動けば、成果が出る」という見通しが立つようになった時です。

①やってみる
②体験を積む
③ある程度の成果を出せるようになる
④周囲が認めてくれるようになる
⑤「こう動けば、ある程度の成果が出せる」と見通しがつくようになる

3.マイナスの感情で「損しない」


普通に生活していれば、「感情」に関する悩みは、避けられません。
「感情を上手にコントロールできたなら」とは、誰もが願うことです。

まず悩みを「整理」してみよう

①不快な感情が生まれるのを防ぐ。湧いてしまった感情は、早めにリセットする。
②相手とどう関わるかを考える。

反応しないことが「最高の勝利」
「無駄な感情を防ぐ」上で、一番重要なのは、最初から「反応しない」と言う前提に立つことです。

困った相手と「どう関わるか」

相手のことを判断しない

①相手のことを判断しない
「しなくていい判断は、しない方がいい」


②過去は忘れる
過去を思い出して、「記憶」に反応して、新しい怒りを生んでいる。
それが、いつまでも怒りが消えない本当の理由です。
その怒りには相手は関係がありません。
もし嫌な記憶がよみがえったら「反応している自分がいる(相手は関係がない)」と冷静に理解して、感情を沈めるように心がけましょう。

③相手を新しい人と考える
「過去にあんなことをした、こんなことを言われた相手」と言うのは、こちらの「執着」。本当は、「全く新しい人として向き合う」ことだって選べるのです。


④理解し合うことを目的とする
自分自身の感情、思い、考えを、相手に理解してもらうこと。これほど大切なことはありません。
「私はこう感じている」「こう考えている」ということを、伝えること、相手に理解してもらうこと。それを目的にすえるのです。
大切なのは、「理解してもらうこと、理解し合うことが大事なのだ」という理解です。


⑤関わりのゴールを見る
仏教では、”方向性”をよく考えます。自分はこれからどんな人生を目指すのかという方向性。相手とどう関わっていくのか、という方向性です。
苦しめ合うために、関わっているのではない。
理解し合うために、関わっているのだ。

4.他人の目から「自由になる」



「他人の目が気になる」の正体

他人の目が気になる心理の正体は、やっぱり「承認欲求」になります。

①「認められたい」(自分の価値にこだわる)欲求がある

②その欲求で反応して、「どう見られているだろう」と妄想するーー
こう考えると、理由が見えてきます。つまり”承認欲が作り出す妄想”ーー
それが「気になる心理」の正体です。

悩みを抜け出すコツは、どんな思いも「妄想に過ぎない」と、はっきり自覚することです。

「妄想は妄想に過ぎない。何が思い浮かんでも反応しない」という覚悟が、大事なのです。

ただただ大切なのは、自分自身の人生の「目的」を、はっきりさせること

目的をかなえる「正しい努力」とは?

「承認欲」を満たしたいなら、そのための「正しい努力」を行います。

  • ①認められたい気持ちをモチベーションにして、今の仕事・生活を「改善」していく。


  • ②どんなときも「自分のモノゴトに集中」する。


  • ③「自分で納得できる」ことを指針(基準)とする。

正しい努力とは、「人に認められるため」とか「成果をあげるため」といった”外部のもの”を目標にすることではありません。

「意味があるか」を問うのではなく、無心に励んで、充実感や心を磨く爽快感、納得を目的とするのです。

正しい努力とは、いわば「外の世界」を忘れて、「自分のモノゴトに集中」して、プロセスに「自ら納得できる」ことです。
これが成果を運んでくれるのです。

自分のなすべきことがわかっている。心をリセットして、集中する。やり遂げた後に、納得が残る。それだけですっきり完結です。

5.「正しく」競争する



「競争」は、社会の中にたしかにあります。
勝ち求めることは、可能です。
しかし、競争という現実に、どんな心で向き合うのか?それはあなた自身の選択です。

競争に乗るか降りるか、あるいは別の動機で新しく生きていくかという選択があります。


ブッタが教える、人生の大きな心構えーーー世界に対する向き合い方があります。
それは、慈・悲・喜・捨と呼ばれる、四つの心がけです。

  • 慈【慈しみの心】
    これは、相手の幸せを願う心です。
    自分の都合や欲求を通すことではなく、純粋に「相手が幸せであるように」と願う心のことです。

  • 悲【悲の心】
    これは相手の苦しみ・悲しみをそのまま理解すること。
    相手の「悲」に共感することです。

  • 喜【喜の心】
    これは、相手の喜び・楽しさをそのまま理解すること。
    相手の「喜」に共感することです。

  • 捨【捨の心】
    これは、手放す心、捨て置く心、反応しない心です。
    「中立心」ともいいます。例えば、欲や怒りという反応に気づいて、ストップをかける心がけです。
    これら四つの心は、人間であればだれでも持っています。


慈・悲・喜・捨という四つの心がけを、心の土台に、人生のモチベーションにすえてみるのです。

「みんな、よく頑張っているな」で世界がかわる

人々の苦しみを、まずは思いやること。理解すること。「みんな、よく頑張っているな」と思う事です。

人生の足を引っ張る「要注意リスト」

ブッタが指摘した”5つの妨げ”

  • ①快楽に流される心
    これは、映像や音、匂い、味、触覚など「五官の快楽」に流れる心です。
    テレビも、漫画も、インターネットも、グルメも、その他娯楽もすべてあてはまります。
    「はまると抜け出せない」「自分をコントロールできない」というなら、まさに「妨げ」に支配されている状態です。


  • ②怒り
    これは、不快、不満、悲しみ、ストレス、他人への悪意など、心をざわつかせる感情です。
    心はなるべくムダな反応のない、クリアな状態のほうがよいのです。
    これは、勝利や成功を目指す上でも、大切な方針になるはずです。


  • ③やる気の出ない心
    眠たい、めんどくさい、らくしたい、手を抜きたい、疲れて元気がでない、といった状態です。
    健康面などに気を使い生活を工夫したいものです。

  • ④そわそわと落ち着かない心
    雑念や妄想だらけで、作業が手に付かない状態です。
    テレビやネットやゲーム、音楽といった刺激や、お酒やたばこやスマホなど「テキトーな反応」に慣れ過ぎていることが理由かもしれません。
    「刺激を減らす」外を歩くこと、瞑想が効きます。


  • ⑤疑い
    これは、自分や他人、将来のことを悪く考えてしまう心です。
    気づきを実践して、妄想を消去していくことが解決策になります。



「負けた」という思いから自由になる

人が嫉妬を感じるとき、自分より恵まれている、優れている、成功している「相手」に反応しています。
「有能で評判の高い同僚がうらやましい」という感情も相手に反応して生まれている嫉妬心です。

嫉妬は、心を苦しめます。「正しい思考」によって、嫉妬の苦しみから抜け出しましょう。

嫉妬の根底には承認欲があります。

自分が認められるために、できること、なすべきことをやろうというのは「正しい努力」です。外の世界を見ないで、自分の内側にある「動機」や「今、自分が持っているもの(できること)」を見ることから始めます。

人はつい、成果を上げている他人に目をつけて、彼らと同じ方法で、同じ成果をあげようと期待、妄想してしまいます。
しかし、本当は自分の内側から「独自の成果を上げる方法」を工夫していくべきです。
振り回されない。ということ

嫉妬から自由になるというのは、まずは相手に目を向けている状態から「降りる」ことです。相手は見ない。「相手は関係ない」と考えて、怒りからも降りる。
もしまだ認められたいという気持ちがあるのなら、「では、自分に何ができるだろう?」「わたしは、今自分にできることを十分やっているだろうか?」「まだできることがあるのではないか?」と考えるようにします。
足元を見て、できることを積み重ねる。

自分の役割は他にあるという可能性

ブッタが教える”慈しみ”という大前提から始めるなら、「誰かの役に立とう」と考えることが基本になります。
究極のところ、人間の動機は「貢献」です。どんな人も、「お役に立てればよし」なのです。

6.考える基準を持つ



正しい心に戻る。何度でも

多くの人は、自分に自信が持てないから、自分の人生には苦しみしかないから、外の世界に救いを求めたがるものです。
しかし、ブッタは外の世界に答えはないといいます。
価値観も、思想も、宗教も、みな人間の心が作り出したもの。でも、自分自身の心とは違うもの。
自分自身の心の闇、苦悩は、最後は自分自身で乗り越えていくしかない。

踏み出す、戻る、歩き続ける

あなたは今、終わりのない見えない忙しさ、抜けない疲れ、虚しさ、やり場のない怒りや悲しみ、漠然とした不安や、つい自分の人生を呪ってしまう思いの中に、いるかもしれません。
世界から取り残されて、一人孤独に息をしているように感じる日々もあるかもしれません。
しかし、そんなときこそ、しばらく「目を閉じて」みてください。
呼吸を感じてください。
そのとき、自分の”心”だけが見えます。
その心に「正しい心がけ」を置いてみるのです。

「みんな、いろいろな思いを抱えて今を生きている」と悲の心を向けてみます。
つい外の現実に反応して、つらくなったときは、心の内側にある”聖域”に戻って、正しい思いを念じてみるのです。

本当の人生は、「戻っては、踏み出す」の繰り返しです。
一日に何度でも、何カ月でも、何年でも、「正しい心がけに戻る」
そうした心がけが、幸せへと導いてくれるのです。

まとめ

自己研鑽をはじめて暫く経ち、資格も取得できた自分に日に日に成果や実感を積み重ねてきたと自負しているところでした。
ただ、私の場合努力を重ねるたび自分を正当化し学んだこと考えたことをあらゆるシーンに当て嵌め「決めつけ」や「思い込み」を他人に強要してしまう癖があると自分で分析していました。

知識や教養やスキルをつけるつもりで、臨んでいる取り組みが、いつの間にか決めつけや思い込みの思想を肥大化させて「自分の頭の中で爆発しているかのような」「思い通りいかないことや自分と違う考えに一人でイライラして、勝手に自分で考え状況はなにも変わらず自己解決をしている」事態に最近は陥っていました。

承認欲求がとてつもなく強い私には、まだまだブッタの心得を習得するのには時間がかかりそうですが、読んだ後に心向きに変化が現れイライラすることも少なくなり。俯瞰的に自分が見れるようになったかなと実感するところがあります。

反応をしないことを念頭に置き、他人や欲に流されず自分の目的を達することを最重要課題と捉え、邁進できればと思っています。

社会貢献を常に考え、利他を考え行動するそうすることで自らの成果にもつながり、人生において有意義を生み出せるのだと思います。

終わり


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