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80歳に老後について聞いてみた(その1)


寿命が延びて、いまや人生100年時代だそうです。同時に人口は減って、社会保障、働き方も変化しています。30半ばのボクらの両親たちも第二の人生を迎えはじめました。老後の2000万円も話題になっていました。まだまだは重々承知ですが、それでもここらでボクらの第二の人生を少し想像してみようということで、老後、第二の人生をお題に聞いてみました。

MONOGATARI KAIGI @DAIKON no KAI
#34GIJIROKU

モノガタリテラー 
ガチな美術マスター 上さま(85歳)
言葉のファンタジスタ スーさん(80歳) 
精巧な折り紙職人 ぐっさん(77歳)

ナビゲーター
いまちゃん(36歳)
さそんさん(45歳)

75歳まで働ければそれは幸せですよねえ。



いまちゃん
前回は、子どものころの遊びがお題だったんでしたよね?

さそん
めんこの話とか、べえゴマ。

いまちゃん 
ああ、べえゴマってありましたね。

上さま
いま考えられないかもしれないけどね。

スーさん 
べえゴマは面白いんだよぉ。喧嘩してね、跳ね出したらもらえるの。うまい奴は、バケツいっぱいに稼いでさ、それで鉄を買い取りにくる商人にそれ売るんだよ。

いまちゃん 
お金になるんですか?

スーさん 
だって鉄だからさ。バケツだよ、バケツ持ってくるんだもん、みんなすっごい負けちゃうんだよ(笑)。

あれ重量関係あるんだよ、軽いのは飛んでっちゃう。だから一個だけ重いのつくるのね。

上さま 
そういう制限なしでやりゃね、制限かけりゃ。

ぐっさん 
かとちゃんが旋盤殺しとか自分でつくって、精度がいいんでみんな参っちゃうって言ってたね(笑)。

上さま 
角をつけると強いとかね。

スーさん 
ブラインダーでね、やるんだよ。そういうひとりでやってるお父さんたちって大勢居たのね。

上さま
大人のおもちゃだよね、考えてみると。

ふつうのやつは、一銭だとか二銭で売ってるわけだけど、だんだんエスカレートしてっちゃうんだよね(笑)。

標準のやつはね、ロウソク溶かしてロウだけのっけても重くなるから、それで強くなるんだよ。

スーさん 
そうそうそう、やっぱり重いのがつえんだよ。

いまちゃん
そうなんですねぇ。

スーさん
でもね、売ってるのは目方がだいたい同じなの。横に平べったいとかさ、そういうのはあるけど。

上さま
でも腕の強さでもさ、

スーさん 
ハンデつきますよ。

上さま 
ね、だから腕力のあるひととないひと、そこでも決まるよね、やっぱしね!

ぐっさん 
回転数重要だよねぇ。

スーさん 
きっとさ、ピッチャータイプのひとは強かったと思う。そういうひとは速さがすごいから、それに勝てるのは重さだけ。重いのは当たったときね、強く回しても飛んでっちゃう。

上さま 
だから研ぐんだよ、研いでって角をつくるんだよ。そうするとこれが強いんだよぉ〜。そうやってみんな研究してさ、一生懸命やるわけだよね。

ぐっさん 
自分で工夫するんだよ、なんでもね(笑)!

スーさん
メンコやったことある?

さそん
ありますよ!

スーさん 
メンコはね、みんな手をケガするんだよ。ギリギリまでずうーっと持ってたいわけよ、それでビューってやるから。

わかる?

さそん 
地面にこすっちゃうっていう。それやりました、ぼくも(笑)。

スーさん 
だから地面じゃないところやると、ヤケドしちゃうんだよね(笑)。

さそん
いまちゃん、メンコやりました?

いまちゃん
メンコはやったことないですねぇ。

ぐっさん 
そうだよね、30代だとみんなやってないよね、メンコはね。

いまちゃん 
でも、べえゴマ、コマはやりましたね、凧上げとかもお正月に。

スーさん 
べえゴマはね、洗面器みたいなバケツが必要なんだよ。その上にね、レインコートの強い生地を敷いて床をつくって、そこでやるんだよ。

上さま 
あと、畳だとかね。

スーさん 
それでそこに水をビャッとかけてね、始まるの。床がきちんとしてないと面白くないの、長い間回ってないから。おれそんなことすんごい詳しいもんねぇ(笑)。

そんなんで、小学校ん時、犬連れてずうっとね、遊びに行くのね。でぇ、学校行くと犬がついてくるの、だから雑司が谷小学校ってとこで犬だけ大変有名なの。学校行くとおれに声が掛からず、犬に声が掛かるってくらい。

そのころ犬飼うのもいい加減だったから、お母さんに「頼むよ〜、またチョビが来たよぉ」つって言うんだけど、犬も行きたいのね。だからチャーっとついて来ちゃうの。

ぐっさん 
むかしは犬も放し飼いだったですよね。いまみたいに繋いだりなんかしなかったよね。

スーさん 
まあ半分半分だよ。

でぇ、中学校のときもやっぱり犬がついて来てね、あるとき犬盗りに持ってかれたってのを誰かがちゃんと見ててね、教えてくれてさ。先生に言ったら、「明日学校休んでいい」って言うから(笑)、三河島の犬獲り所に引き取りいったよ。

上さま 
おれは戦争中がだからさ、貴重な鉄だから鉄のコマはなかなか持てなかったねぇ・・・・。

ちょっとの歳の差でずいぶん違うんだねぇ。

スーさん
ああそっか。じゃあ陶器のべえゴマあったでしょ?

上さま
いやいや陶器じゃなくて、やっぱり鉄よ。だけど取り締まられる時期じゃない、みんな回収されちゃったんだよ、「軍艦にする」とか「鉄砲にするんだ」つって。

ぐっさん 
金物はみんなね、没収されたっておれも聞いたことあるよ。

上さま
そうそうそう、だから鉄はあんま使っちゃいけないけど、子どもだからどっかから探してやってたようなもんだよ。

スーさん 
わたし上さまと6つ違いだから、小学校一年と中学ですよ。

ぐっさん
ああ、そうするとだいぶ差があるよねぇ。

スーさん
だけど、べえゴマも考えてみると、小学校の一時期だったなぁ。短いよね。

いまちゃん
ああ、そうなんですねぇ〜。

上さま 
でも田舎じゃみんなやってなかったよ、だから、べえゴマってのは東京の江戸っ子の遊びよ。メンコはあっただろうけど、田舎は木に登ったり、全然遊びが違ったよ。

いまちゃん 
当然ですが、いまとは遊びが全然違いますよねぇ。

スーさん 
いまの子も、10年くらい前といまは違うんじゃない?

いまちゃん 
たしかに全然違いますねぇ。25年くらい前ですけど、ぼくが小学校のころ、当時はまだけっこう縄跳びしたりとか。

スーさん 
25年前つったら、ついこの間ですよね、われわれには(笑)。

いまちゃん 
25年前、ついこの間ですか!?

上さま 
だって定年後だもん(笑)。

スーさん 
定年したころっていうのは、割に時間が近いんだよ。歯車で回ってた時代と、それ以後だから、定年でみんな線を引けるの。呑みに行く回数も減るとかさ、だからついこの間なんだよ。

いまちゃん 
ああ〜。

上さま 
いまテレビでやってるけどさ、75歳まで?定年延長になるじゃない。

スーさん
それは、働ければ幸せですよねぇ。あと何年?

さそん 
75ですと、あと28年働くことになりますね(笑)。

スーさん 
さそんは長い間勤めてたい?

さそん 
ぼくは長い間勤めたいです、できるだけ働いてたいですねぇ。

上さま 
ああそう。きのうも、みんなテレビで「まあ75までは働いてもいんじゃないんですか」って賛同してるひとが多かったねぇ。

いまちゃん 
でも、できるだけ働きたいかどうかって、ひとによって違いそうですけどね。わたしは・・・・。

スーさん 
ひとによって違うだろうけど、働きたくても働けない職場ってあるもんね。わたしたちのコマーシャルはさ、音楽から分かんないもん、だって。だから働きたくても働けないよね。

いまちゃん 
業界によって、そうですよねぇ。

スーさん 
もうすぐ分かんなくなるよ、38ぐらいから(笑)。

でぇ、部下がいて、部下に「どうですか」って聞かれる立場になるわけじゃない。聞かれたって、何が「どうですか?」か、よく分からないんだよねぇ(笑)。

ぐっさん 
じゃあ、新しいことにどんどん目を向けていかないと、分からなくなっちゃうわけね。

スーさん 
そうなんだけど、いやもう、そもそも分かんない話ってあるじゃないすか。スマホの何とかの話を聞いてるようにさ、「何言ってるんだ、コイツ・・・・」っていう(笑)。

・ ・ ・

おれたちの頃は50代で第二の人生入れたんだよ。



上さま 
かつては第二の人生をさ、老後に早く、例えば60から入りたいってのが理想だったんだよね。

いまはそういうのあんまり考えないのかなぁ?

仕事を辞めて好きな事して過ごすっていう第二の人生。75まで働けるなら、それもいいんだけどさぁ(笑)。100まで生きりゃ、あと25年は残るけど。

スーさん
好きな仕事で75まで働けたら幸せだけど、いまはお金的に働かざるをえないってのはあるんでしょうね。

でもさ、上さまなんか第二の人生、お百姓やればいいじゃないですか。辛いですか?

上さま
ぼく?そりゃあもう体力的に無理よ。さそんは、第二の人生っていうのは考えない?

さそん
考えますね。っていうかわたし、すでにいま第二の人生かなって思っちゃいますけどね。

スーさん
いま第二?じゃあ第一の人生はどういうこと?

さそん 
20代のころにやってた仕事と、いまやってる仕事が全然違う仕事なので。第一の人生は20代だと思ってます。

上さま 
そういう意味でねぇ。

さおん 
そうです、そういう意味合いで第二の人生と。

スーさん 
20代のころって、なにやってたの?

さそん 
ぼくはむかしコンピューターを。

スーさん 
ああ、そう。早かったねぇ!

さそん 
そうですねぇ、ちょうどIT革命っていうのが起きた時代にコンピューターやってました。ぼくはプログラムつくったりとかできなかったので、営業だったんですけど、「どうも自分には合わないな」っていうことになって、こっちの、福祉の業界に来て。いまは、もうこっちの方が長くなっちゃいましたね。

スーさん 
こっちに来てって、簡単に来れるの?そういうとき。

さそん 
あんまり来れないです、けっきょく資格がないといけないので。だから通信教育で頑張って勉強して、資格取って、そこから来ましたけどね。

スーさん 
社会福祉士?難しいの?

さそん 
なんか年々難しくなってますね、いまね。

スーさん 
早く取んなきゃいかんね!って、おれ取ってもしょうがないか(笑)。

上さま 
取ってみる(笑)?

スーさん 
だんだん、どっちが介護してるから、分かんなくなってきてね。「ちょっと起きらんねぇよ」なんつって、患者さんが手伝ってくれて(笑)。「しょうがねえなぁ〜・・・・」なんて引っ張ってもらったりしてね(笑)。

ぐっさん
そういえば、介護士の資格も、むかしは割と簡単に取れたらしいけど、いまは大変みたいですねぇ。

さそん 
そう、いまは大変みたいです。

ぐっさん 
資格になってくると大変だよね。

いまちゃん
でも、みなさんの時代の第一の人生、第二の人生と、考え方が違ってきてますね。

上さま 
まあ世代によってそうなんだろうね、考え方はね。

ぼくらは第二の人生を送るのに、60を起点として田舎行ってさ、いろいろ魚釣ったり、海行ったり、あっちこっち行くって、そういう夢があったけども。いまはもう、言われたように75まで働いて、それから。

それから働き方っていうのかな、ひとつの会社で勤め上げるっていうのも、むかしに比べたら減ってるでしょ。

ぐっさん 
けっきょく、みんなが長生きになったから、こういうことになってるわけでしょ。政府の方も年金の資金がないから、「長い間働いてくれ」ってことなんでしょ。だから実際は60で辞めて、悠々とね、生活できれば「働きたいってひとは少なくなるんじゃないの」って、思うけどね。

自分の仕事がすごく楽しくてさ、「これ続けたい」ってひとは別だけども、みんな自分に合った仕事をずっとしてるわけじゃないじゃないですか。

上さま 
でも、テレビで聞いてたらみんなさ、「75まで働きたい」って言うからねぇ。

ぐっさん 
老後までに悠々自適に暮らせるだけのお金がなきゃね、やっぱり生活のためっちゅうのが大きいんじゃないかな。あとは、手持ち無沙汰っていうのもあるかね。

いまちゃん 
そうかもしれないですねぇ。

上さま
ぼくなんかさ、辞めさせてもらえなかったんだけど、57歳でね、100%出たの年金が。だから57で辞めた方が第二の人生長くなるの。

それはもうぼくぐらいまでで、すぐ60歳、65歳ってなったんだけども。だから、まあ、辞めたせてくんねぇから60まで居たけど、おれたちのころは50代で第二の人生入れたんだよ。

ぐっさん
ぼくが定年で辞めるときね、ちょうどその年金制度が始まったんですよ。60で定年で、60からもらえる。

でね、その年から3年に1年づつ伸ばしてって、65歳まで働けるっちゅうあれで。

だから、ぼくが辞めたときはそれの一番始まりで、65まで5年間は年金が全額は支給されなかったわけ。

スーさん
年金はさぁ、最初から政府が金出してるわけじゃないんだもんね。いまの年寄りは、いまの若者が支えてんだよね。

いまちゃん 
そうですよね。

スーさん 
だから人口減っちゃうとみんな苦しくなっちゃう。

ぐっさん
少ない人数でいまの世代が支えろって言われてますよね。

上さま
だから消費税上げなくちゃね、手がないよね。

いまちゃん 
来年上がりますもんねぇ。

ぐっさん 
うちの女房ね、おれと6歳違うんだけど昭和23年生まれなんですよ。23年生まれって、ちょうど戦争から帰ってきて、みんな子ども産んだでしょ、一番多いんだってね。

スーさん 
22、23年がね。

ぐっさん
でぇ、ことあることに団塊の世代がどうのこうのって言われて、「自分たちは若いとき一生懸命働いて、日本を支えてきたのにね、今度高齢になってきたらなんか邪魔者扱いしてんじゃないかなんて」って言ってますよ。

スーさん
あのね、可哀想な世代なんだよ。学校行くにも競争率が高いわけ、すぐキャパが増えないから。

ぐっさん
ひとだけ増えるからね、なんでも競争だよね。

スーさん
だからその競争凄い中、駆け抜けて頑張ってきたよ。

ぐっさん 
そうみたいだね。

だから、テレビやなんかで「団塊の世代が多すぎる」とかって言い方をされるわけじゃん、それにずいぶん腹を立ててるみたいよ(笑)。

いまちゃん 
いまで言うとちょうど、68、9歳くらいですか。

スーさん 
70くらいだよ、70、71歳。

いまちゃん
わたしの父が69歳かな?だから近い歳です。

上さま
若いねぇ。

ぐっさん
じゃあ昭和24年ぐらいだね。一番多いときですね。

いまちゃん
父はメインの仕事が大学の先生だったので、一回65のときに区切りがついて、そこから70まで嘱託みたいなかたちで勤務するって、いまでも週に3コマくらい教壇立ってるんですけど。

でも、やっぱり65で一旦区切りがついたときは、「この先どうしよう」ってけっこう悩んでたました。

スーさん 
あのね、戦後、家がなくなったひとたちがほとんどだったんだよ。

だからわたしたちの第一の人生ってのは、家を建てることがすごい目標だったの。でぇ、地方から来たひとも多くて、そういうひともアパート暮らしで家がないわけでしょ。アパートたって3畳間。3畳間に暮らしながら大学行ってたのがざらだったから。

その3畳で「麻雀やろうぜ」なんて、やってたんだから、それはすごかったよね(笑)。

それでいまはもうみんな家があって、うちが余る時代だからさ、だから第二の人生なんてのは最初からもう違うわけね。

第二の人生ってのは早い話が、サラリーマンでいったら定年でそうなるわけでしょ。いまサラリーマンって減ってるんじゃない、正社員じゃないひととかさ、農家をやっるひととかさ、個人でやるひととかさ、いろいろ居るじゃない。生き方が多様化してるよね。

だからここまで第一で、ここから第二の人生みたいな線引きは難しいんじゃない。

上さま 
秀吉じゃないけども、むかしは人生50年だったからね。

でぇ、ぼくらんときは、それ以上伸ばそうと思えば、いくらでも再就職っていうかさ、斡旋してくれるわけ。だから、斡旋されると3年とか5年どこでも行けたんだよ。

でもまた他のことや、人事のことなんて、「今更・・・・」って、やんなっちゃうじゃない、解放されたいじゃない。

だから天下りっていうのは、2回あったけど行かなかったですよ。

・ ・ ・

2019-10-17-THU
(つづきます)

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