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大丈夫

大丈夫じゃない時に「大丈夫?」って聞かれたら大丈夫じゃなくても

「大丈夫」って言うしかないじゃん。

ずっとそう思ってたし今も思ってる。でも難しいよな。もし目の前の友達が具合悪そうにしてたら「大丈夫?」って聞くだろうし聞いてきた。その子の具合悪い理由なんて分からないのに。

でも、数年前に自分が精神的に落ち込んだ時に周りから「大丈夫?」って聞かれて

「全然大丈夫じゃねぇよ!!死にそうだ!!」って返したくなった時に

「あぁ、この言葉ってタイミングによっちゃ毒だな」って思った。落ち込みすぎて心配してくれる人と単に情報だけ知りたい人の違いが分からなくなった。みんな、心の深いところの責任は負いたくないのに人が落ち込んでる理由だけは知りたい。勝手だわ。

毎日朝も夜も辛い。太陽と月の違いなんて見た目だけ。夜と朝の違いは暗いか明るいかだけ。目の前の景色なんてどうでも良くなってた時に一人だけ毎日、電話をかけてきてくれた人がいた。その人は絶対に「大丈夫?」とは聞かなかった。

後々、私が元気になってその人が話してくれた。

「毎日泣くほど辛い時期なんて絶対に大丈夫じゃない。だから大丈夫?なんて聞かない。そもそも大丈夫の基準ってなに?生きてるってこと?精神病院に入院してないってこと?私はそう思わない。よく眠れてちゃんと食欲がなきゃ。これは自分基準でね。あんた、どっちもボロボロだったじゃん。ボロボロで目の前で泣いてる友達にイエスかノーで答えられない質問なんてしない。」

壊れた心の治し方に正解なんてないだろう。言葉一つ一つを捉えてムカつくなんて一番勝手なのは自分自身だってわかってる。「大丈夫?」って本当に心配してくれた人だって絶対にいるだろうし。でもね、そうゆう人はなんとなく分かる。心配してくれてるって。だから嫌な気持ちにもならないし感謝してる。あとね、もう大丈夫じゃない時に大丈夫じゃなかったら素直に言うことにした。

「大丈夫?」

「大丈夫じゃない。」

これでいい。その後に「何があった?」って聞かれたらその時に考えたらいい。話したかったら話したらいいし話したくなかったら「話したくない」と言えばいい。この世の中、聞かれたら話さなきゃいけないなんて思ってる人多すぎる気がする。いや、聞く人が多すぎるのか?

本人が話し出さない限りは聞いたりしないけどな。「話したかったら聞くよ」とかは言うかもしれないけど。単に情報を知りたいだけの人間は自分は親切だ、話を聞いてやってるってゆう意識を勝手に作って自己陶酔に浸ってるだけのしょうもない人間だと私は思ってる。悩んでる人はお前の狭い心を寛容に見せかける幻想なんかじゃねぇよ。生身人間なんだ。切ったら血が出るし肉をえぐったら骨が見える。

私の心も切ったらきっと血が出て中身をえぐっていったら死んでしまうんだよ。



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