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真面目に平和を考える。 04.だんだんとそうやって、憎しみが増えてくんだよ。


ヴィダンシの中には、戦中・戦後の戦乱の中で暮らしていた方々がいます。今回は平和をお題に、当時の空襲や食糧難のエピソード、戦後74年目のいまどんなことを考えているのか、特別参加のおふたりも交えて語って頂きました。全7回よろしくお願いします。※こちらは2018年に収録したものです。

MONOGATARI KAIGI @DAIKON no KAI
#31GIJIROKU

モノガタリテラー

だいこんの会 
永遠のギタリスト ナギー(75歳)
ガチな美術マスター 上さま(85歳)
江戸っ子オーガナイザー かとちゃん(78歳)
言葉のファンタジスタ スーさん(80歳) 
精巧な折り紙職人 ぐっさん(77歳)

 ゲスト参加
えーさん
びーさん

ナビゲーター
さそんさん(仮45歳)


・ ・ ・

04
だんだんとそうやって、憎しみが増えてくんだよ。



スーさん 
なにしろ、あのB-29ってのがね、怖かったですよ。夜ご飯食べてる頃に川沿いに遡ってくるんですよ。

上さま 
見た?

スーさん
見ました。

それでね、音が違うもん、ふつうの飛行機の音と。なんか、いやぁ〜な感じの音がウィーンって鳴って、「ああー!キタキタキター!」ってみんなね、防空壕に入るんだよ。

でぇ、B-29は探照灯で照らしても届かないんだって、その上飛んで来ちゃうから。届かないから撃ち落とせないんだよ。B-29の前は割に低いとこ飛んでたから、けっこう抑えてたんだね。でもB-29は全然見つからないんだって、音はするのに。

上さま
たしかさ、日本にその頃一回ね、偵察的に中型爆撃機が飛んできたんだよ。だから、おれ覚えてんだけど、久が原に高射砲があったから、それでバンバン撃つんだよ。

で、そのとき、おれがすぐ言われたのは、「破片が落ちるから外へ出るなっ!爆弾が破裂したのが頭に落っこってくるから」って。あの頃、防空頭巾があるから「被れー!」つってやってたんだけど、そういうことがあった。

あのとき飛んできたのは、ノースアメリカンB-24だったから、まあ3000Mくらいなんだけども、

B-29はさ、6000から8000Mを飛ぶでしょ、成層圏にいっちゃうよね。そうすると届かないから、日本がいっくら高射砲撃っても3000Mくらいしか届かないから、むこうは悠々と爆撃してんだよ。

スーさん
飛行機は届かないは、鉄砲は届かないは。

一同 
(笑)

びーさん 
「ああ、やってるなぁ」くらいでねぇ。

上さま
あの頃は隣組の班で練習するんだよね、バケツ持って砂掛ける(笑)。あとさ、警戒警報は「うーうー」って早いときは爆撃だけど、「うー」ってときは灯火管制で電気に全部黒い布をかぶせて、暗くするんだよね。

スーさん
わたしは落合というところの、上落合のほうに居て、川挟んで反対側が学習院なんですよ。そこに落ちたんですよ。

そういう時はうちのお祖父ちゃんが、6つぐらいのわたしを抱えて、ほかのひとは荷物抱えて逃げるっていう手筈だったんだけど、お祖父ちゃんも若かったから「見に行こう」なんつってね、おれを連れてったわけね。

そしたらうち中で「居ない!」つって大騒ぎ(笑)。

一同 
(笑)

さそん 
そりゃあ、なるね(笑)。

上さま
それはさ、さっきの一回偵察されたときかな?17年くらいだと思うんだ。

スーさん 
どうでしょう、よくあったんですよね。

上さま 
おれのうちの近くにもさぁ、高射砲あったっていうんだけど、いまは無いんだよね。

ナギー
すぐそこの道にありますよ。

スーさん 
高台にあるんだよね。

えーさん
そうそう、台座だけ残ってるでしょ。わたしが子どもの頃はコンクリートの立派な台座があって、古くなるまで残ってましたよ。

上さま 
ああ、そう、あそこにあったんだ。

スーさん 
うちの姉がね、わたしより13上で、兄が12上なんですよ。だから学徒動員で企業に行ったりしてたんです。

で、姉は三井農林の会社でやってて、社内配給で「すごいもんもらってくるなぁ」と思ってたの。あとで分かったんだけど、それがベーコンだっったの。

上さま 
ベーコン?

スーさん 
うん、ベーコン。社内に配ったんですね。姉がそれもらって帰って来たらね、おじいちゃんとおばあちゃんが「うーん・・・・」って考えて、匂いかいだりなんかして、難しい顔して(笑)。

一同 
(笑)

びーさん
「これ〜、なんだべぇっ?」なんてね(笑)!

スーさん
「とりあえず・・・・切れるだけ切って、大根と煮てみる?」なんて言って(笑)。

一同 
(笑)

上さま
やっぱし軍の関係族とか、飛行機造ったり、兵器造ってるとこにはあったんだよね。砂糖がなくなちゃってお菓子も配給でさ、配給のお菓子も最後なくなちゃったときだけどさ、兵器造ってるひとのところにはまだ潤沢に物資が来るんだって、おれも知ってるひとがそうだったって聞いたよ。

さそん 
そういうもんなんですねぇ。

上さま 
戦中は食糧難と生活の困窮度がすごかったから、あんときは子どもで食べさられてる年代だったからいいんだけど、育てる方は大変だったと思うよ。爆撃されるわ、配給もなくなるわで。

びーさん
やっぱそういんではいまは自由で、あんまり自由すぎてちょっとどうかと思うくらい自由で。

スーさん
自由いいじゃないですかぁ、これ以上ないじゃないですかぁ。

でも、戦後も大変でしたよ、全然甘いものなくてね〜。だけど、ララ物資ってのあったんですよねぇ!

さそん 
ララ物資?

スーさん 
そう。それはアメリカ西海岸のほうで、一食抜いたそのお金で「日本に物を送ろう」っていう運動が起きて、でっかい船で砂糖とかドーンと!届いて。

それからね2、3週間で日本中にバァーッと砂糖が出回って、配給に「洗面器持って来い」って言って、そういう時代が来るんですよね(笑)。

上さま 
そういうのもあったねぇ。

お米なんて物価統制令の代表的な物で買えないし、だからお米の通牒を持ってって配給もらいに行くんだけど、お米なくなっちゃって。代わりに麦とかね、粟とかを配るようになるんだけど、それも最後はなくなちゃって。

それであるとき、お米の通牒を持ってったら、砂糖が(笑)。「米の代わりに砂糖って!?」って思ったよ(笑)。大量に砂糖もらちゃって・・・・みんな困っちゃったてねぇ。

でも、終戦から何年か経ったら、砂糖なんてなくなって久しいから、ララ物資で、だいぶ恩恵受けたのは確かだよね。反動的なひとつの現象だね。

スーさん 
で、ララ物資の最後はヤギがいっぱい来たんだよ(笑)。

向こうのひとがね、「いっくらやってもダメだな。ヤギだったら草食わしとけば、ミルクが出るから子どもたちが飲めるだろう」って、船にいっぱいヤギが乗ってきた。

九州の方やなんかは凄く喜んだって言ったけど、東京のひとびっくりしちゃうよね。けど、学校に4、5匹居るとヤギの乳が飲めるもんね。

上さま
美味しいですよ、変わんないよ。

スーさん
そうですか、わたし知らないけど。

上さま 
ぼくの家も飼ってて、いつもそれ絞るんだけど、2匹くらいいると一家で十分飲めるくらいになるよ。牛乳よりクセはあるけど、濃くて美味しいし、飲んでると牛乳とほとんど分かんなくなっちゃうくらい。

スーさん 
ヤギのチーズもあるもんね、あれ美味しい。

さそん 
それはよく聞きますけど。

びーさん
あたしは韓国行ったもんだから全然そういうの分からないんですよ。

上さま  
韓国からはいつ帰って来たんですか?

びーさん
終戦が20年ですよね、22年に帰って来ました。

スーさん 
ああ、一番多い頃だ。

びーさん 
ええ、もうどんどんどんどんね、引き揚げ者で。

上さま 
シベリア行っちゃうと帰れなかったんだけど、朝鮮はまだ帰り易かったんですよね。

びーさん
そうですねぇ。

それでも終戦後は物騒になってね、鍵掛けてカーテン閉めて、真っ暗にして過ごしてましたよ。いままで使ってた韓国のひとがみんな物取りに来るって、そういう情報が回ってたから玄関を厳重にして、表出でないようにしてやってました。

そしたら引き揚げ車が始ってね。

上さま 
一変に180度変わっちゃうわけだもんね。韓国のひとがぺこぺこしてたのが逆に、「なんだよぉ」ってことになって。それはもうしょうがない、戦争に負けるってのはそういうことだよね。

ぐっさん
ぼくも職場にいる頃ね、実際に中国に兵隊で行ってたっちゅうひとの話聞いたんだけど、日本が満州とかあの辺で戦争して中国統治してるような状況だでも、軍隊のひともひとりでは外に出られないんだってね。外出る時は団体で出ると。

ひとりで出るとゲリラみたいので殺られちゃうんだって。だから絶対ひとりで行動しなかったらしいですよ。

さそん
ああ。

上さま 
おれの父親はさ、出征して中国行ってたからね、父親から聞いた実戦の話だけど、山に囲まれたところで両方で撃ち合ってるんだけども、どっちが敵か分かんないんだってさ。

ぐっさん 
いざ戦闘になると少尉ちゅうの、あれがまず偵察で最初に行って情勢見てくるんだってね。それから「突っ込めー!」とかなんとかって合図するらしいんだけど、その時そのひとが神様に見えるんだって。

びーさん 
ええ、神様!?

ぐっさん 
そう。

でも悪い将校だと「あいつ普段イジメてばっかいるから」っちゅうんで、後ろからその将校にむかって鉄砲撃つって、それも職場にいた中国に行ってたひとが言ってましたよ。

スーさん 
ええ!?おれ、そういうのやられそ・・・・。

上さま 
そういうこともあったらしいよね、「突撃ー!」って言ったらさ、

スーさん 
「痛えっ!?」なんて(笑)。

上さま 
部隊長が「みんなついて来い!突撃ー!」つったら味方に撃たれちゃって、みんな逆に逃げたりって、そういうこともあったんだよね。

ぐっさん 
実際に、そんな話聞きましたよ。軍隊中じゃ、上はもう絶対でしょ。だから下は、めちゃくちゃイジメられたらしいよね。もうその恨み辛みとかさ、いろいろあるだろうから。

スーさん 
またその逆でね、きっとね、偉いひとにすり寄ってって、ゴマするやつも居たと思うよ(笑)。

上さま 
あと、これも父親から聞いた実話なんだけどね、中国のある部落に攻め込んだときに、村のひと全部逃がして、村のトップ3人くらいのひとが座って、「もうこれ以上攻めないで下さい」って、やるんだって。

それを日本の下士官っていうか少尉になってるか、なってないくらいのが、「貴様らなんだ!」って、座ってるところをね、首を日本刀で叩き斬ってくんだって。斬れないで失敗することも多いみたいなんだけど。

もうそんなのね、学がないっていうか、学がないっていう言葉じゃ無理かもしれないけど、酷いもんだって言ってましたよ。そういう悪いことしてきたんだよ。嫌な話だけど、実際そうなんだよ。

びーさん 
ほんとにね。あの頃から見れば、いまそういうことはなくて平和ですよ、そういう意味ではね。

上さま
考えてみるとほんと恐ろしい世の中だよ(笑)。

スーさん
今度戦争あったら、どっかへ逃げちゃおう。

ナギー
それが一番ですよ。

スーさん
ねえ。どっか逃げようよ、穴掘ってさ。

さそん
どこへ逃げるんですか、穴掘って(笑)。

スーさん
(笑)。今日のタイトルにおさまった?

一同 
(笑)

さそん 
まあ、一発目おさまりました(笑)。

スーさん 
だから平和ってのは難しいよね。

命の危険っていう意味じゃ何にも心配がなくてもさ、ひとりの女をふたりで追い回すようなね、そんなの平和じゃないもんね。それでひと殺したりしてるんだから。

第一回目が始まると、殺されたほうはまたそいつを殺して、だんだんとそうやって憎しみが増えてくんだよ。

・ ・ ・

2019-10-14-MON
(つづきます)

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