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「子供まで敵を憎いって仕向けるのが一つの教育」 、86歳が語る戦争とは。(前編)


「どうして日中戦争は始まったのか?その反省は生かされているのか?」、もう一度振り返りたいと、上さまが朝日新聞のとある社説とお父さんの出征資料を持ってきてくれました。日中戦争のいきさつ、戦時中の暮らし、終戦してみんながホッとした話など、80年前の戦争記録写真帳を見ながらリアルな話を聞かせてもらいました。

MONOGATARI KAIGI @DAIKON no KAI
#56GIJIROKU

モノガタリテラー

だいこんの会 
ガチな美術マスター 上さま(85歳)
江戸っ子オーガナイザー かとちゃん(78歳)
言葉のファンタジスタ スーさん(80歳) 
精巧な折り紙職人 ぐっさん(77歳)

ナビゲーター

元ギャルバン娘 まるこ(38歳)

アシスタント

知ってることだけ知ってる Siri(8歳)

父親が支那事変に行ったんだけど、僕は「なんで戦争ってつかないんだろう?」って。



上さま 
今日さ、これ最初に。これ刷ってきたやつなんだけど、これでいいよね?

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まるこ 
そうですね。

上さま 
僕はさ、8月15日の回は家族旅行で休んだけど、15日に戦争の話したんだよね?終戦記念日だもんね。

まるこ 
そうですね、上さまと同じで、小学校6年生で終戦を経験されてる方も、一緒になって。

上さま 
会いたかったなぁ。

まるこ 
その方も上さまにお会いしたいって、おっしゃてました。

ぐっさん 
い・・・いいわさん?

まるこ 
そうです、そうです。

上さま 
どこの人?

まるこ 
池上の方で。いいわさんは、ご婦人たちをまとめて、いろいろな活動を池上やあの周辺でやってらっしゃる方なんですよ。

上さま 
あ、そう。で、これ、この前持ってきたのは社説にあったやつで、僕らにとっちゃあね、気にかかったっていうか。

ぐっさん 
うん。

上さま 
「こういうことがあったんだ」ってことなんで。あの、今日もう一度、戦争を振り返っていくわけなんだけど、まず、ここにあるように、暴支膺懲(ぼうしようちょう)って、スーさん知ってる?

スーさん 
知りません。

上さま 
スーさんでも知らないか。

スーさん 
ふっふっ。わたし、いつも知りません(笑)。

上さま 
それでここにさ、あるように。結局、この言葉がどういうわけか流行ったって、どういう風に新聞やラジオが報道したのか、ここにに書いてあるわけですよ。

スーさん 
暴支膺懲(Siriで検索)。出てきたよ〜。

上さま 
出てきた?

スーさん 
大日本帝国陸軍のスローガンですって。

上さま 
そうなんだってね。

スーさん 
うん。

上さま 
あのねぇ、日中戦争って今言うけども、僕らは父親がね、これに取られたんですよ。だから、戦争行ってきたんだけれども、あの時、支那事変って聞いてたわけ。

まるこ 
あ、でもわたし、歴史の教科書で支那事変で勉強しました。

上さま 
みなさん、支那事変だった?

ぐっさん 
僕はのちに知ったことなんで、支那事変って。

スーさん 
わたしたちね、そこのとこは習わなかったですよ。

まるこ 
へ〜。

上さま 
中間的に、あの、いろいろあったんだよね。

スーさん 
うん、終戦が21年だから。こんな話、ちょっとまとまってなかったんですよね、まだ。

上さま 
かとちゃんも大体似たようなもんでしょうね。

かとちゃん 
よくわかんないな、わたし。

スーさん 
習わなかったよな?1個違いだもんなっ。

上さま 
この下に書いてあるようにね、(暴支膺懲は)支那事変における、スローガンだったっというわけですから。まぁ、とにかく封建時代ですから、これでもって牛耳って行く世の中っだんだよね。「あの暴虐な中国を懲らしめよ」という意味なんだけども、暴虐かどうかってのは、勝手にねえ?侵略者である日本が、帝国陸軍がこういう風に言葉を使って。

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一同 
うんうん。

上さま 
「南京政府に反省を促すため」って、総理大臣の近衛文麿(このえ ふみまろ)ってのが言ってね。これで、泥沼に入って、太平洋戦争に突入して。

ようするに、なだれ込んだことによって、どんどん戦争を大きくしていったってことね。

僕が子供の時はね、昭和16年の12月8日に太平洋、大東亜戦争という名でもって、戦争が始まったわけ。「大日本帝国陸軍海軍は戦闘状態にある、南太平洋・・・・」だったかな、そういうラジオがあって。それで宣戦布告ってのが、わかりますよね、子供でも。

だけどさ、この支那事変ってのはここにあるように、どっから始まったのか、ズルズルって、入ってくの。その前に満州事変っていうのがあって、満州の鉄道かなんかを日本がケチつけて、それでもって戦争起こして。

ぐっさん 
盧溝橋(ろこうきょう)とか、なんとかって。

上さま 
そうそうそうそう。ようするに、日中戦争の発端が盧溝橋になんのかな。

まぁ、そういう形で、宣戦布告しないでズルズルって行って。父親が支那事変に行ったんだけど、僕は「なんで戦争ってつかないんだろう?」って思ってたら、

スーさん 
ああ〜。

上さま 
ズルズルっという、こういう暴支膺懲という雰囲気の中でなっちゃったわけだよね。

で、ここに床屋さんが急に暇になっちゃったって書いてあるけど、なぜ、暇になったかっていうと、みんな坊主にしちゃうからね、キレ〜イに。失業しちゃうよね(笑)。

ぐっさん 
うん。

上さま 
坊主にしちゃうと、あとはみんな家のバリカンで(笑)。

スーさん 
あはは、やる?

上さま 
うん、やっちゃう(笑)。

スーさん 
なるほどっ。わたしね、わかんないことが一つありましてね。

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上さま 
ええ、ええ。

スーさん 
中国と朝鮮があって、中国はバキッと、お金を大量に要求したりせずに、「もういいですよ」って。で、朝鮮は味方で戦ったのに、なんでこうまで食いついてくるんですかね?

上さま 
食いついてくるって?あ、今ね。

スーさん 
うん。

上さま 
だけどさ、僕もそのいきさつ、逆に聞きたいくらいだけど。

スーさん 
ふっふっふっ。

上さま 
秀吉の時はわかるよ、朝鮮を日本がさ。あの時の500年前の侵略は、結局失敗したから、それはそれでいいんだけれども(笑)。

明治時代に朝鮮を朝鮮事変ですか?勝手に軍事力でもって、日清戦争、日露戦争に勝った勢いでさ、統治しちゃった。

ぐっさん 
実質的な植民地化しちゃったもんね。

上さま 
軍国主義ですよ。戦争するっていうよりは、武力でもって植民地にしちゃったじゃない。

スーさん 
中国はどのくらい参戦したかわかんないけど、一応勝った側の国じゃない。それなのに、あまり要求してこないのは何で?

ぐっさん 
僕が思うにはね、中国大陸っちゅうのは広いから、日本軍が占領してたっちゅう地域は点々で。

で、朝鮮半島は狭いから、日本軍が全体に統治したわけだよね。それで、韓国の人たちに「日本語を使え」だとか、「名前を変えろ」とかって、そういう要求をどんどんしていったわけでしょ。

スーさん 
だけど、中国は勝った側なのになんで要求してこないの?膨大なお金を。

上さま 
いやぁ、それは、

ぐっさん 
実質的に勝ったのは、蒋介石(しょうかいせき)の軍が勝って。で、そのあと共産党と蒋介石が戦って、

スーさん 
台湾行っちゃたからね。

ぐっさん 
そう。共産党が勝っちゃたもんだから、蒋介石が台湾に逃げたわけでしょ。

スーさん 
うん。

ぐっさん 
だから、その後の政権だから、実際は中共軍っちゅうのは、

スーさん 
じゃあ、台湾からなぜ請求して来ないの?

ぐっさん 
共産党っちゅうのは、日本と戦ってないんだよね。実質的には、戦争中にはなんかやってただろうけど、ゲリラとして。

それで、田中角栄が行って、周恩来(しゅうおんらい)か、あれと握手して話ついちゃったでしょ。

スーさん 
話チャラになったんだよね。

上さま 
おっしゃるとおりさ、中国はさ、蒋介石だった。

ぐっさん 
そう、蒋介石。

上さま 
まあ、毛沢東(もうたくとう)があそこまで出てくる力を、共産主義で力つけてきたのはそのあとだったから。

蒋介石は重慶(じゅうけい)まで逃げちゃって、一番奥のほうまで逃げちゃったじゃない。

スーさん 
うん、うん。

上さま 
ただね、正直な話ね、父親が行ってきたじゃない?それでいろいろ送ってくるんだけど、こういうのがあるのよ。

・ ・ ・

戦争っていうのは嫌ですよね、どこでもいいから破壊して。



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ぐっさん 
おお。

スーさん 
お〜、すごいっ。支那事変出征記念写真帳。

ぐっさん 
戦前のですか?

上さま 
戦前だね、庄司部隊ってのはね。

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かとちゃん 
右から読むんだ。

まるこ 
ほんとだ!右から読むんだ。

上さま 
僕はこれで育ったんだよ。「ドレミファソラシド」じゃなく、「はにほへといろは」って言うの。僕の時代ってのは、もう、複雑。

ぐっさん 
すごい。こういうの、よく取っておきましたね。

上さま 
それでね、ようするに一つの部隊なんだよ。新潟の高田にあった部隊なんだけども、各県に一つずつくらいあったじゃない。

で、こうやってもったいぶって偉い人順に、地位の高い人からだんだん出てくる、と。日の丸の旗でもって、あの歌なんだっけ?夜来香(イェライシャン)。

ぐっさん 
李香蘭(りこうらん)?

上さま 
李香蘭の。あのころだよね、これね。李香蘭ってのは山口淑子。

スーさん 
そう、山口淑子。国会議員になっちゃった。

まるこ 
どの時代も、芸能人って政治に行く人多いんですね。

上さま 
プロパガンダなんだよね、宣伝用に。

まるこ 
あ、そういうことですか。

ぐっさん 
慰問に行ったりね、みんな。

スーさん 
中国との橋渡しで、役にたったの。

ぐっさん 
利用しただけだよね。

上さま 
ただね、こういう歴史的建造物を、父親のこれで見るとね、破壊してるんだよ。

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スーさん 
うわぁあ、あ〜あ。そしたら、文句があって良さそうだよねぇ。

上さま 
中国全部攻めたわけじゃないけど、

中支、南支にもかなり行ったのかな?かなりの部分を攻めて。南京にしても、上海にしても、主なとこみんな。

これが昔の上海なんだよ、今とそんなに変わらないから、ほら。

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まるこ 
え、これ戦前ですか?随分なんか、こんな栄えてるんですか?

上さま 
これ有名。

スーさん 
有名なところ、わたし行きましたよ。

上さま 
覚えてる?

スーさん 
大昔。あの、大体そんな感じでしたよ。

上さま 
だって、あんた小さすぎたんじゃないの?

スーさん 
いやいやいや、戦後。

上さま 
あ、行ったんか。

スーさん 
うん。

上さま 
そんな感じだったか?

スーさん 
うん、そんな感じでしたよ。

上さま 
これは一つの、中国の発展した都市の象徴。

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まるこ 
なんか、海外ぜんぜん知りませんけど、アメリカとかヨーロッパとか、みたいな。

ぐっさん 
イギリスが統治してたからね。

上さま 
東洋の商業都市。

スーさん 
自由都市みたいな感じになってた。

まるこ 
へ〜。でもこれが戦前ってことは、80年くらい前にはこういう街並みだったっていうこと?

上さま 
そうだね、おっしゃるとおり、ちょうど80年くらい前。

ぐっさん 
今はもう高層ビルがすごいね、いっぱい建ってね。

上さま 
それはもう、世界中そうなっちゃたけどね。こういう情景なんか見ると、昔が忍べるんだけどね。

これ、「勇躍堂々の進軍」って書いてあるけど、これ攻めて行ったわけですよ。

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まるこ 
でも、キレイに保存できるように一枚一枚の間にちゃんと、

ぐっさん 
ね。

スーさん 
あのね、昔くっついちゃうの。

上さま 
ベタッと。

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スーさん 
剥がれなくなっちゃう、それで間に紙を。

まるこ 
なるほど。

スーさん 
ろう紙みたいなやつ。

まるこ 
たしかに、父親とか母親のアルバムにも。

スーさん 
開く時に、でしょ?

まるこ 
はい。

上さま 
ここに写ってるのは、揚子江だと思うんだよ。揚子江って、今なんだっけ?一番大きい河。

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まるこ 
こ、黄河?

上さま 
黄河はもっと北になる。ええっと、揚子江って今は・・・・呼び方違うんだよね。で、これで見るとね、日本がかなり攻めて壊してるんだよ。これ、どっかの駅でしょ?

スーさん 
揚子江(Siriで検索)。

まるこ 
ふふ、ほんとに使いこなしてますね(笑)。

上さま 
当時は揚子江って言ってたけど、今言わないでしょ。

かとちゃん 
そうだっけ?

スーさん 
揚子江(Siri再び)。はぁい、出てきた!

Siri 
17キロメートル先の揚子江を検索しました。

スーさん 
揚子江っていうお店が出てきた(笑)!

一同 
わははははははは!

まるこ 
ほんとだ(笑)!揚子江ってお店が。

上さま 
中国料理か四川料理か、あはは。

ぐっさん 
そんなお店があるんだ(笑)。

スーさん 
そっち出てきたの?

まるこ 
あ、長江って。

上さま 
長江だ!今、長江って言うんだ、そぅそぅそぅ。
これがほら、いまの長江、むかしの揚子江ですよ。父親に言わせると、「海みたいで向こうが見えない」って。

スーさん 
そうだってねぇ〜。

ぐっさん 
う〜ん、広いらしいね〜。

上さま 
揚子江って、中国のCMでもなんでもよく出てくるからさ。東洋のやっぱし、ひとつの原点っていうかさ、中心だよね。

で、かなりこうやって破壊してるんですよ。橋じゃない?これ。

スーさん 
ああぁ、なるほど。

上さま 
ねえ。日本はこれを勝った一つの印としてさ。

菅井 
記念に撮影した?あっはっはっ、記録写真だ。

上さま 
戦争っていうのは、嫌ですよね。どこでもいいから破壊して。

ぐっさん 
すごい記録してるんですね。

スーさん 
東洋一の都でしたね。

上さま 
上海から帰ってきたの?

スーさん 
いやいや、わたしは戦後行ったの。

上さま 
あ、行ったのか。でもみんな、あっちに行ったじゃない、そのころ。

スーさん 
わたし昭和18年にもう、満州から東京に帰ってきちゃった。

まるこ 
幼いころ、満州にいらしゃったんですか?

上さま 
中国で生まれたんだよ。

まるこ 
あ、そうなんですか。

スーさん 
中国っていうか、満州国。

上さま 
当時、中国と満州は違ってて、日本が占領して満州にしちゃったの、昭和8年。

まるこ 
へ〜。

上さま 
一番、北部の地ね。

スーさん 
それで、「満州がヤバイ」って言うんで。母親の親父が、日本に連れに来たの。

上さま 
だからいい、日本がまだ勝ち戦で有利な時に、引き上げちゃった。

スーさん 
ふっふっふっ。

上さま 
先見の目が高かったから。

スーさん 
商人だからね。

上さま 
戦後だったら、帰って来られなかったよ。

スーさん 
うん、22年とか3年にね。

上さま 
帰って来られた人と、来られなかった人と。

ぐっさん 
孤児になってたかも、わからないよね。

スーさん 
孤児になってたら、もう少ししっかりしてたかもね。へへっ。

ぐっさん 
(笑)

上さま 
ほら、これもこんな破壊してんだよ。だから、当時は悪いことしたんだよ、日本ってのは。

スーさん 
だから、そういうことしといて、なんで賠償請求はされないのかっていう。

上さま 
だから、蒋介石、居なくなっちゃたから。もしするとしたら台湾だよ。

スーさん 
でも、その前の時代のものを壊してるからね。

上さま 
だけど、こんな破壊をしながらさ、日本はここに書いてあるように、宣戦布告もしてねぇんだよ、これ。太平洋戦争の時はちゃんとしたんだよ。これ、してないんだよ。

スーさん 
大東亜戦争ってのあったけど、

上さま 
大東亜戦争は太平洋戦争だから、あとで言い換えて。

スーさん 
大東亜は、戦前じゃないんですか?

上さま 
戦前。僕らの時は大東亜戦争が始まったって言ったけど。アジア共栄圏っていうか。

スーさん 
第二次世界対戦って、いつから言い出したの?

上さま 
あれもその中に日本が入るけど、ドイツから始まったから。で、日本も一緒にその中に入って。

スーさん 
入っちゃうんだね。

上さま 
でも、あれは西洋と両方で幅が広いけど、これは宣戦布告しないで、「中国人は変なやつだ」って。

ここで一番困るのは子供がね、向こうの一番トップの蒋介石と奥さん、宋美齢(しょうびれい)って言うんだけど、「その人を憎らしい」とかなんとかって。子供にもそういう、雰囲気にもってちゃってんの。

ぐっさん 
だから教育っちゅうのは、恐ろしいですね。

上さま 
うん。で、父親の話だと日本刀を振り回してさ、「勘弁してください」って言ってるのを首から切っていくっていう。「貴様、なんだ!」って、この思想ですよ。なんでもないさ、向こうの住人を座らせといて、首をたたっ切るんだからね。

・ ・ ・

2019-10-22-TUE
(つづきます)

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