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真面目に平和を考える。 01.藤田嗣治は日本に戻りたい、その胸中持ちながら死んでった。


ヴィダンシの中には、戦中・戦後の戦乱の中で暮らしていた方々がいます。今回は平和をお題に、当時の空襲や食糧難のエピソード、戦後74年目のいまどんなことを考えているのか、特別参加のおふたりも交えて語って頂きました。全7回よろしくお願いします。※こちらは2018年に収録したものです。

MONOGATARI KAIGI @DAIKON no KAI
#31GIJIROKU

モノガタリテラー
だいこんの会 
永遠のギタリスト ナギー(75歳)
ガチな美術マスター 上さま(85歳)
江戸っ子オーガナイザー かとちゃん(78歳)
言葉のファンタジスタ スーさん(80歳) 
精巧な折り紙職人 ぐっさん(77歳)

ゲスト参加
えーさん
びーさん

ナビゲーター

さそんさん(仮45歳)


・ ・ ・

01
藤田嗣治は日本に戻りたい、その胸中持ちながら死んでった。



上さま
ぼくさ、記念切手がずいぶんあるんだけども、なんか捨てられるような物でもないし、銀行入れるほどの物でもないと思ってさぁ(笑)。どうしようかなぁと思ってるんだけども。

かとちゃん 
シリーズもんでよくあるでしょ!

上さま 
浮世絵みたいな大きめのあったじゃない、あれ良かったよね。おれ、あんまり買ってないけども、見るだけでも楽しいよね。

かとちゃん
郵便局近いといいんだけど、遠いとおっくうになっちゃって。

ナギー 
まあ、切手収集してね、「楽しい」って言ってられるってのは平和だね(笑)。

一同 
(笑)

スーさん 
平和だよ、真面目に平和。でぇ、今日の平和はだれの平和をいうの、政治の話?個人の話?

さそん
政治の話でも良いんじゃないんですか。

スーさん
政治はダメだなぁ、わかんねぇな。

さそん 
わかんないすかぁ?政治ねぇ。

上さま 
大臣の顔見てもさ、なんか話したくなくなっちゃうよね、無気力になっちゃう(笑)。

さそん 
(笑)

スーさん
総裁選のもうひとりの候補の方も大変だよね。

さそん
石破さんでしたっけ。

スーさん 
あの石破さんってのも、まだよくわかんねえなぁ。

上さま
でも、けっこう地方票が入るんじゃないのかね。

かとちゃん
そうみたいですね。

えーさん 
大臣の誰だかはねぇ、このまえ子どもを山奥から見っけた、ボランティアのおじさんと同い年ですよ。

一同 
ああ、そう。

さそん
子どもを見っけたおじさん(笑)。

えーさん 
あの子どもを見っけたおじさんの方が、あたしゃ上だと思うんだよ。

一同 (笑)

えーさん 
大臣より(笑)。

上さま 
大臣たちは、風貌がなんかの親玉みたいに見えるもんね。

えーさん 
ふつうにあのおじさんの方が偉いよ。65で商売なんて辞められないですからねぇ、ふつう。

スーさん
お湯湧いた?

さそん 
お湯?あ、見てきます。

えーさん
あ、湧いた湧いた。ごめんなさいね。

ナギー 
平和の話より、お湯の方が大事だって(笑)。

スーさん 
平和だよ、これが平和。

ナギー
じゃあ平和代わりにコーヒー飲んで終わりにしましょうか(笑)。

一同 
(笑)

上さま
平和な話だね。

かとちゃん
一番平和だよね(笑)。

上さま
でね、前回の話で翌日にさ、ぐっさんから電話があったんですよ。で、その電話の内容はってんで、ぼく今日刷って来たからさ。

さそん
ああ、はい。ネタがあるんですね!

ぐっさん
いや前回、上さまが藤田嗣治の話されたでしょ。その翌日にね、朝日新聞の天声人語に藤田嗣治のことが載ってたんですよ。それで読んだもんだから、上さまから話聞いたばっかりで、これは偶然にもと思って、上さまに電話したの。上さまんとこも朝日新聞とってるかなと思って。

上さま
そう、それでちょうどぼくが語ったことが、まるっきしこれに。

さそん
へえ〜。

ぐっさん
もう上さまが書いたんじゃないかって思うような記事なんですよ。まるっきし同じ。

さそん
その次の日に偶然ってことですもんね。

上さま
でぇ、藤田嗣治がどういう運命でどうだったってのが、いま朝日新聞に毎日のように出てますよ、いろいろなことで関わってくるひとだから。いっぱい記事があって全部は取りきれないけどね。

ぐっさん
これですね。

上さま
藤田ってのは、日本でいまだに居ないだろうけど、むこう(海外)で世界トップクラスの画家になってさ、日本へ帰って来たときに戦争の絵を描かさざるをえなくて、陸軍作戦画ってのを描かされたんだよね。

えーさん
そう載ってましたね。

上さま
それで、それを描いたために終戦後、戦争犯罪人扱いにされちゃって。この前の日曜美術館って番組でもやってたけど、「あなただけが代表になってくれ」って言われたってね。その話はおれも奥さんから聞いたことあるんだ。藤田には君代っていう夫人が居て、その人とぼくは展覧会でお会いしたことがあるんだけど、そう言ってたね。

ぐっさん
たまたま話聞いあとに日曜美術館で放送してたんで、ぼくも観ました。

スーさん
おれも観てた。

ぐっさん
ある意味成功したんだけど、日本からはやっかまれて、ずいぶん冷たく扱われて。それで日本へ帰ってきたらまた・・・・って、そういう話してましたね。

上さま
いま報道はそこまでされないけど、奥さんの話だと、もう生きる心地がしなかったってね。犯罪人として東條英機やなんかと同じように処刑されるっていうさ、そういう扱いで。「戦争を煽った、あんな酷い絵を描いた、陸軍作戦の絵画だ」っていうことになっちゃって。

アッツ島玉砕の絵なんてのは、いま有名でね、うちにも描いたやつあるんだけど。スーさんさ、おれたち子どもの頃は講談社の本ってのは、われわれ子どもが読む一番中心的なもんだったなんて言ったけどさ、おれ子どもんとき、藤田の絵が講談社の本に載ってんの見たんだよ。

スーさん
金持ちの子が持ってた(笑)。

上さま
金持ちってのはあれだけど(笑)。講談社の本で南昌爆撃つったかなぁ、南昌って中国のね、たしか南昌を爆撃した絵を覚えてるんだよ。

で、まあそこに派遣されて絵を描いてんだよね。筆を持つか銃を持つかってことで、画家だからみんな筆を持って行くけど、その代わり戦況の絵を描かないといけないんだって、そういうことでね。

ぼくは小磯良平っていう画家の展覧会もやったことがあるんだけども、小磯良平が描いたのは馬とかね、平和なとこっていうか、そういう絵が多かった。

藤田はさ、あれは写真を見ながらだろうけど、アッツ島玉砕の絵なんて激戦のところを描いてて凄いもんね。

ぐっさん
ぼくは実際に観たことないけど、こないだテレビでやってるの見て、日本人がいっぱい累々と重なるようなね。

上さま
その絵は昭和30何年までアメリカ行ってたのが日本へ戻ってきて、いまは竹橋の国立近代美術館にずっとありますよ。いま上野の展覧会で全部飾ってあるけどね。

やっとなんとか認めてくれるひとが居て、アメリカで指導してくれっていうんで、ニューヨークに8ヶ月居て、それからパリ行って洗礼を受けて、レオナルドダヴィンチじゃなくて、レオナルド藤田なんて呼ばれてさ。

もうなんか酷いこと散々言われてたから、日本に帰れなくなちゃったんだよね。藤田の奥さんもそんなようなこと言ってたね。

ぐっさん
肉声も残してましたね、テープでね。

さそん
ちょっといま検索したんですけど、この絵?アッツ島玉砕ってやつ。

上さま
そうそう。

さそん
衝撃的な絵だ・・・・。

上さま
藤田はさ、むこう行ってね、相撲の情報とか写真だとか絵をどんどん欲しがるわけ。家にカウンターがあって日本のBARみたいになっててさ、そこで好きな広沢虎造の浪花節を聴いて。

ほんとはね、フランスに帰化なんかしたくない、日本に戻りたい、日本人なんだよね。相撲が好きで浪花節が好きで、それだけの胸中持ちながら日本に帰れず死んでったんだよね。

さそん
ああ。

スーさん
藤田の絵は、日本版の絵の具使ってる?

上さま
牡蠣かな、貝を粉にしたのを使ったんですよ。

スーさん
そうそうそう、それと岩の絵の具。それで乳白色を作り出してね、あの色が西洋になかったんだよ。

上さま
胡粉つって日本画の顔料で真っ白なのはだいたい貝の粉で、それを上手く使って描いてた。だからそれまで西洋の画家であんな白い肌を描けたひとは居ないわけで、みんなピンクかなんかが入ってるんだってね。

スーさん
ちょっとミルキーなのね。

上さま
どんどん描いて入選して、トップクラスになって名声をあげたんだけど、小まめでじっとしてないんだよね、だから多作なんだよ。

でも、多作だからそれがどんどん売れちゃうわけだよ。しかも、日本人画家なんてみんな苦労して帰ってくるのに、世界中に名が響いたから、思いがけなく売れちゃって金には困んなかったんだよ。

ぐっさん
日本の画壇からはだいぶ疎まれてたらいしいね。あんなの画家じゃないって。

上さま
やっかまれたんだよ。やっかまれたから戦後も最後にさ、「代表になってくれ」って。自分だけが死刑囚になるってところまでいったらしいから、そのときはすごく大変だったらしいよ。

藤田はアッツ島の絵を描くのを、あんまり悪く思わなかったのは、ギリシャだとか昔の戦争画とかをドラクロワやなんかがみんな描いてる。それと同じ境地で描いたんだと思うよ。だけれども、結果的には戦争を煽る陸軍の作戦画ってことで、その代表になっちゃった。

ほかの画家も絵は描いたんだけど、平和な馬を描いたり船を描いたりしてたんだよ、藤田も最初はそうだったんだけどね。だからまた平和になったら、猫描いたり子どもの絵を描いたりしてね。

ただ、展覧会開くときに困ったのは、贋作が多くてね。だからある美術館の館長に、「上原さんよくやるねぇ」って言われたけど、贋作があって大変だから、みんな嫌がったんだってさ。

それで、君江さんは年中裁判を起こしてたんだよね。

だけどそれだけ贋作がいっぱい出るってのは、売れるからで、世界中でどんどん売れてるし、評価が高いんだよ。自分で額も作ってるんだけど、それもみんな高く売れるんだよ。藤田が額を彫ったら美術品になっちゃうからね。ほかに日本でこれだけ売れる画家は居ないでしょ。

いま著作権が切れてやり易くなってきて、ちょうど銀座の画廊なんかでも出してきてますよ。

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2019-10-09-WED
(また明日つづきます)

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