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80歳に老後について聞いてみた(全篇)


寿命が延びて、いまや人生100年時代だそうです。同時に人口は減って、社会保障、働き方も変化しています。30半ばのボクらの両親たちも第二の人生を迎えはじめました。老後の2000万円も話題になっていました。まだまだは重々承知ですが、それでもここらでボクらの第二の人生を少し想像してみようということで、老後、第二の人生をお題に聞いてみました。(※2019.10.18-10.21に掲載したものをひとつにまとめたものです)

MONOGATARI KAIGI @DAIKON no KAI
#34GIJIROKU

モノガタリテラー 
ガチな美術マスター 上さま(85歳)
言葉のファンタジスタ スーさん(80歳) 
精巧な折り紙職人 ぐっさん(77歳)

ナビゲーター
いまちゃん(36歳)
さそんさん(45歳)

01. 75歳まで働ければそれは幸せですよねえ。



いまちゃん
前回は、子どものころの遊びがお題だったんでしたよね?

さそん
めんこの話とか、べえゴマ。

いまちゃん 
ああ、べえゴマってありましたね。

上さま
いま考えられないかもしれないけどね。

スーさん 
べえゴマは面白いんだよぉ。喧嘩してね、跳ね出したらもらえるの。うまい奴は、バケツいっぱいに稼いでさ、それで鉄を買い取りにくる商人にそれ売るんだよ。

いまちゃん 
お金になるんですか?

スーさん 
だって鉄だからさ。バケツだよ、バケツ持ってくるんだもん、みんなすっごい負けちゃうんだよ(笑)。

あれ重量関係あるんだよ、軽いのは飛んでっちゃう。だから一個だけ重いのつくるのね。

上さま 
そういう制限なしでやりゃね、制限かけりゃ。

ぐっさん 
かとちゃんが旋盤殺しとか自分でつくって、精度がいいんでみんな参っちゃうって言ってたね(笑)。

上さま 
角をつけると強いとかね。

スーさん 
ブラインダーでね、やるんだよ。そういうひとりでやってるお父さんたちって大勢居たのね。

上さま
大人のおもちゃだよね、考えてみると。

ふつうのやつは、一銭だとか二銭で売ってるわけだけど、だんだんエスカレートしてっちゃうんだよね(笑)。

標準のやつはね、ロウソク溶かしてロウだけのっけても重くなるから、それで強くなるんだよ。

スーさん 
そうそうそう、やっぱり重いのがつえんだよ。

いまちゃん
そうなんですねぇ。

スーさん
でもね、売ってるのは目方がだいたい同じなの。横に平べったいとかさ、そういうのはあるけど。

上さま
でも腕の強さでもさ、

スーさん 
ハンデつきますよ。

上さま 
ね、だから腕力のあるひととないひと、そこでも決まるよね、やっぱしね!

ぐっさん 
回転数重要だよねぇ。

スーさん 
きっとさ、ピッチャータイプのひとは強かったと思う。そういうひとは速さがすごいから、それに勝てるのは重さだけ。重いのは当たったときね、強く回しても飛んでっちゃう。

上さま 
だから研ぐんだよ、研いでって角をつくるんだよ。そうするとこれが強いんだよぉ〜。そうやってみんな研究してさ、一生懸命やるわけだよね。

ぐっさん 
自分で工夫するんだよ、なんでもね(笑)!

スーさん
メンコやったことある?

さそん
ありますよ!

スーさん 
メンコはね、みんな手をケガするんだよ。ギリギリまでずうーっと持ってたいわけよ、それでビューってやるから。

わかる?

さそん 
地面にこすっちゃうっていう。それやりました、ぼくも(笑)。

スーさん 
だから地面じゃないところやると、ヤケドしちゃうんだよね(笑)。

さそん
いまちゃん、メンコやりました?

いまちゃん
メンコはやったことないですねぇ。

ぐっさん 
そうだよね、30代だとみんなやってないよね、メンコはね。

いまちゃん 
でも、べえゴマ、コマはやりましたね、凧上げとかもお正月に。

スーさん 
べえゴマはね、洗面器みたいなバケツが必要なんだよ。その上にね、レインコートの強い生地を敷いて床をつくって、そこでやるんだよ。

上さま 
あと、畳だとかね。

スーさん 
それでそこに水をビャッとかけてね、始まるの。床がきちんとしてないと面白くないの、長い間回ってないから。おれそんなことすんごい詳しいもんねぇ(笑)。

そんなんで、小学校ん時、犬連れてずうっとね、遊びに行くのね。でぇ、学校行くと犬がついてくるの、だから雑司が谷小学校ってとこで犬だけ大変有名なの。学校行くとおれに声が掛からず、犬に声が掛かるってくらい。

そのころ犬飼うのもいい加減だったから、お母さんに「頼むよ〜、またチョビが来たよぉ」つって言うんだけど、犬も行きたいのね。だからチャーっとついて来ちゃうの。

ぐっさん 
むかしは犬も放し飼いだったですよね。いまみたいに繋いだりなんかしなかったよね。

スーさん 
まあ半分半分だよ。

でぇ、中学校のときもやっぱり犬がついて来てね、あるとき犬盗りに持ってかれたってのを誰かがちゃんと見ててね、教えてくれてさ。先生に言ったら、「明日学校休んでいい」って言うから(笑)、三河島の犬獲り所に引き取りいったよ。

上さま 
おれは戦争中がだからさ、貴重な鉄だから鉄のコマはなかなか持てなかったねぇ・・・・。

ちょっとの歳の差でずいぶん違うんだねぇ。

スーさん
ああそっか。じゃあ陶器のべえゴマあったでしょ?

上さま
いやいや陶器じゃなくて、やっぱり鉄よ。だけど取り締まられる時期じゃない、みんな回収されちゃったんだよ、「軍艦にする」とか「鉄砲にするんだ」つって。

ぐっさん 
金物はみんなね、没収されたっておれも聞いたことあるよ。

上さま
そうそうそう、だから鉄はあんま使っちゃいけないけど、子どもだからどっかから探してやってたようなもんだよ。

スーさん 
わたし上さまと6つ違いだから、小学校一年と中学ですよ。

ぐっさん
ああ、そうするとだいぶ差があるよねぇ。

スーさん
だけど、べえゴマも考えてみると、小学校の一時期だったなぁ。短いよね。

いまちゃん
ああ、そうなんですねぇ〜。

上さま 
でも田舎じゃみんなやってなかったよ、だから、べえゴマってのは東京の江戸っ子の遊びよ。メンコはあっただろうけど、田舎は木に登ったり、全然遊びが違ったよ。

いまちゃん 
当然ですが、いまとは遊びが全然違いますよねぇ。

スーさん 
いまの子も、10年くらい前といまは違うんじゃない?

いまちゃん 
たしかに全然違いますねぇ。25年くらい前ですけど、ぼくが小学校のころ、当時はまだけっこう縄跳びしたりとか。

スーさん 
25年前つったら、ついこの間ですよね、われわれには(笑)。

いまちゃん 
25年前、ついこの間ですか!?

上さま 
だって定年後だもん(笑)。

スーさん 
定年したころっていうのは、割に時間が近いんだよ。歯車で回ってた時代と、それ以後だから、定年でみんな線を引けるの。呑みに行く回数も減るとかさ、だからついこの間なんだよ。

いまちゃん 
ああ〜。

上さま 
いまテレビでやってるけどさ、75歳まで?定年延長になるじゃない。

スーさん
それは、働ければ幸せですよねぇ。あと何年?

さそん 
75ですと、あと28年働くことになりますね(笑)。

スーさん 
さそんは長い間勤めてたい?

さそん 
ぼくは長い間勤めたいです、できるだけ働いてたいですねぇ。

上さま 
ああそう。きのうも、みんなテレビで「まあ75までは働いてもいんじゃないんですか」って賛同してるひとが多かったねぇ。

いまちゃん 
でも、できるだけ働きたいかどうかって、ひとによって違いそうですけどね。わたしは・・・・。

スーさん 
ひとによって違うだろうけど、働きたくても働けない職場ってあるもんね。わたしたちのコマーシャルはさ、音楽から分かんないもん、だって。だから働きたくても働けないよね。

いまちゃん 
業界によって、そうですよねぇ。

スーさん 
もうすぐ分かんなくなるよ、38ぐらいから(笑)。

でぇ、部下がいて、部下に「どうですか」って聞かれる立場になるわけじゃない。聞かれたって、何が「どうですか?」か、よく分からないんだよねぇ(笑)。

ぐっさん 
じゃあ、新しいことにどんどん目を向けていかないと、分からなくなっちゃうわけね。

スーさん 
そうなんだけど、いやもう、そもそも分かんない話ってあるじゃないすか。スマホの何とかの話を聞いてるようにさ、「何言ってるんだ、コイツ・・・・」っていう(笑)。

・ ・ ・

02. おれたちの頃は50代で第二の人生入れたんだよ。



上さま 
かつては第二の人生をさ、老後に早く、例えば60から入りたいってのが理想だったんだよね。

いまはそういうのあんまり考えないのかなぁ?

仕事を辞めて好きな事して過ごすっていう第二の人生。75まで働けるなら、それもいいんだけどさぁ(笑)。100まで生きりゃ、あと25年は残るけど。

スーさん
好きな仕事で75まで働けたら幸せだけど、いまはお金的に働かざるをえないってのはあるんでしょうね。

でもさ、上さまなんか第二の人生、お百姓やればいいじゃないですか。辛いですか?

上さま
ぼく?そりゃあもう体力的に無理よ。さそんは、第二の人生っていうのは考えない?

さそん
考えますね。っていうかわたし、すでにいま第二の人生かなって思っちゃいますけどね。

スーさん
いま第二?じゃあ第一の人生はどういうこと?

さそん 
20代のころにやってた仕事と、いまやってる仕事が全然違う仕事なので。第一の人生は20代だと思ってます。

上さま 
そういう意味でねぇ。

さおん 
そうです、そういう意味合いで第二の人生と。

スーさん 
20代のころって、なにやってたの?

さそん 
ぼくはむかしコンピューターを。

スーさん 
ああ、そう。早かったねぇ!

さそん 
そうですねぇ、ちょうどIT革命っていうのが起きた時代にコンピューターやってました。ぼくはプログラムつくったりとかできなかったので、営業だったんですけど、「どうも自分には合わないな」っていうことになって、こっちの、福祉の業界に来て。いまは、もうこっちの方が長くなっちゃいましたね。

スーさん 
こっちに来てって、簡単に来れるの?そういうとき。

さそん 
あんまり来れないです、けっきょく資格がないといけないので。だから通信教育で頑張って勉強して、資格取って、そこから来ましたけどね。

スーさん 
社会福祉士?難しいの?

さそん 
なんか年々難しくなってますね、いまね。

スーさん 
早く取んなきゃいかんね!って、おれ取ってもしょうがないか(笑)。

上さま 
取ってみる(笑)?

スーさん 
だんだん、どっちが介護してるから、分かんなくなってきてね。「ちょっと起きらんねぇよ」なんつって、患者さんが手伝ってくれて(笑)。「しょうがねえなぁ〜・・・・」なんて引っ張ってもらったりしてね(笑)。

ぐっさん
そういえば、介護士の資格も、むかしは割と簡単に取れたらしいけど、いまは大変みたいですねぇ。

さそん 
そう、いまは大変みたいです。

ぐっさん 
資格になってくると大変だよね。

いまちゃん
でも、みなさんの時代の第一の人生、第二の人生と、考え方が違ってきてますね。

上さま 
まあ世代によってそうなんだろうね、考え方はね。

ぼくらは第二の人生を送るのに、60を起点として田舎行ってさ、いろいろ魚釣ったり、海行ったり、あっちこっち行くって、そういう夢があったけども。いまはもう、言われたように75まで働いて、それから。

それから働き方っていうのかな、ひとつの会社で勤め上げるっていうのも、むかしに比べたら減ってるでしょ。

ぐっさん 
けっきょく、みんなが長生きになったから、こういうことになってるわけでしょ。政府の方も年金の資金がないから、「長い間働いてくれ」ってことなんでしょ。だから実際は60で辞めて、悠々とね、生活できれば「働きたいってひとは少なくなるんじゃないの」って、思うけどね。

自分の仕事がすごく楽しくてさ、「これ続けたい」ってひとは別だけども、みんな自分に合った仕事をずっとしてるわけじゃないじゃないですか。

上さま 
でも、テレビで聞いてたらみんなさ、「75まで働きたい」って言うからねぇ。

ぐっさん 
老後までに悠々自適に暮らせるだけのお金がなきゃね、やっぱり生活のためっちゅうのが大きいんじゃないかな。あとは、手持ち無沙汰っていうのもあるかね。

いまちゃん 
そうかもしれないですねぇ。

上さま
ぼくなんかさ、辞めさせてもらえなかったんだけど、57歳でね、100%出たの年金が。だから57で辞めた方が第二の人生長くなるの。

それはもうぼくぐらいまでで、すぐ60歳、65歳ってなったんだけども。だから、まあ、辞めたせてくんねぇから60まで居たけど、おれたちのころは50代で第二の人生入れたんだよ。

ぐっさん
ぼくが定年で辞めるときね、ちょうどその年金制度が始まったんですよ。60で定年で、60からもらえる。

でね、その年から3年に1年づつ伸ばしてって、65歳まで働けるっちゅうあれで。

だから、ぼくが辞めたときはそれの一番始まりで、65まで5年間は年金が全額は支給されなかったわけ。

スーさん
年金はさぁ、最初から政府が金出してるわけじゃないんだもんね。いまの年寄りは、いまの若者が支えてんだよね。

いまちゃん 
そうですよね。

スーさん 
だから人口減っちゃうとみんな苦しくなっちゃう。

ぐっさん
少ない人数でいまの世代が支えろって言われてますよね。

上さま
だから消費税上げなくちゃね、手がないよね。

いまちゃん 
来年上がりますもんねぇ。

ぐっさん 
うちの女房ね、おれと6歳違うんだけど昭和23年生まれなんですよ。23年生まれって、ちょうど戦争から帰ってきて、みんな子ども産んだでしょ、一番多いんだってね。

スーさん 
22、23年がね。

ぐっさん
でぇ、ことあることに団塊の世代がどうのこうのって言われて、「自分たちは若いとき一生懸命働いて、日本を支えてきたのにね、今度高齢になってきたらなんか邪魔者扱いしてんじゃないかなんて」って言ってますよ。

スーさん
あのね、可哀想な世代なんだよ。学校行くにも競争率が高いわけ、すぐキャパが増えないから。

ぐっさん
ひとだけ増えるからね、なんでも競争だよね。

スーさん
だからその競争凄い中、駆け抜けて頑張ってきたよ。

ぐっさん 
そうみたいだね。

だから、テレビやなんかで「団塊の世代が多すぎる」とかって言い方をされるわけじゃん、それにずいぶん腹を立ててるみたいよ(笑)。

いまちゃん 
いまで言うとちょうど、68、9歳くらいですか。

スーさん 
70くらいだよ、70、71歳。

いまちゃん
わたしの父が69歳かな?だから近い歳です。

上さま
若いねぇ。

ぐっさん
じゃあ昭和24年ぐらいだね。一番多いときですね。

いまちゃん
父はメインの仕事が大学の先生だったので、一回65のときに区切りがついて、そこから70まで嘱託みたいなかたちで勤務するって、いまでも週に3コマくらい教壇立ってるんですけど。

でも、やっぱり65で一旦区切りがついたときは、「この先どうしよう」ってけっこう悩んでたました。

スーさん 
あのね、戦後、家がなくなったひとたちがほとんどだったんだよ。

だからわたしたちの第一の人生ってのは、家を建てることがすごい目標だったの。でぇ、地方から来たひとも多くて、そういうひともアパート暮らしで家がないわけでしょ。アパートたって3畳間。3畳間に暮らしながら大学行ってたのがざらだったから。

その3畳で「麻雀やろうぜ」なんて、やってたんだから、それはすごかったよね(笑)。

それでいまはもうみんな家があって、うちが余る時代だからさ、だから第二の人生なんてのは最初からもう違うわけね。

第二の人生ってのは早い話が、サラリーマンでいったら定年でそうなるわけでしょ。いまサラリーマンって減ってるんじゃない、正社員じゃないひととかさ、農家をやっるひととかさ、個人でやるひととかさ、いろいろ居るじゃない。生き方が多様化してるよね。

だからここまで第一で、ここから第二の人生みたいな線引きは難しいんじゃない。

上さま 
秀吉じゃないけども、むかしは人生50年だったからね。

でぇ、ぼくらんときは、それ以上伸ばそうと思えば、いくらでも再就職っていうかさ、斡旋してくれるわけ。だから、斡旋されると3年とか5年どこでも行けたんだよ。

でもまた他のことや、人事のことなんて、「今更・・・・」って、やんなっちゃうじゃない、解放されたいじゃない。

だから天下りっていうのは、2回あったけど行かなかったですよ。

・ ・ ・

03. 明確にこうしようって人はすごく少ないと思う、みんな成り行きでやってきたから。



いまちゃん
この先、ほんとに定年70とか75っていう時代になりますかね?

上さま
だけどさ、うちの婿さんは東芝なんだけど、55歳だよ、定年。一部上場のあのくらいの会社で。おれ60かと思ったら55なんだよね。

55が境目で上いくひとと、55から給料全然上がらないで65までいくってことかしんないけど。

いまちゃん 
ぼくのまえの会社も、役職定年ってのがありまして、「それに近いかなぁ」なんて思って聞いてましたけど。

スーさん 
会社は辞めさせたくてしょうがないんだよ(笑)。

上さま 
国家公務員だって大差ないんだけどさ、たとえば財務省だって、50になったときに、今度は次官になる競争でしょ。だからむかしの一高出て、東大の法学部出て、それで次官になるってのは、最後はひとりなんだもんね。20人も30人も入って、競争で。

だからそういう意味で、うまくなくなって、みんな外へ出るじゃない。辞めたり関連のところ行ったりとか。だから50過ぎると、みんなわれわれの時代でもなんとなく落ち着かなくなってくるんだよね。とくに、財務省なんかはね。トップにひとり残るだけで、あとみんな落ちるから。

スーさん 
会社も嫌がらせしてくるんだよ、「クリエイティブの指導に、韓国行ってくれ」とかさ。「韓国嫌ですよ、ニンニク嫌いですもん」とかそう言ってゴネるわけね。

そうすると今度、「スーさんにいいのあった、大阪行こう、大阪。大阪行ったら、給料上がるよ」とかいろいろ言うの(笑)。

「そう言われたって、女房体弱いから連れてってさらに悪くなったら、人殺しみたいじゃない」つって断るんだけどさ(笑)。そうやってみんないろんなこと言って、辞めさせよう、辞めさせようっていう。

いまちゃん 
ああそうなんですね。

スーさん 
でぇ、面と向かってあんまり責めたり、追い詰められないのは、スポンサーが馴染んじゃってるわけよ、例えばわたしとかにね。

クライアントってのがスポンサーね。いまでも友達なくらいだから。だから、そのひとたちとの上手い切れ方を会社は大変でできないわけ。

上さま
だけどさ役職があるってのはさ、余計あれだよね。60歳になってさ、今度は自分の部下が上になっちゃうってのもあるよね。

スーさん 
あ、なっちゃう!おれもグルグルしてるうちにね、部下が偉くなっちゃった。

上さま 
だから厳しいよね、そういう意味じゃね。

スーさん 
わたしの上司だったひとがね、会社と喧嘩して辞めないで、けっきょくメールボーイになっちゃったの。メールボーイって可哀想なんだよね、個人宛にいろんなメールが来るのを会社ん中で、郵便物持って「来てますよ、来てますよ」つって、箱ん中入ってるのをそれぞれに渡してまわるのね。

でぇ、そのひとはわたしの2つぐらい上のひとだったから、気楽なのね。「おい、スーさんよぉ」つってさ、おれの箱みないなパーテーション中入ってきてね、ひと休みしてくんだよよ。「もう帰ってよぉ」つっても、帰らねえんだ(笑)。そういうひとも居たよね。

上さま 
だから55過ぎるとね、窓際族って言うんだよね。むかしそんなテレビドラマもあったんじゃない?

ほかのひとは局長なり、もっと上いくわけだけど、部長のひとが部長に居ながら、ただ定年を待たされるわけよ、「いつ辞めてもいいですよ」ってことで。

スーさん
もお、辞めさせたくてしょうがないのよ(笑)。

いまちゃん
でもそれは・・・・、その方はいままでやっぱり頑張られてた方ですからねぇ。

スーさん 
それは、分かんねえよ、そんなの!ところ天みたいにみんな上がっていくからね。

いまちゃん
ああ、たしかに、功績残してるわけじゃないかもしれないですもんね。

上さま 
だってトップはだんだん少なくなっちゃうんだよ、ひとりになっちゃうんだからね。そうするとね、窓際族もね、いんだか悪いんだか。

だから天下りでどっか行っちゃうのが一番いいんだよ。天下りでいいとこ入るひといっぱい居るから。入れないひとももちろん居るけどね。

いまちゃん 
まあそうですよね。

スーさん 
わたしねぇ、博報堂に居るころ運転手の部屋へ行くと碁盤がいっぱいあるわけ。あいつら突然呼ばれて動くから、途中で辞めなきゃなんないんだけどね、待機してる時間に碁ばっかやってるから強いんだよ(笑)。

だからたまに顔だしてさ、碁うちに行ってたんだけど、そうするとね、妙に人事のこと知ってるの。
「こないだスーさんの話してたよ」とかって言ってきて、それ聞くとこっちは「やべえなぁ」って(笑)。

運転手だから乗り合わせのときに、話が入ってくるんだよ。人間多いけども、知ってるひとの名前は運転手もすぐ分かっちゃうからね。

いまちゃん 
え、それは嫌ですね(笑)。

上さま
ただ、第二の人生入ってもね、いろいろだと思うよ。

スーさん
わたしは第二の人生は家内の介護だった。

いまちゃん
おいくつからだったんですか?

スーさん 
定年ぐらいのときに会社辞めて、クライアントを持って自分の会社をつくったのね。だから食ってく道はしっかりあったわけ。ちょっと恨まれてたけどね(笑)。それはそれとして。

だけど女房が突然、48のときに倒れて。それで持ち直したけど64のときかな、もうほんと動けなくなっちゃって。それから13年くらいずっと寝たきりになっちゃってね。だから第二の人生もへったくれもないよね、介護の人生だもんね。

いまちゃん 
ああ、そういう。

スーさん 
だからそのころ、ぼんやり考えてたのは、本気になって執筆業に変わろうと思ってたの。

上さま
でもコピーライターそのものが執筆業じゃない。

スーさん
たしかに、いっぱい居ますよ、いま小説家になってるひと。ほんっとに多い。

でぇ、介護やりながらなら執筆できるんじゃないかってったら、そういうもんじゃないんだよな、あの介護ってのは(笑)。

嫌なんだよぉ、たちの悪りい、体は疲れないけど頭が疲れるんだよ。だから介護をしながら歳とっちゃった。

いまちゃん
ああ。

上さま
例えばこんだぁ、75が定年になったとするでしょ、さそんは75からの第二の人生何考えますか?

さそん
そうですねぇ、いろいろやってみたいことはありますよね、やっぱり。そのときの状態にもよりますけど、体がまだピンピン動くんだったら、ぼくは音楽が趣味なんで続けたいですし。

スーさん 
あ、ナギーも上手いんだよね。ギターでおまんま食べてたの?

上さま 
ナギーなんなの、ギタリストなの?

さそん 
ちょっと仕事でもなさってたらしいですね、クラシックギターで。

ぐっさん 
あの、村治かおりさんのオヤジさんとも一緒にやってたって言ってましたけどね。

いまちゃん 
それすごいですねぇ。

上さま 
じゃあ音楽家じゃない。いまはやってないでしょ、あんまり聞いたことないよ。

スーさん
「今度聴かせてよ」って言ってみようか。

いまちゃん
今日はお休みですけど、こんどギター持ってきてもらいたいですね。

上さま 
あんたもウクレレが得意だとか?

スーさん
そんなことないですよ、わたし音楽の環境になかったんですよ。だからコマーシャルつくるのに音楽から分かんなくなっちゃいますし。小さい頃は簡単に楽器なんか買える時代じゃなかったからね、ピアノのあるうちなんて滅多になかった。

いまちゃん 
75が定年だとしたら、定年は早い方がいいんですかね?

スーさん
早くても遅くてもダメなんじゃない、しょうがくてそうなるっていうのがちょうどいいんじゃないの。

いまちゃん 
ああ。

スーさん 
みんなさ、明確にこうしようっていうひとはすごく少ないと思う。成り行きでやってきたから。

上さま
ぼくは定年後は、東京を売っぱらってってことじゃないけど、田舎行って、農業を第二の人生に据えようっていう気持ちが最初からありましたよ。勤めてるときは経営とか法律やなんかを第一に学んでたけど、やっぱり農学校出てたから。

だから、希望としたら農業で生活をしていけるくらいやれたらよかったんだけど、現実って厳しいんですよ、「トマトやナス作って売ればいいじゃないかっ」たって、なかなかそう上手くはいかない。

むかしはうちの村でも農業やってるひとが土地を安く買って、60なり65歳で家建てるひとが10件以上あったんですよ。

けどね、5年経つと5軒になって、10年経ったら1軒になっちゃった。なぜかって、農業だけやってても子どもを育てて食ってけないんだよね。自分だけが楽しく有意義に生きられたとしても、家族もって食べてくとなるとね、農家にそんなお金なんてとにかく入ってこないですよ。

いまちゃん 
「やりたい」って若いひとも、それなりに居るように感じますけど、やっぱり厳しいんですね。

上さま 
農業とか園芸、それから畜産って、みんな夢なんだよ。夢持ってみんな入るけれども難しいね。作れてもそれを売って、定着させようとするのはやっぱり困難ですよ。

ぼくは花をやったことがあって、友達に出荷しないかって言われたんだけど、やり始めるともうそれにつきっきりで東京帰って来れないよね。

でぇ、売る花と見る花って違うんだよね。例えば桔梗を植えるでしょ、大きくなったり小さくなったり、ピンクだったり紫だったりを20株づつ600株、自分で楽しく作ってたんだけど、それをもし売るとしたら、ある程度成長したら10CMくらい切っちゃうんだよね。大きさ揃えて出さないといけない。

それから、夜中に刈って、朝出荷して、市場に持っていくには夜明けには着いてなきゃいけないしね。だから花が好きでやるのと、生業としてやるのでは全然やり方が違うんだよ。1時や2時に起きて作業に入らないととか、そういう生活リズムもあるし、60過ぎてから最初はできても限界があるねぇ(笑)。

スーさん 
そうなんだよねぇ、ようするに季節のある仕事ってのは一年経って一回しか経験できないんだから。農家の子は20歳になったときに20回は経験してるから、知識や経験をいっぱい持ってるからね、だからかなわないんだよね。

ぐっさん 
ぼくは実際60で定年になって、2年間は職場で再雇用みたいにして働いて。でぇ、その後は62歳で切られたんで、よく話してんだけど、クリーニング屋さんの貼り紙を見て、「仕事なくなったんだけどやらしてもらえませんかね」って言ったら、「じゃあお願いします」ってことで8年間やりましたよ。

スーさん 
びっくりしちゃうよ。

ぐっさん
だから全然畑違いの仕事なんですよ。

・ ・ ・

04. まだ62歳だし、なにもしないでうちに居たってしょうがないと思って。


スーさん 
だけどさぁ、その貼り紙見て、そのトントンの瞬間ってすごいと思わない?

いまちゃん 
トントンって叩けるってすごいですよね。

ぐっさん 
62の3月で辞めたでしょ、ちょうどその3月の終わりごろかな、貼り紙見たの。近所だし。

スーさん
だけどさ、近所は置いといてさ、それまで生きて学んできた、知識とか技術が活かされるもんってそんなに幅広くないじゃない。それが全然関係ないところにペタって貼ってあってトントンしたんでしょ。すごいよぉ。

上さま 
技術がいるでしょ?

ぐっさん
おもにズボンとスカートのプレスを専門でやってたの、8年間。

許されるならずうっとやってるつもりだったんだけど、そこのクリーニング屋さんがもうやめちゃったから自分もやめちゃったんだけど。

そのあとはいろんな施設行って折り紙やったりなんかして、だからいまは第三の人生かな。まあご老人相手だけども、一緒に教えたりなんかして。

スーさん
自分だって老人じゃない(笑)。

ぐっさん
はっはっは。

やっぱり辞めてね、何しようかなと思って考えてたら、たまたま目に入ったから。これならいいかなって思って叩いて。でも、そんなプレスとかってそういうのやらさられるとは思ってなかったよ。受付とかさ、そういうのだと思ってた。

でもあの受付って大変なんだよね、どんなシミがあるとか、どんな生地とかで、いろんな知識がないとできないんだよ。プレスはスポっと被して、ボタン押すとね、バァーッと蒸気が出てきて、シワを伸ばしちゃうんですよ。

上さま
じゃあアイロンは掛けなくていいわけだ。

ぐっさん
いやシワを伸ばしてから、アイロンで線をつけるんですよ。その繰り返し。

上さま
肉体はどうなの?使う?使わない?

ぐっさん 
肉体はそんなに使わないかな。

業務用のアイロンって重いんですよ、家庭で使うアイロンとは違って。だから一回スッとやれば綺麗に線がついちゃうんですよ。すごい蒸気ですよ。

いまちゃん 
なんか、暑そうですね。

ぐっさん 
うん、暑い暑い。まあクーラーとか入ってるけど、それでも暑いね。

スーさん
ほら、やっぱり折り紙と通じるところがあるよ。角と角を合わせないといけないとかね。

いまちゃん 
なんか得意なことと好きなこととマッチしたような、仕事。

ぐっさん 
おれもともと仕事が丁寧なのかも分かんないけどね。だからクリーニング屋やめるときに言われたの。「ぐっさんがやったの二重線が入ってるとか変なクレームがこなかったですよ」って。

上さま 
器用なんだろうね。

スーさん 
時計職人のうちに生まれてたら、やってたね。ずうっと時計をね。

ぐっさん 
あ、そうそう。「お前手先が器用みたいだから、時計屋になったらどうだ?」って言われたけども、ならなかった(笑)。

スーさん
手先が器用っていうよりさ、キチン、キチンなんだよね。角を合わせて紙を折ってっていう。だから布団を足で丸めて押しつけるとかそういうないんだよ(笑)。

でも、どっかにあったんじゃない?「あ、これやれそうだ」っての。

ぐっさん
そうだねぇ、なにしろ「まだ働けるな」って思ってたから。

スーさん
でも「これはやれそうだ」っていう気はなかったの?「あんなもんは軽い」って思ったの?

ぐっさん
ただただ、「働くとこないかな」と思って。まだ62だからさ、「なにもしないでうちに居たってしょうがない」と思って。

上さま
子育てはすんでたの?

ぐっさん
いや、まだ一番下の息子が学校だったかな。

いまちゃん
へえ。

スーさん 
人生さまざまですよねぇ。

ぐっさん 
なにがキッカケになるか分かんないよね、不思議なもんでね。

クリーニング屋で働くまえは外を歩いてても、クリーニング屋さんなんて全然目に入らなかったんだけど、自分がやるようになったらね、「あ、ここにもクリーニング屋さんある!」って、すぐ目についちゃうんだよね。不思議だね〜。

いまでも気になっちゃうもんね(笑)。

上さま 
他人が着てるもんで、アイロン掛かってるとか掛かってないとか気になる?

ぐっさん 
いや、それはならないね。

スーさん 
自分の着るもんは掛けるの?

ぐっさん
やんないね、そんな服装してないもん(笑)。そんな折り目つけなきゃいけないような服装してないからさ(笑)。

スーさん
最近、変わっちゃったからね。むかしはさ、ズボンの折り目って命の次に大切だったんだよ。布団の下に敷いて寝るくらい。

いまちゃん 
え、そうなんですか!?

上さま 
そう、ほんとに。

でも8年やるってのは立派な第二の人生だねぇ。

いまちゃん 
たしかに。

ぐっさん 
ほんとは店やめてなきゃ、いまも続けてたかもしれないけどね。個人でやってるとこって大変みたいだね、みんなね。大手が駅の前につくっちゃってるし。

だから「どどんなシミでも抜きますよ」とか、よっぽど特徴がある洗濯屋さんじゃないと、やってけないみたいだね。あそこへ持ってけばもう間違いないっちゅうようなね。

スーさん 
君はどうすんの?

いまちゃん 
ぼくですか、ぼくは・・・・第一の人生入ったばっかなんで、みなさんの話いろいろ聞いて勉強したいなって思ったんですけど。正直まだ全然考えられてないですねぇ・・・・。

スーさん 
いまやってることの延長線にあるよ。どっかで掘り起こせるよ、きっと。

いまちゃん 
そうだと信じたいんですけど。

スーさん
だってそれ掘り起こせなきゃ人生めちゃくちゃだよ。

なんかありそうなんだよね、年寄りがわたしたちの年代じゃない次の年代のひとも上がってくるし、すごく違うから10年単位で。

いまちゃん
そうですよね。

上さま
ぼくはねぇ、60歳で辞めるときには、ふたりとも子どもが嫁いじゃったんだよね。だから子育ての学費だとかそういう必要性はなくなっちゃって、お金の心配はどっちかっていうとあんまないじゃない。年金もふたつ持ってるし、家は自分のだし、家の支払いも終わっちゃってるし。だから大きく掛かるものはもうないわけ。

だからいま思うんだけど、第二の人生60あるいは65歳だとしたら、子どもが成人しちゃってるか否かってのは重要な要素じゃないかなぁ。ぐっさんはまだひとり大学だったって言ってたけど。

ぐっさん 
そう、ぼくが定年でやめるときはまだ一番下が学校行ってた。だから、そこもあったんだろうね、「まだ働こう」って思ったのは。

当時はそこまで考えず、「まだ62、元気だからなんかして働こう」ってのが一番大きかったから。

だからそれがクリーニング屋さんでなくてもどっか行ってたかもしれない。

いまちゃん 
ああそうか。「22歳までは」って、ぼくで考えると「ギリギリだな」って思います。

ぐっさん 
そうだよねぇ、いま晩婚のひとが多いしさ、女性のひとも30過ぎてから結婚ってのも聞くしね。

上さま 
ぼくは28か29歳のとき、長女ができて、32のとき次女が生まれたから早かったから。あれ、男の子どもだったり、あるいは35なり40歳になってできたら、お父さん大変だと思うよね。

・ ・ ・

05. 「船に乗れ」っていう小説、これは面白い本だよ。



スーさん 
いまちゃんに一言アドバイスしとくと、結局ね、われわれみたいに歳とってくると面倒見て欲しいの、空いてる時間を。

まだ歩けるし、動けるし、お金もあるわけじゃないけど、ないわけじゃない(笑)。みんな面倒見てくれるようなところにはお金を使っていいと思ってんだよ。だから、そのお金をどうやって吸い上げるかだな。

でぇ、いろいろこう考えてみると、子どものころから教育受けて登ってきて、社会人なって、こんど下ってって、いまはどんどん若いひとの逆を走ってるような気がするのね。この下がってくるところを捕まえるといいと思う。

登ってきた育ちざかりと、下りざかりと似てるんだよね。

いろんなひとの話聞くと、熱く語るっていうのはね、中学校や高校でなんかやってたひとだよ。例えば「合唱やってました」とか、「ギターやってました」とか、「音楽関係やってた」とか「絵画クラブいってた」とか、勉強以外のことで。

それがきっとね、年寄りの下ってきたひとたちにも言えるような気がする。だから下ってきたひとを捕まえて、年寄り向きの音楽のこういう会をもったらすぐくいついてくるかもしれない。

「船に乗れ」っていう藤谷治のベストセラー作品があるの。それは音楽家の家族の話でね、主人公は小ちゃいころからピアノだとか、チェロだとか、叩き上げられて、国立の芸術高校を受験するけど失敗しちゃう。

じゃあ仕方ないって、親族がつくった大学付属の音楽高校に入るのね。でもね、そのままじゃ行って出ても職がないっていうの。

それで、じぶんちはお金あるから、親が「ドイツ行って修行してきなさい」つって、夏休みにドイツに留学したんだって。2ヶ月間くらいドイツの管弦楽団のところに住み込みみたいに習いに行ってね。

そしたら格好だけ教えるだけで、楽器鳴らさせてもらえなかったんだよ「君の音は骨に伝わらない」つって(笑)。

それで2ヶ月くらいやってね、日本に戻ってみんなに披露したら、「音がすごい変わった」って言われるんだよ。「ああそういうことか、これはやっていけない」って主人公は思ってね、音楽家離れちゃった。そういう物語。

「船に乗れ」っていう、これは面白い本だよ。

でぇ、物語の最後はみんな定年になって、「みんなでまた音楽やろうよ」って、むかしの仲間が集まってコンサートをやるんだけど、

「音楽やってきてこんな楽しいこと、いままでなかったね」っていう終わり方なんだよ。60過ぎのおじいちゃんたちが、「こんな楽しいことなかったね」って。

だから、きっと、小学校、中学校、高校、大学ぐらいの間のどっかの地点でのめり込んでたことを、下り始めた頃にやりたいって希望を持ってるひとは多いんじゃないかって気がする。

例えば、おれなんかが「こんなのあればいいなぁ」と思うのは、言葉を教えてくれる教室があればいいなと思う。言葉って日本語ね。

さそん 
最近の言葉とかそういうことですか?

スーさん 
いや、漢字。「すすめる」っていう漢字は何字書けるかとかね。一番難しいのは推薦の「薦」ね。あれ毎日覚えようと思っても覚えられない。

いまちゃん
たしかに書けないですね。

スーさん 
書けないでしょ。あれを上手く教えてくれるひとが居れば教えてもらいたいと思う。そん次に必要なのは、筆順を正しく覚えなきゃ、字が上手くならない。そういうこときちんと教えてくれるひととが居たらいいよね。

いまちゃん
なるほど、参考になります。

上さま 
それは書道なんかも?

スーさん 
書道なんかもいいんだと思うけど、書道も筆順が分かんないと形にならない。右と左でも、筆順違うからね。右はノから入る。

上さま 
いまの教育ではどうなんだろう、ぼくらのときは厳しかったよね、書き順。ところがいま孫見てると、変な書き順するんだよね。だからどう教わってるのかなと思うけど。

スーさん 
それはやっぱりね、習字っていうのが基礎にあったから、筆順を教えないと上手く書けない。だからうるさかったんだよ。

上さま
ぼくらは習字が基本だったからね。

ぐっさん 
そうだったね、習字だったね。いまもやってるのかな?習字ってのは。

いまちゃん 
どうなんですかね、わたしは別で習ってたんで。

スーさん 
そう?あんた字綺麗だもんね、だけど書道が上手かった字じゃないね。

いまちゃん
ああ(笑)。

上さま 
うちの孫は、算盤とかヒップホップダンスだとかやってたねぇ。

スーさん 
すごいねえ。

上さま
ただ習字は習いに行ってねえなぁ。

スーさん 
親がうるさくないとね、日本の字は育たない。うちいい加減な親だったけど、でも、字にはうるさかったですよ。

上さま 
小学校入ってすぐのころ習わさられたよね。

ぼくも石川台のガード下にいつも習いに行ってね、ただ、いたずらしてクビになっちゃったんだけど(笑)。自分じゃ自覚がないんだけど、親が「ぼくはイタズラするから」っていうことで辞めさせられちゃった。でも、学校で賞獲っちゃって、親も困ってたっていうことがあったよ。

だから、幼いときに習っとくとさ、自然と基本は身についてるんじゃない。

スーさん 
習字は、久が原のどっかで女の子がやってんでしょ。

上さま 
ああ、しょうこちゃんね。あの子は天才だよ。

スーさん 
そこ教室もあるわけでしょ、だから居るんですよ、やろうってひとも。

上さま 
あそこはもう、すごい書道教室になっちゃってるよ。

谷口 
お母さんが書道家なんでしょ?

スーさん 
たいてい有名なのは親も書道家だよ。

上さま 
それでなんか流派があるじゃない。しょうこちゃんの見に行ったりすると、お母さんは明治大学文学部卒業で、なになに派とかって全部書いてあったよ。

スーさん 
書も道だから。お花とかお茶とかってのも同じじゃない。

上さま 
いまからでも書やりたいな、おれ(笑)。

スーさん 
床の間に書いた書が飾ってあるじゃない。芭蕉の俳句を書いて飾ってあるんですよ。

上さま 
あれは自己流で書いてさ、勝手に掛け軸に掛けて(笑)。しょうこちゃんとこ行きゃあ、もっとすごいの書けるだろうけど。

ぐっさん 
ぼく、あの子が実際に書いてるとこを見に、池上文化センターに行きましたよ。お母さんがすごいサポートしてるのね、筆を持ってると硯をお母さんがそばまで持って来たりしてね。

上さま
鎌倉とか京都行ったり、ニューヨークでも書いたんだもんね。世界的なひとになっちゃったよね。

・ ・ ・

06. 第二の人生を職業で捉えるけど、ほんとに満たされるものって憧れに近いもの。



上さま 
でもさ、字の書き方とか読み方って基本だから、みんな習ってると思ってたけど、うちの孫なんかの書き順が違うのを見てると、「時代が違うか」と思わざるおえない。

スーさん 
時代が違うんでしょ、やっぱりね。だって「書き順が違うよ!」って親がうるさく言うことないもんね、親が分かんないから(笑)。

上さま
だからさ、孫が書き初め書くじゃない。そんときはちゃんと、ぼくの部屋入るときお辞儀して戸を開けさせて、掃除させたりして、それで「気を落ち着かせてやってみろ」ってやりましたよ。

ぐっさん 
そっから入るんだね。

上さま 
うん。だけどさ正月だけで終わっちゃう。2、3回書きゃ終わっちゃう(笑)。

ぐっさん 
墨をするっちゅうのも、気を落ち着かせるっていうね。いま墨汁でバーっとやっちゃうから、まだ書く準備ができてないうちにパッパッと書いちゃうでしょ。だけど墨すってると、「これからやるんだな」っちゅうね、気持ちになってくる。

スーさん 
墨っていい匂いがする。あれ、匂いを嗅いでるんですよ。膠(にかわ)やなんかが入ってるから変な匂いだけど、書の好きなひとはあれがいいってね。

上さま
でもさあ、やっぱし大きいの書こうと思えば、あれだけするってのは大変だからね(笑)。

スーさん
バケツなんかにつけて書くのはね(笑)。

ぐっさん 
ははは。

上さま 
でもいまからでもやりたいですね。

スーさん 
きっと、みんなね、そういう気持ちあると思う。自分はこれをやりたいけどやれないっていう。

いまちゃん 
ああ。

スーさん
みんな第二の人生をすぐ職業で捉えるけども、ほんとに満たされるものってのは憧れに近いもので、近づこうと思う気持ちがあれば「やろう」っていう気も出てくる。

第二の人生なんて、しみじみ考えたことなかったな、おれ。やっぱりもう、第三ぐらいかもしれないな。

ぐっさん
いまは折り紙一生懸命やったりなんかしてるけど、ぼくはもう第三だね。

いまちゃん 
仕事だけじゃなくて、遊びとか趣味も大事と。

スーさん
いまの話は遊びじゃなくて、趣味の方だよな。

いまちゃん 
あ、そうですね。ちなみに趣味でゴルフってどうですか?

スーさん 
ゴルフ深いけど、知的じゃないよな。だから、いまはさ「知」の部分で満たされるものがないよ。

上さま 
ゴルフは遊びだよ、完全に。

スーさん 
そう、遊び。だけど遊びでも、ものすごいなんか嬉しかったり悲しかったりしますよね。

上さま 
運動だし勝負だしねぇ。

あと、ゴルフってのはコミュニケーションの取り方なんかも、いろいろいい勉強になるよ。

いまちゃん 
なるほど。他になにか「これやってて良かった、これやるといいよ」みたいのありますか?

上さま 
ぼくは仕事してるとき趣味で蘭をやってたんですよ。

蘭ってのは洋蘭と東洋蘭とあって、洋蘭は王室の中にあるようなどっちかっていうと派手な花で、東洋蘭はもっと地味なタイプの花。ぼくは東洋蘭をやってたんだけど、それをやったのが40歳代からかな。

でぇ、東京都職員蘭友会ってのがあってね、そういう会に入ったの。何をするかって言うと、蘭を自分で育てて展示会で発表するわけですよ。そういうのやってて。

それでぼくは、蘭室っていう蘭の温室持ってるから、いまも植えたりするんだけど。だから考えてみると大きな趣味だね。40代後半ぐらいから、蘭の部屋をつくって自分で育てて、多いときは百鉢くらい育ててた。

一時は利益になるようにしたこともあるけど、趣味っていうのはね、利益を考えると汚くなちゃってできなくなっちゃう。

スーさん 
(笑)

上さま 
だから、そんなの考えてると人間汚くなっちゃうから、こんだ自分で好きなのをやって。それで、例えば三越とか大丸とかで、展示会があるときに出品求められたりして、それは勤めながら趣味としてやってたよね。

結局、東京都の蘭友の代表にさせれて、ぼくが都の中で蘭展をやって、発表会をやったりしましたよ。でも、なんか時間を掛けて育てて、花を咲かせるっていうのはいい趣味だと思うよ。

スーさん 
蘭って、四季あるの?

上さま 
一番多いのは春なんだよね。

スーさん 
春蘭って、ジジババのこと言うわけじゃないの?

上さま 
ジジババが発展したわけ。ジジババは全然つまんないでしょ。ジジババを赤にさせたり、白にさせたりしたの。

スーさん 
じゃあジジババのグループ?

上さま 
そりゃあもう、500も1000も種類あるから。

スーさん 
そんなにあるんですかぁ!?

上さま 
もう広すぎちゃってね。

値段もひと鉢、500円から1万円、10万円、100万円、1000万まであるからね。

スーさん 
すげえね。夏の蘭、秋の蘭ってあるんですか?

上さま 
ある。

スーさん 
一年中蘭はあるんですか?

上さま
洋蘭で、シンピジュームとか胡蝶蘭とかって、あれは温度掛けて温室で育てるわけね。だから一年中咲かせるし、それで派手ですよ。

ふつう蘭っていうと洋蘭の方に目がむくと思うけど、ぼくのはどっちかっていうと地味なワビサビの世界に近くなるけど。東洋蘭は日本の精神、禅の精神ですよ。

スーさん 
お茶とかと近いですよね。

上さま 
そうそう、そっちの世界。だから和室でちゃんと。

いまちゃん 
ぼく、はじめて蘭の世界を知りました。

スーさん 
蘭の好きなひといっぱい居るよ、苔の好きなひとも居ますよね。

上さま 
うん。ぼくも苔もやったけど、苔は苔でまた違う世界があるのよ。苔と蘭は合うし、苔は皐月とも合うし。若いときは、皐月は皐月でまたやりましたよ(笑)。

スーさん 
そうー。皐月はなんでもうしないの?

上さま 
あれ、刺して大きくなるでしょ。

スーさん 
刺してって、土にさすの?

上さま
そうそう、そうです。そうするとそれが大きくなっちゃって。
だからなんやかんや、やってんだけど、一番は父親の影響が強い。父親が全部やってたわけ、蘭もそうだし、皐月もそうだし。家でぼくが小ちゃいときから育てて、やってるの見てるから。字もそうだけどね。

スーさん
結局、ずうっと親のやること見て覚えてんでしょうね。

上さま 
だって薔薇なんか、親父が戦前にイギリスから20種類ぐらい取り寄せてたからね。

38歳くらいのときかな、お祭りのときに蘭が売ってたからオヤジに買ってやろうと思って、親孝行で買ってって。

そうしたら中国の蘭ってのは匂いがするの。日本の蘭ってのは匂いがしなくて色が綺麗なんだけど。

それでオヤジが喜んじゃってねぇ、だからぼくも、なけなしの金でオヤジに孝行するつもりで買ったんだけど、そしたら自分がやり出しちゃって、深い世界でねぇ(笑)。

いまちゃん
そうなんですねぇ。

スーさん 
「胡蝶蘭はまだ生きてますか」っていう便りが一番困るよね(笑)、一ヶ月半ぐらい経つとみんな来るんだよ・・・・。

いまちゃん
そろそろ時間ですね。だいぶ参考になりました、わたしも考えた方がいいですね・・・・先のこと。消化仕切れてないんで考えます。今日もありがとうございましたー。

・ ・ ・

(おわりです)

・ ・ ・

なお、本文中でスーさんがお勧めしてくれた本はこちらです。とっても面白いそうなのでわたしも読みます。

聞いてくれてありがとうございます。いかがでしたか?気に入っていただけたら、ぜひスキ(♡)やフォローをお待ちしています。励みになります。感想やヴィダンシ(ヴィンテージ男子)へのコメント、聞きたい話題などもいただけたら、嬉しいです。頂いたコメントは、ヴィダンシにもちゃんとお届けします。今後の会議の参考にもさせてもらいます。よろしくお願いします!

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