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真面目に平和を考える。(全篇)


ヴィダンシの中には、戦中・戦後の戦乱の中で暮らしていた方々がいます。今回は平和をお題に、当時の空襲や食糧難のエピソード、戦後74年目のいまどんなことを考えているのか、特別参加のおふたりも交えて語って頂きました。※こちらは2018年に収録したものです。

MONOGATARI KAIGI @DAIKON no KAI
#31GIJIROKU

モノガタリテラー
だいこんの会 
永遠のギタリスト ナギー(75歳)
ガチな美術マスター 上さま(85歳)
江戸っ子オーガナイザー かとちゃん(78歳)
言葉のファンタジスタ スーさん(80歳) 
精巧な折り紙職人 ぐっさん(77歳)

ゲスト参加
えーさん
びーさん

ナビゲーター

さそんさん(仮45歳)

01 藤田嗣治は日本に戻りたい、その胸中持ちながら死んでった。



上さま
ぼくさ、記念切手がずいぶんあるんだけども、なんか捨てられるような物でもないし、銀行入れるほどの物でもないと思ってさぁ(笑)。どうしようかなぁと思ってるんだけども。

かとちゃん 
シリーズもんでよくあるでしょ!

上さま 
浮世絵みたいな大きめのあったじゃない、あれ良かったよね。おれ、あんまり買ってないけども、見るだけでも楽しいよね。

かとちゃん
郵便局近いといいんだけど、遠いとおっくうになっちゃって。

ナギー 
まあ、切手収集してね、「楽しい」って言ってられるってのは平和だね(笑)。

一同 
(笑)

スーさん 
平和だよ、真面目に平和。でぇ、今日の平和はだれの平和をいうの、政治の話?個人の話?

さそん
政治の話でも良いんじゃないんですか。

スーさん
政治はダメだなぁ、わかんねぇな。

さそん 
わかんないすかぁ?政治ねぇ。

上さま 
大臣の顔見てもさ、なんか話したくなくなっちゃうよね、無気力になっちゃう(笑)。

さそん 
(笑)

スーさん
総裁選のもうひとりの候補の方も大変だよね。

さそん
石破さんでしたっけ。

スーさん 
あの石破さんってのも、まだよくわかんねえなぁ。

上さま
でも、けっこう地方票が入るんじゃないのかね。

かとちゃん
そうみたいですね。

えーさん 
大臣の誰だかはねぇ、このまえ子どもを山奥から見っけた、ボランティアのおじさんと同い年ですよ。

一同 
ああ、そう。

さそん
子どもを見っけたおじさん(笑)。

えーさん 
あの子どもを見っけたおじさんの方が、あたしゃ上だと思うんだよ。

一同 (笑)

えーさん 
大臣より(笑)。

上さま 
大臣たちは、風貌がなんかの親玉みたいに見えるもんね。

えーさん 
ふつうにあのおじさんの方が偉いよ。65で商売なんて辞められないですからねぇ、ふつう。

スーさん
お湯湧いた?

さそん 
お湯?あ、見てきます。

えーさん
あ、湧いた湧いた。ごめんなさいね。

ナギー 
平和の話より、お湯の方が大事だって(笑)。

スーさん 
平和だよ、これが平和。

ナギー
じゃあ平和代わりにコーヒー飲んで終わりにしましょうか(笑)。

一同 
(笑)

上さま
平和な話だね。

かとちゃん
一番平和だよね(笑)。

上さま
でね、前回の話で翌日にさ、ぐっさんから電話があったんですよ。で、その電話の内容はってんで、ぼく今日刷って来たからさ。

さそん
ああ、はい。ネタがあるんですね!

ぐっさん
いや前回、上さまが藤田嗣治の話されたでしょ。その翌日にね、朝日新聞の天声人語に藤田嗣治のことが載ってたんですよ。それで読んだもんだから、上さまから話聞いたばっかりで、これは偶然にもと思って、上さまに電話したの。上さまんとこも朝日新聞とってるかなと思って。

上さま
そう、それでちょうどぼくが語ったことが、まるっきしこれに。

さそん
へえ〜。

ぐっさん
もう上さまが書いたんじゃないかって思うような記事なんですよ。まるっきし同じ。

さそん
その次の日に偶然ってことですもんね。

上さま
でぇ、藤田嗣治がどういう運命でどうだったってのが、いま朝日新聞に毎日のように出てますよ、いろいろなことで関わってくるひとだから。いっぱい記事があって全部は取りきれないけどね。

ぐっさん
これですね。

上さま
藤田ってのは、日本でいまだに居ないだろうけど、むこう(海外)で世界トップクラスの画家になってさ、日本へ帰って来たときに戦争の絵を描かさざるをえなくて、陸軍作戦画ってのを描かされたんだよね。

えーさん
そう載ってましたね。

上さま
それで、それを描いたために終戦後、戦争犯罪人扱いにされちゃって。この前の日曜美術館って番組でもやってたけど、「あなただけが代表になってくれ」って言われたってね。その話はおれも奥さんから聞いたことあるんだ。藤田には君代っていう夫人が居て、その人とぼくは展覧会でお会いしたことがあるんだけど、そう言ってたね。

ぐっさん
たまたま話聞いあとに日曜美術館で放送してたんで、ぼくも観ました。

スーさん
おれも観てた。

ぐっさん
ある意味成功したんだけど、日本からはやっかまれて、ずいぶん冷たく扱われて。それで日本へ帰ってきたらまた・・・・って、そういう話してましたね。

上さま
いま報道はそこまでされないけど、奥さんの話だと、もう生きる心地がしなかったってね。犯罪人として東條英機やなんかと同じように処刑されるっていうさ、そういう扱いで。「戦争を煽った、あんな酷い絵を描いた、陸軍作戦の絵画だ」っていうことになっちゃって。

アッツ島玉砕の絵なんてのは、いま有名でね、うちにも描いたやつあるんだけど。スーさんさ、おれたち子どもの頃は講談社の本ってのは、われわれ子どもが読む一番中心的なもんだったなんて言ったけどさ、おれ子どもんとき、藤田の絵が講談社の本に載ってんの見たんだよ。

スーさん
金持ちの子が持ってた(笑)。

上さま
金持ちってのはあれだけど(笑)。講談社の本で南昌爆撃つったかなぁ、南昌って中国のね、たしか南昌を爆撃した絵を覚えてるんだよ。

で、まあそこに派遣されて絵を描いてんだよね。筆を持つか銃を持つかってことで、画家だからみんな筆を持って行くけど、その代わり戦況の絵を描かないといけないんだって、そういうことでね。

ぼくは小磯良平っていう画家の展覧会もやったことがあるんだけども、小磯良平が描いたのは馬とかね、平和なとこっていうか、そういう絵が多かった。

藤田はさ、あれは写真を見ながらだろうけど、アッツ島玉砕の絵なんて激戦のところを描いてて凄いもんね。

ぐっさん
ぼくは実際に観たことないけど、こないだテレビでやってるの見て、日本人がいっぱい累々と重なるようなね。

上さま
その絵は昭和30何年までアメリカ行ってたのが日本へ戻ってきて、いまは竹橋の国立近代美術館にずっとありますよ。いま上野の展覧会で全部飾ってあるけどね。

やっとなんとか認めてくれるひとが居て、アメリカで指導してくれっていうんで、ニューヨークに8ヶ月居て、それからパリ行って洗礼を受けて、レオナルドダヴィンチじゃなくて、レオナルド藤田なんて呼ばれてさ。

もうなんか酷いこと散々言われてたから、日本に帰れなくなちゃったんだよね。藤田の奥さんもそんなようなこと言ってたね。

ぐっさん
肉声も残してましたね、テープでね。

さそん
ちょっといま検索したんですけど、この絵?アッツ島玉砕ってやつ。

上さま
そうそう。

さそん
衝撃的な絵だ・・・・。

上さま
藤田はさ、むこう行ってね、相撲の情報とか写真だとか絵をどんどん欲しがるわけ。家にカウンターがあって日本のBARみたいになっててさ、そこで好きな広沢虎造の浪花節を聴いて。

ほんとはね、フランスに帰化なんかしたくない、日本に戻りたい、日本人なんだよね。相撲が好きで浪花節が好きで、それだけの胸中持ちながら日本に帰れず死んでったんだよね。

さそん
ああ。

スーさん
藤田の絵は、日本版の絵の具使ってる?

上さま
牡蠣かな、貝を粉にしたのを使ったんですよ。

スーさん
そうそうそう、それと岩の絵の具。それで乳白色を作り出してね、あの色が西洋になかったんだよ。

上さま
胡粉つって日本画の顔料で真っ白なのはだいたい貝の粉で、それを上手く使って描いてた。だからそれまで西洋の画家であんな白い肌を描けたひとは居ないわけで、みんなピンクかなんかが入ってるんだってね。

スーさん
ちょっとミルキーなのね。

上さま
どんどん描いて入選して、トップクラスになって名声をあげたんだけど、小まめでじっとしてないんだよね、だから多作なんだよ。

でも、多作だからそれがどんどん売れちゃうわけだよ。しかも、日本人画家なんてみんな苦労して帰ってくるのに、世界中に名が響いたから、思いがけなく売れちゃって金には困んなかったんだよ。

ぐっさん
日本の画壇からはだいぶ疎まれてたらいしいね。あんなの画家じゃないって。

上さま
やっかまれたんだよ。やっかまれたから戦後も最後にさ、「代表になってくれ」って。自分だけが死刑囚になるってところまでいったらしいから、そのときはすごく大変だったらしいよ。

藤田はアッツ島の絵を描くのを、あんまり悪く思わなかったのは、ギリシャだとか昔の戦争画とかをドラクロワやなんかがみんな描いてる。それと同じ境地で描いたんだと思うよ。だけれども、結果的には戦争を煽る陸軍の作戦画ってことで、その代表になっちゃった。

ほかの画家も絵は描いたんだけど、平和な馬を描いたり船を描いたりしてたんだよ、藤田も最初はそうだったんだけどね。だからまた平和になったら、猫描いたり子どもの絵を描いたりしてね。

ただ、展覧会開くときに困ったのは、贋作が多くてね。だからある美術館の館長に、「上原さんよくやるねぇ」って言われたけど、贋作があって大変だから、みんな嫌がったんだってさ。

それで、君江さんは年中裁判を起こしてたんだよね。

だけどそれだけ贋作がいっぱい出るってのは、売れるからで、世界中でどんどん売れてるし、評価が高いんだよ。自分で額も作ってるんだけど、それもみんな高く売れるんだよ。藤田が額を彫ったら美術品になっちゃうからね。ほかに日本でこれだけ売れる画家は居ないでしょ。

いま著作権が切れてやり易くなってきて、ちょうど銀座の画廊なんかでも出してきてますよ。


・ ・ ・

02 当時の平和ってのは、戦争に勝つことなんだよ。



上さま
ところで、みなさん玉砕って言葉の意味知ってます?

ぼくも子どもだったから、正しくは分かってなかったんだけど、ようするにさ、喜んで国のために死ぬことを玉砕っつうらしいんだけどね。

アッツ島玉砕でね、二千何百人がさ、全員アメリカに攻撃されて、あれから日本がどんどんどんどん負けてっちゃうわけだけど。記事には出征してったひとだけじゃなくて、疎開したひとのはなしも載ってるけどさ、ふつうだったら爆撃されると悔しがるのに、とにかくもう、自分のうちが焼けても、「ああ良かった、お国のためになった」って。

「お国のためになった、バンザイ!」なんてする雰囲気に、われわれは育ったんですよ。

さそん
うーん。

上さま
ちょっといまからは考えらないと思うんだ(笑)。

さそん
そうですねぇ。

ぐっさん
いまの時代からしたらほんと考えられないですよね。なぜそうなったかって言うと、やっぱり軍隊の力が強かったんだろうね。

上さま
戦争に負けるって言葉出したら、もうすぐ殴り殺されるっていう・・・・終戦になるまで、そんな雰囲気があったから(笑)。

だから、ほんとに自分のうちが爆撃されて「ああ良かった、お国のためになった」って、なにがお国のためかって思うけど、ねぇ、そう言うしかない状況だったんだよね。

さそん 
生まれてもの心ついたときに、もう戦争やってて、いつ空襲がくるか分かんない状況だってことですもんね。

上さま 
だけど、いまだに覚えてるのは、小さくてもなんか疑問はあったよ。

さそん
ありました?「なんでこんなことしてるんだろう」っていう?

上さま
なんて言うのかなぁ、日本人だし、雰囲気がそうだから、戦争は勝たなくちゃいけないっていう気持ちはもちろんありますよ。だけど、なんだろうねぇ、ちょっと上手く言葉にできないけどさ。

だって、ぼくがさ、七五三のとき着せられた服は軍服で、敬礼してるんだもん。紀章もつけて。

さそん
じゃあほんと出征のときの。

上さま
だからようするに、陸軍大将をお雛様と同じように捉えてるってことだよね。ぼくは男だから5歳のときだ。でぇ、その服はお袋が全部編んでくれて。

今日写真持ってくれば良かったなぁ。

さそん
ああ、いまでもあるんですね。

上さま
だから戦争中、ぼくと同じくらいの子どもは、「国のために死ぬのは当たり前だ」と言われて育てられてたわけだ。

さそん
喜んで、死んでくっていうねぇ。

上さま
そうだ、だからさ、「天皇陛下バンザイ!」って笑顔で死んでくなんて、子どもながらに考えられないから、お袋に聞いたんですよ、5、6歳のときかな。

靖国神社の爆弾三勇士って、3人で飛び込んでって「天皇陛下バンザイ!」って死ぬのを観たときに、「なんで死ぬのに笑顔なんだ」ってのを。

そしたらお袋が困ってたのを覚えてるよ。そういう雰囲気が中学入る前まで、続いたね。

それから韓国、北朝鮮なんて言わなかったもんね、朝鮮って言ってたから。北海道は樺太か。それをみんな日本だと思って育てられたんだからさ。実際、日本として地理で習ったしね。

さそん
ああ、外国じゃないってことですよね。

ナギー
中国は支那ですか?

上さま
そう支那。中華民国ってそのあとで言ったのか、その前後からかな。

ぐっさん
支那、支那って言ってましたよね。石原さんもよく支那、支那って言って。

上さま
あれは侮辱するような言い方でね、石原さんは・・・・。

ぐっさん
あれはよくないよね。

上さま
中国のひとにとっては、気分が悪いよね。

ぐっさん
わざと言ってたんでしょ、挑発するような感じでね。

ナギー 
でも、支那そばなんか美味かったけどね(笑)。

一同 
(笑)

かとちゃん
そう!ラーメンを支那そばって言ったもんね。

上さま
話飛ぶけどさ、支那そばって、おれ大岡山に行くときいつも戦前食べたんだよ。「美味しい物だな」ってのはともかくとして、

そうしたら中国にオヤジが行ったときに、「むこうに支那そばなんてない、ラーメンなんてない」っつうだから(笑)。

でも、むこうから来たもんに間違いはないよね?

ぐっさん 
そうでしょうね。

かとちゃん
当時でいうと、それが平和だったんですかね?

上さま
当時の平和ってのは戦争に勝つことなんだよね。平和のために戦争をじゃないんだよ、戦争はあるのが前提だから。だから戦争に勝たなくちゃいけないっていう義務教育をされてきたんだよ。

おれよか上のひとたちなんて、中学入ると全員鉄砲持たされて、将校が来て、軍事教練をさせられてさ。藁の人形立てといて、それにみんな突っ込むって訓練を女学生もやってたよ。

さそん
女性もやってたんですよね・・・・。

びーさん
わたしは朝鮮に行ったんだけど、女学校で竹槍を持って訓練やりましたよ、運動服着てね。

さそん 
そうなんですか。

上さま
だからさ、久が原にアメリカのボーイングB-29か24か分かんないけど落っこったんだってさ、吞川の脇に。そしたらみんなで竹槍持って、すっとんでったんだって。そしたら刺しちゃいけないっていうんで止められて。戦争の中の協定でもあるわけだから、やっちゃいけないってことで。

殺すのはあたり前だからさ、それも変な・・・・って思うけど、そういう取り決めはちゃんとあったんだね。

一番酷いのは子ども。久が原小学校をいつも考えちゃうけど、艦載機グラマンとか、クライシストってのが来て、飛行機で撃っていくわけね。「禁じられた遊び 」って映画があったけど、ほんとあんなふうに飛行機が来てバァーッって撃っていくから、それでみんな子どもがやられちゃう。

スーさん 
絨毯爆撃つってね、当たるも当たらないも無差別に、あたり一帯に爆弾落としてく、絨毯みたいに。そういうのもあったよね。

上さま
それを受けたのは墨田区本所深川だね、あそこは絨毯爆撃やられたよね。焼夷弾で火がついた油が落っこってきて、家を燃やすわけだよ。

ちょうどその話をね、こないだ、はと屋のオヤジさんとしてさ、オヤジさん5歳のとき本所に居たみたいなんだけど、爆撃のとき居たひとはほとんど隅田川へ飛び込んで、亡くなった状態で浮き上がったんだって、言ってましたよ。

ぐっさん
そん中のうち、2人は、うちですもん。うちのお祖父さんとオヤジはそれで亡くなったんですよ。3月10日。

お祖父さんは亡くなったあと、うちの近くで見つかったけど、オヤジの方はとうとう、もうどこ行ったか分かんない。累々と積み上げてあったらしいから、そん中入っちゃったんじゃないのかな。

上さま
そうだってねぇ。隅田川そのものが煮あがっちゃったくらい、熱くなったいうもんね。

ぐっさん
いま墨田区石原町っていうけど、むかしは本所石原町つって、一番激しく焼けた場所なんですよ。だから近くにその当時の様子を展示したのがあるからって観に行ったけど、ほんと凄かったようですね。

上さま
はと屋のご主人はさ、5歳だったから集団疎開させられてたんだけど、たまたまなんかあって帰ってきたんだって。そしたらやられちゃったって。

ぐっさん
うちはね、たまたまお袋と子どもたちは3月10日の前にお袋の実家に疎開したんですよ。それで母親と子どもたちはみんな助かったけど、お祖母さんとお祖父さんとオヤジは東京に残ってて、で、男2人亡くなってお祖母さんだけ助かった。


・ ・ ・

03 戦争ですごく腹が立ってるのは、若いのに「特攻隊だ、体当たりして来い」って。



上さま
言ってるように、子どもで爆撃されてバンザイって喜んでるっていう心境ってのは完全にもう・・・・。

えーさん 
洗脳されてんですよ。教育は怖いですよね。

上さま
まあナチスにしてもね、みんなこういう団体主義ってのはさ。

ぐっさん
怖いですよね。

えーさん 
なんとなく、ここんとこの日本もなんかそんなキナ臭い感じがしますよね。

ぐっさん
そうですねぇ。

えーさん 
内閣が軽薄だから。

ぐっさん 
まあ、どうせこのまま安倍さんがやるんだろうけども、3年やったら日本はね、大変な世の中になっちゃうと思うよ。もうみんなもの言えない。

上さま 
だって今度の憲法改正ってことは、戦争をさ、容認することだもんね。いままでさ、前文にもある通り、戦争を放棄してるわけだから。放棄してるのにこんだの総理大臣は、放棄じゃなくて軍隊を認めることにもっていく、憲法をつくりたいわけでしょ。

でもいま若いひとたちはさ、若いひとたちっていうか中年、あるいは5、60代以下のひとたちはさ、戦争の経験がないってのはともかくとして、北朝鮮に攻められたら困るから防衛能力持たなくちゃいけないっていう考え方で、再軍備すべきだっていう風潮が強いじゃない。

一同 
うーん。

スーさん 
でもねぇ、1000人も、北朝鮮に持ってかれてね、何にもできない国家ってのもどんなもんでしょうかね。それは軍隊がないからですよ。みんな知ってるわけでしょ、世界は。「日本は手出ししないから、やりたい放題やってやれ」みたいな。だからそこの塩梅ってのは難しいですよね。1000人もさ、持ってかれちゃって、帰ってきたの5人くらいでしょ。

さそん 
そう、ほんとですよね。あと995人くらいはねぇ。

スーさん 
そんな独立国ってないわけですよね。

さそん 
そうですよね、国が泥棒働いてるわけですからね。

スーさん
そうですよぉ。

上さま
その辺のさぁ、なんて言うのかなぁ、解釈というか使い分けというか。

スーさん
トランプなんて日本に25%関税掛けるわけでしょ。ああいうひとたちとさ、同盟結んでてね、もし中国とか北朝鮮が攻めて来たら、「まず日本がやれ」って言うんでしょ。

上さま
「まず日本が自分の金使ってやれ」って、ことだよね。

スーさん
そういう国と手を結んでて、弱い自衛隊じゃ参っちゃうでしょうよ。でぇ、自衛隊は憲法に一言も載ってないから、国のために死ぬっていう気持ちもないわけですよね。

まあ、わたしね、戦争ですごく腹が立ってるのは、18歳ぐらいの若いのにね、「特攻隊だ、飛行機乗って体当たりして来い!」って指示出したね、日本の指導者って酷いと思うんだよ。

さそん 
でしょうねぇ。

スーさん
そんなことをさせるくらいなら、彼ら18歳のオヤジたちをさ、乗せて行かせなきゃダメだよ。新生日本を立ち上げるためには、あの18歳以下の子どもたちは、何としてでも守らなきゃいけない。

上さま
自分が死ぬんじゃなくてね、自分は残ってって、そして「みんな死んでいけ」っていう気持ちがさ、異常な精神状態なんだけども、そういう異常な精神状態にもっていかれる時代だったってことはあるよ。

びーさん 
いまの時代には考えられないけどねぇ、昔はなんとも思わなかったんだもんね。

上さま 
平和な時代にはとても考えられない。

ぐっさん 
8月になるとラジオなんかでも、戦争当時の話をしてるじゃないですか。そういうのでたまたま聴いたんだけど、特攻隊が飛行機で空母なんかにぶつかっても、全然、痛くも痒くもないんですってね。

ほんとは爆弾の方が、衝撃が大きいんだって。飛行機で、よもや上手くぶつかっても、甲板にちょっと穴が空くくらいで全然被害ないんだって。

スーさん 
煙突の上に落ちなきゃダメなんだってね。

ぐっさん
それがなかなかぶつかるって、できないらしいよね、飛行機が揺れちゃうんだって、ぶつかろうとしても。

さそん
うん。

上さま 
それにさ、向こうから船艦だけじゃなくて、駆逐艦やなんかいっぱい来るわけじゃない。もう砲弾がバンバン飛んでくるからさ、そんなとこ潜り抜けて行けたっていうのはほんと稀だし、ぶつかったって全然向こうには影響ない、ほんとガソリンタンクかなんかにぶつからない限りは。だから1000発行って1発が当たるかどうかくらいで。

ぐっさん 
だからほんと軽微なんだって、穴が。ぶつかっても。

上さま
それをスーさんじゃないけど、「行け行け」ってどんどんやって、しまいには飛行機なくなって行けなくなったひと、いっぱい居るよね。

スーさん
いっぱい居る。飛行機が悪いからね、届かないつって近くの島に降りてるね。なんだっけ?九州にあるじゃない、飛んでく基地が。あそこの博物館行ってねぇ、驚いたのは、

上さま
知覧?ああ、ぼくも行ってきた。

スーさん
そうです、そこで手紙見てたらねぇ、字の上手いやつが4、5人居てね、そいつらがみんなの分書いてるんだよね。「同じじゃねぇかぁ、字がぁ」って(笑)。

上さま
おれさ、みんな死ぬとき「お母さーん!」つって行くじゃない。「お父さーん!」とはなんで言わないのかと思ちゃった(笑)。

一同 
(大爆笑)

スーさん
それは母親でしょ、結局ね。

さそん
それはしょうがないんだ(笑)!そこはいいんだ!

スーさん
父親はね、体を呈して子どもを守れないと思うね。母親は本能で守るけど。その本能があるから人類が生まれるわけだけど。父親が死んじゃったら、これまた困るけどね、生産性の問題があるから。

上さま
日本から戦争が始まってまだ一番いいときだよ、12月8日に宣戦布告したでしょ、で、提灯行列やったのは香港陥落の時だったかな、だから2月頃だよ。

提灯行列つって、日本はお祭り騒ぎでさ。でぇ、おれその時、石川台に住んでたんだけど、軍令部総長に近いひとが居てさ、そしたら鯛だとか、なんかいっぱい送ってくんだよね、戦争中に。勝利したから、香港陥落したからって入ってくるんだよね。

で、そのくらい調子がいいときもあったんだけども。

鍾馗様って昔のお雛様にも居る名前のついた、鍾馗っていう戦闘機を発表したときは、爆撃機で呑龍っていうのがあったんですよ。それを守ってくのが隼って戦闘機で。でぇ、吞竜は中島飛行機って会社があって、太田市で造ってたんです。講談社の絵本で見て知ったんだけど、いまのミャンマーで当時ビルマの首都のラングーンをね、それで攻撃したわけ。

その吞竜っていう爆撃機はイギリスのひとに葉巻煙草だって言われたんだよ。後ろが木でできてんだって、軽くするために。だから日本の飛行機はちょっと火があたると、燃えちゃうから、それで落っこってったって。あんま公に発表はしないんだけども、あとで話に聞いたよ。

ぐっさん 
僕も聞いたはなしではね、外国の飛行機は装甲板とかああいうのでしっかり造ってあって、日本はそういうのを全部省いて軽くしようっちゅうんで、ちょっと当たっちゃったらもう全部分解しちゃうんだって。だからひとの命なんてのは考えて造ってないんですよ。

スーさん
あのねぇ、零戦はね、やたら強かったの。戦闘機の撃ち合いってのはケツに付いて撃つわけね、でぇ、零戦軽いから機敏に動いて、けっこう勝ってたわけ。

それが頭にきてね、アメリカはグラマンっていう戦闘機の背後に厚い鉄板つけてきたの。日本はそれ知らなくてね、背後についてバンバン撃ってもダメなの。そこで背後をつかれてバーンってやられちゃった。それ以来、苦戦をしいられたんだよね。

上さま
昭和16年12月8日に太平洋戦争が始まったじゃない。その頃向こうの飛行機はね、カーチスP-40っていうのが戦闘機の一番先頭で。それからグラマンの2つのエンジンで動かす双発戦闘機がいて。ほかにもドイツにはメッサーシュミットとか、イギリスのスピットファイアとかの戦闘機があるんだけど。

で、ちょうど戦争開始から1年後、昭和17年12月8日って丸1年経った時に、多摩川のいま東急線の通ってるところで、分捕った戦闘機をみんな飛ばしたの。だからおれ見に行ってってさ、「ああ、日本ってここまで分捕って強えんだなぁ」と思って、でもそれからどんどんやられてっちゃうの覚えてるけどね。

・ ・ ・

04 だんだんとそうやって、憎しみが増えてくんだよ。



スーさん 
なにしろ、あのB-29ってのがね、怖かったですよ。夜ご飯食べてる頃に川沿いに遡ってくるんですよ。

上さま 
見た?

スーさん
見ました。

それでね、音が違うもん、ふつうの飛行機の音と。なんか、いやぁ〜な感じの音がウィーンって鳴って、「ああー!キタキタキター!」ってみんなね、防空壕に入るんだよ。

でぇ、B-29は探照灯で照らしても届かないんだって、その上飛んで来ちゃうから。届かないから撃ち落とせないんだよ。B-29の前は割に低いとこ飛んでたから、けっこう抑えてたんだね。でもB-29は全然見つからないんだって、音はするのに。

上さま
たしかさ、日本にその頃一回ね、偵察的に中型爆撃機が飛んできたんだよ。だから、おれ覚えてんだけど、久が原に高射砲があったから、それでバンバン撃つんだよ。

で、そのとき、おれがすぐ言われたのは、「破片が落ちるから外へ出るなっ!爆弾が破裂したのが頭に落っこってくるから」って。あの頃、防空頭巾があるから「被れー!」つってやってたんだけど、そういうことがあった。

あのとき飛んできたのは、ノースアメリカンB-24だったから、まあ3000Mくらいなんだけども、

B-29はさ、6000から8000Mを飛ぶでしょ、成層圏にいっちゃうよね。そうすると届かないから、日本がいっくら高射砲撃っても3000Mくらいしか届かないから、むこうは悠々と爆撃してんだよ。

スーさん
飛行機は届かないは、鉄砲は届かないは。

一同 
(笑)

びーさん 
「ああ、やってるなぁ」くらいでねぇ。

上さま
あの頃は隣組の班で練習するんだよね、バケツ持って砂掛ける(笑)。あとさ、警戒警報は「うーうー」って早いときは爆撃だけど、「うー」ってときは灯火管制で電気に全部黒い布をかぶせて、暗くするんだよね。

スーさん
わたしは落合というところの、上落合のほうに居て、川挟んで反対側が学習院なんですよ。そこに落ちたんですよ。

そういう時はうちのお祖父ちゃんが、6つぐらいのわたしを抱えて、ほかのひとは荷物抱えて逃げるっていう手筈だったんだけど、お祖父ちゃんも若かったから「見に行こう」なんつってね、おれを連れてったわけね。

そしたらうち中で「居ない!」つって大騒ぎ(笑)。

一同 
(笑)

さそん 
そりゃあ、なるね(笑)。

上さま
それはさ、さっきの一回偵察されたときかな?17年くらいだと思うんだ。

スーさん 
どうでしょう、よくあったんですよね。

上さま 
おれのうちの近くにもさぁ、高射砲あったっていうんだけど、いまは無いんだよね。

ナギー
すぐそこの道にありますよ。

スーさん 
高台にあるんだよね。

えーさん
そうそう、台座だけ残ってるでしょ。わたしが子どもの頃はコンクリートの立派な台座があって、古くなるまで残ってましたよ。

上さま 
ああ、そう、あそこにあったんだ。

スーさん 
うちの姉がね、わたしより13上で、兄が12上なんですよ。だから学徒動員で企業に行ったりしてたんです。

で、姉は三井農林の会社でやってて、社内配給で「すごいもんもらってくるなぁ」と思ってたの。あとで分かったんだけど、それがベーコンだっったの。

上さま 
ベーコン?

スーさん 
うん、ベーコン。社内に配ったんですね。姉がそれもらって帰って来たらね、おじいちゃんとおばあちゃんが「うーん・・・・」って考えて、匂いかいだりなんかして、難しい顔して(笑)。

一同 
(笑)

びーさん
「これ〜、なんだべぇっ?」なんてね(笑)!

スーさん
「とりあえず・・・・切れるだけ切って、大根と煮てみる?」なんて言って(笑)。

一同 
(笑)

上さま
やっぱし軍の関係族とか、飛行機造ったり、兵器造ってるとこにはあったんだよね。砂糖がなくなちゃってお菓子も配給でさ、配給のお菓子も最後なくなちゃったときだけどさ、兵器造ってるひとのところにはまだ潤沢に物資が来るんだって、おれも知ってるひとがそうだったって聞いたよ。

さそん 
そういうもんなんですねぇ。

上さま 
戦中は食糧難と生活の困窮度がすごかったから、あんときは子どもで食べさられてる年代だったからいいんだけど、育てる方は大変だったと思うよ。爆撃されるわ、配給もなくなるわで。

びーさん
やっぱそういんではいまは自由で、あんまり自由すぎてちょっとどうかと思うくらい自由で。

スーさん
自由いいじゃないですかぁ、これ以上ないじゃないですかぁ。

でも、戦後も大変でしたよ、全然甘いものなくてね〜。だけど、ララ物資ってのあったんですよねぇ!

さそん 
ララ物資?

スーさん 
そう。それはアメリカ西海岸のほうで、一食抜いたそのお金で「日本に物を送ろう」っていう運動が起きて、でっかい船で砂糖とかドーンと!届いて。

それからね2、3週間で日本中にバァーッと砂糖が出回って、配給に「洗面器持って来い」って言って、そういう時代が来るんですよね(笑)。

上さま 
そういうのもあったねぇ。

お米なんて物価統制令の代表的な物で買えないし、だからお米の通牒を持ってって配給もらいに行くんだけど、お米なくなっちゃって。代わりに麦とかね、粟とかを配るようになるんだけど、それも最後はなくなちゃって。

それであるとき、お米の通牒を持ってったら、砂糖が(笑)。「米の代わりに砂糖って!?」って思ったよ(笑)。大量に砂糖もらちゃって・・・・みんな困っちゃったてねぇ。

でも、終戦から何年か経ったら、砂糖なんてなくなって久しいから、ララ物資で、だいぶ恩恵受けたのは確かだよね。反動的なひとつの現象だね。

スーさん 
で、ララ物資の最後はヤギがいっぱい来たんだよ(笑)。

向こうのひとがね、「いっくらやってもダメだな。ヤギだったら草食わしとけば、ミルクが出るから子どもたちが飲めるだろう」って、船にいっぱいヤギが乗ってきた。

九州の方やなんかは凄く喜んだって言ったけど、東京のひとびっくりしちゃうよね。けど、学校に4、5匹居るとヤギの乳が飲めるもんね。

上さま
美味しいですよ、変わんないよ。

スーさん
そうですか、わたし知らないけど。

上さま 
ぼくの家も飼ってて、いつもそれ絞るんだけど、2匹くらいいると一家で十分飲めるくらいになるよ。牛乳よりクセはあるけど、濃くて美味しいし、飲んでると牛乳とほとんど分かんなくなっちゃうくらい。

スーさん 
ヤギのチーズもあるもんね、あれ美味しい。

さそん 
それはよく聞きますけど。

びーさん
あたしは韓国行ったもんだから全然そういうの分からないんですよ。

上さま  
韓国からはいつ帰って来たんですか?

びーさん
終戦が20年ですよね、22年に帰って来ました。

スーさん 
ああ、一番多い頃だ。

びーさん 
ええ、もうどんどんどんどんね、引き揚げ者で。

上さま 
シベリア行っちゃうと帰れなかったんだけど、朝鮮はまだ帰り易かったんですよね。

びーさん
そうですねぇ。

それでも終戦後は物騒になってね、鍵掛けてカーテン閉めて、真っ暗にして過ごしてましたよ。いままで使ってた韓国のひとがみんな物取りに来るって、そういう情報が回ってたから玄関を厳重にして、表出でないようにしてやってました。

そしたら引き揚げ車が始ってね。

上さま 
一変に180度変わっちゃうわけだもんね。韓国のひとがぺこぺこしてたのが逆に、「なんだよぉ」ってことになって。それはもうしょうがない、戦争に負けるってのはそういうことだよね。

ぐっさん
ぼくも職場にいる頃ね、実際に中国に兵隊で行ってたっちゅうひとの話聞いたんだけど、日本が満州とかあの辺で戦争して中国統治してるような状況だでも、軍隊のひともひとりでは外に出られないんだってね。外出る時は団体で出ると。

ひとりで出るとゲリラみたいので殺られちゃうんだって。だから絶対ひとりで行動しなかったらしいですよ。

さそん
ああ。

上さま 
おれの父親はさ、出征して中国行ってたからね、父親から聞いた実戦の話だけど、山に囲まれたところで両方で撃ち合ってるんだけども、どっちが敵か分かんないんだってさ。

ぐっさん 
いざ戦闘になると少尉ちゅうの、あれがまず偵察で最初に行って情勢見てくるんだってね。それから「突っ込めー!」とかなんとかって合図するらしいんだけど、その時そのひとが神様に見えるんだって。

びーさん 
ええ、神様!?

ぐっさん 
そう。

でも悪い将校だと「あいつ普段イジメてばっかいるから」っちゅうんで、後ろからその将校にむかって鉄砲撃つって、それも職場にいた中国に行ってたひとが言ってましたよ。

スーさん 
ええ!?おれ、そういうのやられそ・・・・。

上さま 
そういうこともあったらしいよね、「突撃ー!」って言ったらさ、

スーさん 
「痛えっ!?」なんて(笑)。

上さま 
部隊長が「みんなついて来い!突撃ー!」つったら味方に撃たれちゃって、みんな逆に逃げたりって、そういうこともあったんだよね。

ぐっさん 
実際に、そんな話聞きましたよ。軍隊中じゃ、上はもう絶対でしょ。だから下は、めちゃくちゃイジメられたらしいよね。もうその恨み辛みとかさ、いろいろあるだろうから。

スーさん 
またその逆でね、きっとね、偉いひとにすり寄ってって、ゴマするやつも居たと思うよ(笑)。

上さま 
あと、これも父親から聞いた実話なんだけどね、中国のある部落に攻め込んだときに、村のひと全部逃がして、村のトップ3人くらいのひとが座って、「もうこれ以上攻めないで下さい」って、やるんだって。

それを日本の下士官っていうか少尉になってるか、なってないくらいのが、「貴様らなんだ!」って、座ってるところをね、首を日本刀で叩き斬ってくんだって。斬れないで失敗することも多いみたいなんだけど。

もうそんなのね、学がないっていうか、学がないっていう言葉じゃ無理かもしれないけど、酷いもんだって言ってましたよ。そういう悪いことしてきたんだよ。嫌な話だけど、実際そうなんだよ。

びーさん 
ほんとにね。あの頃から見れば、いまそういうことはなくて平和ですよ、そういう意味ではね。

上さま
考えてみるとほんと恐ろしい世の中だよ(笑)。

スーさん
今度戦争あったら、どっかへ逃げちゃおう。

ナギー
それが一番ですよ。

スーさん
ねえ。どっか逃げようよ、穴掘ってさ。

さそん
どこへ逃げるんですか、穴掘って(笑)。

スーさん
(笑)。今日のタイトルにおさまった?

一同 
(笑)

さそん 
まあ、一発目おさまりました(笑)。

スーさん 
だから平和ってのは難しいよね。

命の危険っていう意味じゃ何にも心配がなくてもさ、ひとりの女をふたりで追い回すようなね、そんなの平和じゃないもんね。それでひと殺したりしてるんだから。

第一回目が始まると、殺されたほうはまたそいつを殺して、だんだんとそうやって憎しみが増えてくんだよ。


・ ・ ・

05 軍隊酒場って新宿でも銀座でもいっぱいあったよね。



上さま 
だけどさぁ、もう全然聴けなくなったけど、おれたち育った頃は唱歌より軍歌のほうが多かったもんね。学校行くと軍歌なんですよ。

ナギー 
この頃もカラオケ行くと軍歌もけっこうありますよ。

上さま 
でも軍歌知らないひともいっぱい居るでしょ。

ナギー 
そうそう、若いひとは歌わないですけどね、年寄りは唄ってますよね(笑)。

上さま 
終戦から10年、20年くらい経った頃、軍隊酒場って軍歌しか流れてないところがね、新宿でも銀座でもいっぱいあったよね。

おれなんかの上司たちは、みんな兵学校とか士官学校とか行っててさ、それで、要領がいいのか戦争から上手く生き延びて帰ってきて、東大とか京大行って、同じところに勤めてたんだよ。

そうすると、宴会のとき必ず唄うんだよ、軍歌を(笑)。

そういう世代はもう居なくなったよね。われわれは軍隊経験はないわけだから、おれたちより4、5年上のひとたちまでだもんな。

スーさん 
あのね、石原裕次郎唄うと軍歌みたいに思われるよ。

さそん 
そ、そうですか!?石原裕次郎ですよね(笑)。

スーさん 
そうだよぉ〜。

カラオケで石原裕次郎入れるとね、「軍歌ですかぁ?」って、そういう時代ですよ。

20歳くらいのひとだとそういう風に思えるよね。

ナギー 
20歳くらいのひとと一緒に行ったことないからなぁ(笑)。

上さま 
だけどさ、いまでも小学校1年のときから行事なんかあると、君が代唄うじゃないですか。

あの、君が代唄うって、なんか不思議なんだよね。考えてみるとさ矛盾してんだよね、あんなのまだ残ってるってことはさ。

さそん 
たしかに、そうかもしれない。

スーさん 
あれ万葉集かなんかですよね。

さそん 
万葉集かなんかのだけど、詠み人知らずで、誰が詠んだか分かんないんですって、あれ。

スーさん 
そうなの!?

あ、君が代唄わない時期がありましたよね。

びーさん 
わたしも韓国で君が代は唄わなかったですね。朝礼のとき軍歌は唄いましたよ。朝礼殿があって、みんなそこ向かって。

上さま 
ああ、朝礼殿。

天皇陛下の御真影がふたつ出てきて、みんなそこ向かって、お辞儀してね。神様と同じだよね(笑)。

びーさん 
そうなんですよね、なんかおかしいですよねぇ。いま考えてたらね。

上さま 
そういう矛盾した状況ってのはあるけども、おれたちに馴染みのある歌は軍歌っていうか、やっぱり戦争を煽ぐ歌なんだよ。

みなさん聴いたことあるだろうけど、海軍の「海ゆけば〜」っていい唄なんだよぉ!だけどあれも軍歌だからさぁ。

スーさん 
あれ長いんだよねぇ、何番も何番もある。樺太から沖縄まで歌詞があるんですよ。

ナギー 
そんなに?

スーさん
そう。でぇ、それぞれのいいとこちゃんとピックアップして歌詞にしててさ。

ちょっとネットで調べてごらんよ、「海行かば 歌詞」で出てくるから。

びーさん 
韓国でも海行かばでしたね、それ必ず朝礼で唄って。

上さま
「変わってくるぞ〜勇ましく〜〜〜」なんてそういう歌、ふつうに口ずさむなんて、いま考えると恐ろしいけどいい歌なんだよなぁ。

あと、いい歌だと思ったのは「麦と兵隊」だよ。

えーさん 
兵隊では直立して唄う歌手のひとでしたよね。なんだっけなぁ・・・・あ、東海林太郎。うちのオヤジもよく唄ってましたよ。

さそん
そうなんだ(笑)。

びーさん
いまのカラオケみたいにして唄ってましたもんね、何にも考えないでも口から出ちゃうのが軍歌でしたもんね。

さそん 
月月火水金金って、あれもそうですか?

スーさん 
休みなく頑張れっていう。

上さま
それ隣組でよく唄わされたよ。

かとちゃん
土日がないんだよね。

さそん 
やだ、そんな歌(笑)。

一同 
(笑)

上さま
あれ昭和・・・・15年か、そのくらいのときに生まれた歌じゃないかな。

えーさん
すっかりそれが身に付いちゃって、いまだに働いてるよ。

一同 
(笑)

スーさん 
「働くな」って言われるのが辛いよねぇ。「余計なことしないでじっとしててくれ」って言われるのが一番辛い。

えーさん
ねぇ、なんかやってないと気が済まない。

さそん 
そうですよね。

びーさん 
なにもしないで居るには時間がありますよね。やっぱなにかやってないと。

スーさん 
「鼻クソでも、ほじるじゃない!」なんて(笑)。

一同 
(笑)

スーさん 
あの頃の祝日て、天長節ってのが現天皇誕生日でしょ、明治節ってのが明治天皇の誕生日でしょ、それから紀元節ってのが日本が生まれたときのだよね。新嘗祭ってのもあったね。

上さま 
新嘗祭ってのは、お米の収穫を祝う行事でね。あと元旦だ、元旦に四方拝ってのがあって。四大節って言って、四方拝、紀元節、天長節、明治節の日は、祝日で休みなんだよ。だからその日は校長先生だろうがなんだろうが、必ず学校で歌唄って、戦況報告をするわけだよね。

真珠湾攻撃したとき、潜水艦がホノルルへ入ってさぁ、爆撃した隊長が、いわさ中佐、まえばし中佐で、出身がどうのこうのつったけど、いまの大迫選手みたいなもんで、校長先生が毎日ひとりずつそのひとの生まれをほめ称えてくわけだよ。

そういう朝礼を聞かされたね。

スーさん
もうそういう時代はこないっすよ。


・ ・ ・

06 もっと真剣にいろいろ考えていかなきゃ、ならないよね。



ぐっさん 
でも、また世界中が変な雰囲気になってるからねぇ、いまね。もうろくな指導者が居ないもんね。

さそん 
ろくな指導者(笑)。

ぐっさん 
トランプにしても、プーチンにしても、なんかちょっとおかしいんじゃないかって見えるよね、おれなんかからすると。そういうと怒られちゃうけど(笑)。

ナギー 
やっぱり自国が大事だから、どうしてもそうなっちゃうよ。

スーさん 
トランプだって日本に25%なんだよ、関税が。

ぐっさん 
もう日本は絶対言うこと聞くっちゅう、そう思ってるんでしょ。11月の選挙でアメリカにいい印象与えてね、中間選挙に勝てればいいってそれだけでしょ、あのひとは。

勝っちゃえば、あとはなんでもね、どうなっても関係ないんだよ。それで4年間居座れると思ってんですよ。

だからいま勝つために必死なんだよね、トランプも。もう岩盤な支持者が居るっちゅうからね。

スーさん 
自分の票はね、守るから、守りたいから。

上さま 
30%支持率があれば成り立つんでしょ、アメリカでは。

ぐっさん 
もう41%くらい居るらしいですよ。

上さま 
恐いよね、アメリカも。

ぐっさん
ちょうど景気よくなる時とトランプの着任が一致しちゃったからさ。

日本だってそうじゃない、民主党が悪いって言ってたけど徐々に回復してくるところで自民党に代わったわけでしょ。で、徐々に徐々に良くなってきて、でも全体に良くなってるっちゅうことじゃないでしょ。

アベノミクスとかあんなの失敗じゃないですか。

いま株価が上がってるっちゅうのは公的年金とか、国債とかどんどん買い増してるわけでしょ。だからあれ売ったらもう日本は破産しちゃうわけだよね、株なんか大暴落しちゃって。

だから売るに売れないんですよ。こんな公的年金なんかも株とかに投資する国なんてほかにないんだってね。

上さま 
恐いけどね。

スーさん
だけどさぁ、よその国は年金とか国民皆保険とかないとこもあるんだよ。日本は皆保険でみんな保険証持ってんでしょ、だから誰でも負担少なく病院なんかかかれるけど、アメリカとかは各自が保険に入んないと。高くて容易に病院なんか行けやしない。あれも酷いもんだよ。

上さま 
国じゃなくて自分でやるんだよね。

スーさん
だから日本みたいにそういう余った、お金を吸い上げてて、なんかに使うってのは基本的に裕福なんだよ。

ぐっさん
その金をどんどん注ぎ込んで株を上げてるわけでしょ、いま。買うには買うけど、売ったら大変なことになるから売れないわけでしょ。

上さま 
全然上がってないじゃない。

スーさん
いやいや高くなったとこで、少し離すんですよ。

ぐっさん
だってそれができないんですよ、それやったら大暴落しちゃうでしょ。

スーさん
別に全然問題じゃないじゃない。

ぐっさん
いや株が下がったら、もう。

スーさん
じゃあ株下げなきゃいいじゃない。

上さま
だから株が下がったら年金が下がるんだよ、それ以外ないんだもん。そういう投資なんだもん。

ぐっさん
外国の投資が離れてっちゃったら大変なことになっちゃうでしょ。

スーさん
外国の資本なんてあんまり入ってきてないから。

ぐっさん
株なんてものは実態のないもので吊り上げてんだからさ。なんか作って生産して売ったりなんかするんじゃなくて、なんか変な幻みたいなもん動かして儲けてるわけでしょ、為替とかああいうのもみんな金持ちが操作して。

スーさん
だけど基本的にさ、民放が「映画つくりましょう」つって、みんなカネ出し合って映画作って、ヒットするかしないかでしょ。

日本はそれを国中でやって、「工業で頑張りましょう」つって、自動車で勝ったりなんやして、いまがあるんじゃない。

上さま
だけど、いまもう日本は中国に全然差がついちゃってるもんね。

スーさん
だけどいま第2位ですよ、総資産第2ですよね。

上さま 
だけどそんなの形だけでさ、実質的にはもうほとんど。これからの世の中彼らの方が頭脳的に・・・・。

スーさん
そんなに悲観的になんないで下さいよぉ〜(笑)。

一同 
(笑)

上さま
生きているうちはまだなんとかね、われわれはね。

スーさん 
やばくなったら、ほんとどっか逃げようよ、みんなで(笑)。

一同 
(笑)

スーさん
わたしは肺がないし、こっち側。片肺だから穴ん中でも酸素使わなきゃ。

さそん
いやいや、そういう問題じゃない(笑)。

上さま
片肺ってさ、また話戻るけど、中国行ってね。片肺で帰ってきたことあるんだ、おれ。

片方爆撃されて取られちゃて、バランス取りながらね片肺だけで日本戻ってきたんだよ。そういう奇跡があったんだよね。

スーさん 
だいたい飛行機はそういう設計になってる。

ぐっさん 
うん、滑空できるようになってる。

スーさん
横になってバランスとって、片方のエンジンが回ってれば帰ってこれる、ただ油があるかないかね。

上さま
だから中国から日本に戻れたんだからさ、片肺だって全然大丈夫なんだよ。

一同 
(笑)

スーさん 
ああ、わたしのこと(笑)!?

一同 
(笑)

スーさん
わたしねぇ、もうやばくなったら、穴掘って逃げることしか考えてないから。

上さま
ただ頑張んなくちゃね、片方大事にしないと。片肺飛行っていう言い方でね、そういう絵本もあったよ(笑)。

ぐっさん 
だけど、上さまから聞いた話が朝日新聞、天声人語に載ってるよと思って、電話したんだけど、朝日新聞なんかまだ戦争の記事載ってますね。

その度に右翼系から狙われてんだろうけど、朝日新聞を攻撃しろっちゅうので。

上さま 
読売新聞あたりがね、あれは右翼新聞だからね。産経と読売は右翼系だからね。

スーさん 
朝日最近やばくなってきたね、経営が。

上さま
朝日は中立だと思うんだけどさ、左翼に見られちゃうんだよね。

ぐっさん 
もう麻生なんか明らかに、朝日新聞への攻撃、平気で口にしてるもんね。

スーさん
三誌の中でね、朝毎読売で、朝日が一番で1200万部ぐらい出てたんですよ。でもいまは500万部ぐらいつってた。いまは産経が伸びてんじゃない?

ぐっさん
産経か、右翼系が伸びてんだね、もうね。

スーさん 
どっちかっていうと右の方が。

上さま
そういう世の中なんだよね。

スーさん
朝日いっぱい失敗してるから、慰安婦のでも大失敗したでしょ。

日本を代表する新聞だったから、あれで世界にまわちゃったからね。だれもどこの国も助けてくれなかったもんね。

上さま 
考えると、昔、大正時代は毎日新聞がトップだったんだよね、それが朝日に抜かれて。

スーさん
それは高校野球からですよ、朝日は高校野球で伸びたんですよ。それでね、高校野球でいい思いしてるの横目で見てた毎日が春の高校野球をやって。

上さま 
でも総理大臣がさ、安倍さんがさ、読売新聞を見ろとかってこの前騒ぎがあったじゃない。

ぐっさん 
あんなこと平気でね、政府の人間が言うっちゅうのはおかしいし、それを許してる国民がいるっちゅうんだから恐ろしい世の中だよね。

上さま
ほんと。

えーさん 
ほんとだよね。

ぐっさん
代わりがないとか言うけどさぁ、とんでもないよ。

スーさん
だけど、そうかすると選挙で勝っちゃうんだよね。

上さま
そりゃそうだよ。

だってさぁ戦争もなにないからさ、食べ物もあるし、お金もあって、それだけなんちゅうのかな、世の中がそこまで浮きあがちゃったて言えば極端だけど、緊張感が薄れちゃってるよ。

スーさん
緊張感がなさすぎるよね。

ナギー 
なんか蚊帳の外だもんみんな。総理大臣だってさ、もう国民投票にすればいいのよ。ある一部の自民党員だけで決めてるわけでしょ。

上さま 
そうだよね。

自民党なんて経済力っていうか、金の力で組織が守られているようなもんだもんね。でもそれをみんな平気で容認してんだから、そういう世の中なんだよな。

ぐっさん 
おれなんか自民党に入れたことないけど、こうやって自民党がのさばってるんだもんな。

びーさん 
まあ上手な物言いはしますよね、実行してるとは思えないけど。

スーさん 
別にいいんじゃない。

一同 
(笑)

上さま 
まあ個人主義的にはいいのよ、個人主義的にはね。ただ実際に憲法問題なんか考えると、もっとそこから真剣にいろいろ考えていかなきゃならないよね。
・ ・ ・

07 ほんとに持たない方がいいのかしらね、集団的自衛権。



スーさん 
でも、ほんとに持たない方がいいのかしらね?集団的自衛権。

上さま 
それぞれ意見なり考えなりあるから、うーん。

スーさん 
だってみんな攻めて来ちゃうよ。

上さま 
だけどおれたちみたいに戦争がある時代に、そういう中で生きてるとねえ、また違った考え方があんだけど。そういうひとがどんどん居なくなっちゃったからさ。もう戦争とか全然頭にないから、戦争が起きてからじゃないと気がつかないやね。

スーさん 
どっか島とられちゃうよ、そのうちね。韓国にもね。

上さま 
中国にみんなとられちゃうんじゃない。

だってさ、いま空き地の農地が北海道くらいあるのかな、日本は。よく知らないけどいっぱい増えてるじゃない。

あれ結局、中国に買ってもらうってしたら、中国の領土になっちゃうんじゃないかな。

ぐっさん 
みんな買われちゃってんだってね。山ん中の水源とかああいうとこも、みんな買ってるらしいもんね。

上さま 
怖いよね。

えーさん 
久が原の商店街のビルなんかだってね、売りの物件、結構出てるんですけど、買うのは中国人多いですよ。

投資として利回りがいいからね、まあそういう理由ですけどね。

上さま 
あそこの中華料理だって、香港グルメなんかも土地買っちゃったもんね。

ぐっさん 
建物とかそういうのはわかるけど、土地まで売っちゃうっていうのはね。他の国ではそういうことしないらしいじゃないですか。土地まで他国に売るっちゅうのは。

えーさん 
日本もエンパイアステートビル買ったりした口だからさ。

ぐっさん 
でもそれは建物だからさ、建物は買うけど土地は買えないわけでしょ。でも日本は土地を売っちゃうんだからさ、平気で。

上さま
そういうことをさ、口に出せる政治家なり、ほんとに日本をそうやって守るっていう親国観がないんじゃないの。

なんとなくいっちゃって、いつの間にか日本がみんな中国の領土になってるとかそういうことはありうるだろうね。

スーさん
その前に中国が日本の領土に支配してくるかも(笑)。

一同 
(笑)

上さま 
そのときはそれは戦争しなくちゃいけないから。

スーさん 
ああ、そうか(笑)、いつの間にかはないね(笑)。

上さま
またお国のために戦って、やんなくちゃだめなんだよ(笑)。

えーさん 
おれらは死んじゃうからいいけどねぇ(笑)。

スーさん 
わたし片肺だから(笑)!

ぐっさん 
多分そういう世の中になっていくと思いますよ、20年30年後には。中国が力つけてきてるでしょ。

スーさん 
中国がバラバラになる可能性はあるけどね。

上さま 
中国がどこまでもつかね、そんな可能性の話したってしょうがないけど、いままでの過去振り返って、あんな歴史的に統一された時間が長くもつってことはありえなかったからね。

よく共産党というかたちで維持できるよねぇ。

ぐっさん 
まあどんな帝国ができたって、もちまわりでどんどん動いてるもんね。

モンゴルから始まって、オスマン帝国でしょ、スペインが世界中を席巻したり、イギリスがあれしたり、いまはアメリカの世の中でしょ。

アメリカがどこまで世界支配するか分かんないけど、それも怪しくなってきた気がするけどね。

上さま 
これからは中国じゃない。アフリカだって全部支配しちゃったじゃない。

えーさん 
おそらくアメリカに留学してる中国人ってのはとても優秀な子が多いわけでしょ、そしたらそういう子がアメリカから帰ってきたら、あの体制はもたないですよ、ふつう。

スーさん 
アメリカから帰らないんだってね。アメリカが取り込んじゃってるよね。

そういうふうに言われると日本人はすぐ帰ってくるけどね。だいいち日本人はいま出ないですもん、留学しなくなっちゃった。

上さま 
少なくなっちゃったね。

スーさん 
東大が世界の20なん位みたいなさ、日本一が20なん位とか30なん位とかですよ(笑)。

ぐっさん 
アメリカが世の中支配するようになってから、100年くらいになるんですかね?もっとなる?

スーさん 
アメリカはだから第二次世界大戦で勝って、確実に世界を支配し始めた。

上さま 
だけど経済力持ち始めたのは、昭和のはじめくらいからでしょ。経済戦争から、戦争ってみんなそうだからね。

スーさん 
はじめのころはアメリカそんな力なかったですよ。イギリスとかね、あっちの方が強かった。

えーさん 
そうだね。

上さま
で、イギリスがどんどん落ちてって、アメリカがこんだあ、人種も多いし、合衆国だしで強くなってきた。

でも戦前、日本との経済戦争から戦争が起きてんだよね。

ぐっさん 
当時から力は持ってたんだもんね。

スーさん 
力はあったけど、戦争でまとまっちゃったんだよ、国が。

上さま 
農業で言ったってさ、例えば日本で小麦作ってるたって日本で実る小麦ってのはさ、小ちゃくてシワだらけなんだよ。

でぇ、ぼくが農業高校で見たアメリカのミシシッピー州で作ったとか、アルゼンチンで作ったっていう小麦は小豆みたいなんだよ。

だから国土が大きくて、やっぱし底力があるというか、経済力として発展できる基礎があったってことだろうね。

ぐっさん 
アメリカは第二次世界大戦のころにはカラーで戦争の実践の記録、ああいうの撮ってんだからね。

ディズニー映画とか、ああいうのも戦前に作ってるわけでしょ、カラーで。だからそんだけの国力があったってことだよね。

スーさん 
でも近代っていえば、やっぱりドイツとイギリスだよね。そのころはアメリカは一生懸命耕してたから。

上さま 
だけどあれだけ国土を持ってれば、天然資源であろうが全然規模が違うから、ヨーロッパのイギリスにしてもドイツにしても敵わないよ。

だけどイギリスは早く没落してったねぇ。

スーさん
だからイギリスと日本って似てますよ。

あのね、イギリスの退官式に天皇が参加したときに、日本の代表が一般の中に居るんだもんね。それを一生懸命カメラが探してた。

上さま
そういうのがあったねぇ、あれなんだっけ、エリザベス女王・・・・の?

スーさん 
まぁ、そういう時代があったのに、よくここまで、のらりくらりとね、うまいこと避けながら来たよねぇ(笑)。

一同 
(笑)

・ ・ ・

(おしまい)

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