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わたしたちは戦争から何を学べばいいですか? 01-資格のない人でも、子供たちに教えなきゃなんない。


終戦記念日を翌日に控えた8月14日、小学校6年生で戦争を体験された、ゲスト参加のいいわさんも加わった面々に戦中戦後の暮らしぶりをうかがいました。墨で塗りつぶした教科書、ジープに乗った兵隊がくれたHERSHEY'Sチョコレート、物が不足してた時代を生き抜いて、「食べるものがないから食べちゃった(笑)」とお茶目に笑う姿にタイトルの答えをひとつもらったような気がしています。全4回どうぞよろしくお願いします。

MONOGATARI KAIGI @DAIKON no KAI
#53GIJIROKU

モノガタリテラー 
だいこんの会 
永遠のギタリスト ナギー(75歳)
ガチな美術マスター 上さま(85歳) 
言葉のファンタジスタ スーさん(80歳) 
精巧な折り紙職人 ぐっさん(77歳)

ゲスト
マダムリーダー いいわ(86歳)

ナビゲーター
アトリエクロック
元ギャルバン娘 まるこ(38歳)


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01
資格のない人でも、子供たちに教えなきゃなんない。



まるこ 
時間も過ぎたので、今日はこの5名で始めていこうと思います。よろしくお願いします。

一同 
よろしくお願いします。

まるこ 
今日はですね、明日が終戦記念日ということなので、戦争に関するお話をしてみたいなと思ってるんですが、明日で終戦して74年ですよね。

いいわ 
そうです、そうです。

まるこ 
この時期になると、メディアで一斉に戦争に関する話題が報道されるじゃないですか。触れる機会は多くなるんですけど、どうしても自分ごととして落とし込めないというか。

いいわ 
うん、うん。

まるこ 
「戦争って怖いな」「二度と起こしちゃいけないな」って、もちろん思ってるんです。でも、日常ではないから来月になったら忘れてるんですよね、毎年。なので、わたしなんかが「戦争は良くない」とか言うのも、なんだか言葉が軽くって安易に口にしちゃいけないんですけど、戦争を知らないわたしたち世代は、いったい戦争から何を学べばいいんだろう?って正直思ってるんです。

ぐっさん 
安易なんかじゃないですよ。こういうことに関心を示すこと自体が、僕は大事なことだと思いますよ。今の上の人たちは、戦争の話とか戦前の話を避けてる傾向があると思うから。

まるこ 
上っていうのは?

ぐっさん
政府ね。今の政府のやり方って、公文書を平気で改ざんしたり、「無い」って言ってたものが出てきたり、書類を書き直したり、そんなことばっかりしてるでしょう。森友の問題だって、改ざんさせられた人が自殺してるのに検察は不起訴にしちゃうわけだし。だから、世の中がだんだんおかしくなってきてると思いますよ。この間の参院選挙でも、北海道で街頭演説を聞いてた一般人がヤジを飛ばしたら、それだけで警察に連れて行かれちゃったでしょ?なんだかこのまま進んで行くと「もの言えない世の中」になりそうな気がするんだよね。74年前の日本に回帰してるような気がしてるんですよ、僕、個人の考えですけど。

いいわ
わたくしね、大田区の小学校に「戦争体験の話し合い」ということで、小学6年生に一年に一度、教えに行くんですよね。

まるこ 
いいわさん、戦争を体験されてるんですね。

いいわ 
ええ、ちょうど小学校6年生のころね。疎開をしてたから、戦争そのものの生々しい実態はないんですけど、でも当時の体験者としてお話をさせてもらってるの。ただ、もう話す人自体がいなくなってきてるのよね。

スーさん 
亡くなっていきますからね。明治の話だって、大正の話だって、もう誰もしないからね、昭和もだんだん遠くなってきたってことですね。

いいわ 
政府のお役人だって、今は戦争を知らない世代ばかりでしょう。

ぐっさん
でも、いくら戦争を知らない世代っちゅうても、過去の歴史から学ばないとダメですよ。このあいだラジオで聞いたんだけど、「戦争間際に公文書をいっぱい焼き捨てて、証拠が残らないようにした」って、そういうことがあったんだって。今の政府のやってることも当時と同じじゃない。だからこのまま進んで行くのは恐いなって、僕は危惧してるの。

スーさん
だいじょうぶっ。

ぐっさん
う〜ん。

いいわ
でも、あの戦争で酷い仕打ちを受けた人って、たくさんいますよね。わたくしの同級生でも、疎開に行って帰ってきたら親兄弟が亡くなってて、戦争孤児になった人もいるんですよ。

ぐっさん 
僕も同じですよ。親父とお祖父さんは3月10日の東京大空襲で2人共亡くなっちゃって、われわれ子供たちはお袋の実家へ疎開してたから助かったけど、うちが持ってたガラス工場も実家も丸焼けでしたよ。男2人が死んじゃってさぁ。

スーさん
わたしは4月13日だったね。

いいわ 
どこで空襲に合われました?

スーさん
落合で。

いいわ
わたくしは横浜でしたから5月29日でした。

スーさん 
もう終わりのころですね。

いいわ 
ええ。

スーさん
わたしね、終戦の翌年に小学1年生になったんですけど、当時の新1年生ってのは大変だったんですねぇ、国語の内容がどれだけ変わったことかっ。

いいわ 
そうね、変わりましたよねぇ。わたくしも中学生に上がるタイミングだったから、勉強内容がガラっと変わりましたもの。

スーさん 
そうかぁ、上さまと同い年だ。わたしの6年上だから、切替りのタイミングが同じなんですね。

いいわ
そうですね。

まるこ 
今まで教わってきたことが、手の平を返したように変わったんですか?

いいわ 
すごい変わったわよ〜。しかも、本も無かったから教科書も戦前のものを字を消して使ってね。

まるこ
塗りつぶして使ってたんですか?

いいわ
そう、墨で塗りつぶしてね。なんせ紙自体が全く無かったから。

スーさん
わたしはお祖父ちゃん、お祖母ちゃんの実家がある山形の米沢に疎開して、そこで小学1年生になったんだけど、1年生に配給があったのは小ちゃな石版と白墨、それだけだったの。

まるこ
教科書も無しですか?

スーさん
うん、無かったね。先生が黒板に「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」って書いたら、それを真似て書いてさ。

いいわ 
あら!アサヒ読本なのね。わたくしたちは「サイタ サイタ」のサクラ読本で習ったわね。

スーさん
「サクラ ガ サイタ」ってね。あれ、俺もそっちだったかな?ははは、よく覚えてるねぇ。

いいわ
「コイ コイ シロ コイ」もあったわよね、ふふふ。

スーさん
あった、あった、懐かしいねぇ。それで、先生に教わったことを石版に書くんだけど、うちに帰るころには消えちゃってるんだよ(笑)。

まるこ
その日に勉強したものは、その日に消えちゃうんですね。

スーさん
しょうがないよ〜、白墨だから(笑)。

まるこ 
ちなみに、白墨ってチョークのことで合ってますか?

スーさん 
合ってるよ。

ぐっさん 
でも、そういう状況だったから頭もよくなったんじゃない?

スーさん 
よくねぇ〜よ〜。教わったものはぜ〜んぶ頭ん中の風呂敷にしまわれて、取り出せない、探せない、どっかいっちゃった。

一同 
(笑)

いいわ 
そういえばね、小学校の卒業証書はこのくらいの大きさでしたね。(A5サイズほど)

スーさん
そうそう、その大きさだったね。懐かしい〜!

まるこ 
なるほどぉ、紙が希少な時代だから?

いいわ 
でも、貰っただけ良いほうなのよ。貰えなかった人なんて還暦を迎えるころに小学校の卒業証書が届いたっていう話もあるんですから。

スーさん 
うんうん。当時は先生もいなくってさぁ、みんな女の先生で代用教員だったよね。

いいわ 
そうそう。

スーさん 
今思えば先生かどうかもわからないけど、こっちは子供だし、その人が黒板に書いたとおりのことを書くわけだ。

まるこ 
先生も人手不足で、代わりの方が教えてたんですか?

スーさん
だってさ、男の人は死んじゃっていないしさ。

ぐっさん
生きてる人は、どんどん兵隊に行っちゃうしね。

いいわ
どんどん徴兵されて、先生たちもいなくなったわけ。だから、資格を持たない人でも誰かが子供たちに教えなきゃなんないっていう時代だったのよ。

まるこ
そういう時代だったんですね。

いいわ
先生もお若い人でしたね。あの当時、中学4年で卒業できたわけだから、きっと20歳そこそこよねぇ。わたくしが小学6年生だったから、7つか8つくらいしか違わない人に教わっていたってことよね。

ぐっさん 
お姉さんくらいの感じですね。

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2019-09-19-THU
(つづきます)

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