80歳に老後について聞いてみた(その2)
寿命が延びて、いまや人生100年時代だそうです。同時に人口は減って、社会保障、働き方も変化しています。30半ばのボクらの両親たちも第二の人生を迎えはじめました。老後の2000万円も話題になっていました。まだまだは重々承知ですが、それでもここらでボクらの第二の人生を少し想像してみようということで、老後、第二の人生をお題に聞いてみました。
MONOGATARI KAIGI @DAIKON no KAI
#34GIJIROKU
モノガタリテラー
だいこんの会
ガチな美術マスター 上さま(85歳)
言葉のファンタジスタ スーさん(80歳)
精巧な折り紙職人 ぐっさん(77歳)
ナビゲーター
いまちゃん(36歳)
さそんさん(仮45歳)
明確にこうしようって人はすごく少ないと思う、みんな成り行きでやってきたから。
いまちゃん
この先、ほんとに定年70とか75っていう時代になりますかね?
上さま
だけどさ、うちの婿さんは東芝なんだけど、55歳だよ、定年。一部上場のあのくらいの会社で。おれ60かと思ったら55なんだよね。
55が境目で上いくひとと、55から給料全然上がらないで65までいくってことかしんないけど。
いまちゃん
ぼくのまえの会社も、役職定年ってのがありまして、「それに近いかなぁ」なんて思って聞いてましたけど。
スーさん
会社は辞めさせたくてしょうがないんだよ(笑)。
上さま
国家公務員だって大差ないんだけどさ、たとえば財務省だって、50になったときに、今度は次官になる競争でしょ。だからむかしの一高出て、東大の法学部出て、それで次官になるってのは、最後はひとりなんだもんね。20人も30人も入って、競争で。
だからそういう意味で、うまくなくなって、みんな外へ出るじゃない。辞めたり関連のところ行ったりとか。だから50過ぎると、みんなわれわれの時代でもなんとなく落ち着かなくなってくるんだよね。とくに、財務省なんかはね。トップにひとり残るだけで、あとみんな落ちるから。
スーさん
会社も嫌がらせしてくるんだよ、「クリエイティブの指導に、韓国行ってくれ」とかさ。「韓国嫌ですよ、ニンニク嫌いですもん」とかそう言ってゴネるわけね。
そうすると今度、「スーさんにいいのあった、大阪行こう、大阪。大阪行ったら、給料上がるよ」とかいろいろ言うの(笑)。
「そう言われたって、女房体弱いから連れてってさらに悪くなったら、人殺しみたいじゃない」つって断るんだけどさ(笑)。そうやってみんないろんなこと言って、辞めさせよう、辞めさせようっていう。
いまちゃん
ああそうなんですね。
スーさん
でぇ、面と向かってあんまり責めたり、追い詰められないのは、スポンサーが馴染んじゃってるわけよ、例えばわたしとかにね。
クライアントってのがスポンサーね。いまでも友達なくらいだから。だから、そのひとたちとの上手い切れ方を会社は大変でできないわけ。
上さま
だけどさ役職があるってのはさ、余計あれだよね。60歳になってさ、今度は自分の部下が上になっちゃうってのもあるよね。
スーさん
あ、なっちゃう!おれもグルグルしてるうちにね、部下が偉くなっちゃった。
上さま
だから厳しいよね、そういう意味じゃね。
スーさん
わたしの上司だったひとがね、会社と喧嘩して辞めないで、けっきょくメールボーイになっちゃったの。メールボーイって可哀想なんだよね、個人宛にいろんなメールが来るのを会社ん中で、郵便物持って「来てますよ、来てますよ」つって、箱ん中入ってるのをそれぞれに渡してまわるのね。
でぇ、そのひとはわたしの2つぐらい上のひとだったから、気楽なのね。「おい、スーさんよぉ」つってさ、おれの箱みないなパーテーション中入ってきてね、ひと休みしてくんだよよ。「もう帰ってよぉ」つっても、帰らねえんだ(笑)。そういうひとも居たよね。
上さま
だから55過ぎるとね、窓際族って言うんだよね。むかしそんなテレビドラマもあったんじゃない?
ほかのひとは局長なり、もっと上いくわけだけど、部長のひとが部長に居ながら、ただ定年を待たされるわけよ、「いつ辞めてもいいですよ」ってことで。
スーさん
もお、辞めさせたくてしょうがないのよ(笑)。
いまちゃん
でもそれは・・・・、その方はいままでやっぱり頑張られてた方ですからねぇ。
スーさん
それは、分かんねえよ、そんなの!ところ天みたいにみんな上がっていくからね。
いまちゃん
ああ、たしかに、功績残してるわけじゃないかもしれないですもんね。
上さま
だってトップはだんだん少なくなっちゃうんだよ、ひとりになっちゃうんだからね。そうするとね、窓際族もね、いんだか悪いんだか。
だから天下りでどっか行っちゃうのが一番いいんだよ。天下りでいいとこ入るひといっぱい居るから。入れないひとももちろん居るけどね。
いまちゃん
まあそうですよね。
スーさん
わたしねぇ、博報堂に居るころ運転手の部屋へ行くと碁盤がいっぱいあるわけ。あいつら突然呼ばれて動くから、途中で辞めなきゃなんないんだけどね、待機してる時間に碁ばっかやってるから強いんだよ(笑)。
だからたまに顔だしてさ、碁うちに行ってたんだけど、そうするとね、妙に人事のこと知ってるの。
「こないだスーさんの話してたよ」とかって言ってきて、それ聞くとこっちは「やべえなぁ」って(笑)。
運転手だから乗り合わせのときに、話が入ってくるんだよ。人間多いけども、知ってるひとの名前は運転手もすぐ分かっちゃうからね。
いまちゃん
え、それは嫌ですね(笑)。
上さま
ただ、第二の人生入ってもね、いろいろだと思うよ。
スーさん
わたしは第二の人生は家内の介護だった。
いまちゃん
おいくつからだったんですか?
スーさん
定年ぐらいのときに会社辞めて、クライアントを持って自分の会社をつくったのね。だから食ってく道はしっかりあったわけ。ちょっと恨まれてたけどね(笑)。それはそれとして。
だけど女房が突然、48のときに倒れて。それで持ち直したけど64のときかな、もうほんと動けなくなっちゃって。それから13年くらいずっと寝たきりになっちゃってね。だから第二の人生もへったくれもないよね、介護の人生だもんね。
いまちゃん
ああ、そういう。
スーさん
だからそのころ、ぼんやり考えてたのは、本気になって執筆業に変わろうと思ってたの。
上さま
でもコピーライターそのものが執筆業じゃない。
スーさん
たしかに、いっぱい居ますよ、いま小説家になってるひと。ほんっとに多い。
でぇ、介護やりながらなら執筆できるんじゃないかってったら、そういうもんじゃないんだよな、あの介護ってのは(笑)。
嫌なんだよぉ、たちの悪りい、体は疲れないけど頭が疲れるんだよ。だから介護をしながら歳とっちゃった。
いまちゃん
ああ。
上さま
例えばこんだぁ、75が定年になったとするでしょ、さそんは75からの第二の人生何考えますか?
さそん
そうですねぇ、いろいろやってみたいことはありますよね、やっぱり。そのときの状態にもよりますけど、体がまだピンピン動くんだったら、ぼくは音楽が趣味なんで続けたいですし。
スーさん
あ、ナギーも上手いんだよね。ギターでおまんま食べてたの?
上さま
ナギーなんなの、ギタリストなの?
さそん
ちょっと仕事でもなさってたらしいですね、クラシックギターで。
ぐっさん
あの、村治かおりさんのオヤジさんとも一緒にやってたって言ってましたけどね。
いまちゃん
それすごいですねぇ。
上さま
じゃあ音楽家じゃない。いまはやってないでしょ、あんまり聞いたことないよ。
スーさん
「今度聴かせてよ」って言ってみようか。
いまちゃん
今日はお休みですけど、こんどギター持ってきてもらいたいですね。
上さま
あんたもウクレレが得意だとか?
スーさん
そんなことないですよ、わたし音楽の環境になかったんですよ。だからコマーシャルつくるのに音楽から分かんなくなっちゃいますし。小さい頃は簡単に楽器なんか買える時代じゃなかったからね、ピアノのあるうちなんて滅多になかった。
いまちゃん
75が定年だとしたら、定年は早い方がいいんですかね?
スーさん
早くても遅くてもダメなんじゃない、しょうがくてそうなるっていうのがちょうどいいんじゃないの。
いまちゃん
ああ。
スーさん
みんなさ、明確にこうしようっていうひとはすごく少ないと思う。成り行きでやってきたから。
上さま
ぼくは定年後は、東京を売っぱらってってことじゃないけど、田舎行って、農業を第二の人生に据えようっていう気持ちが最初からありましたよ。勤めてるときは経営とか法律やなんかを第一に学んでたけど、やっぱり農学校出てたから。
だから、希望としたら農業で生活をしていけるくらいやれたらよかったんだけど、現実って厳しいんですよ、「トマトやナス作って売ればいいじゃないかっ」たって、なかなかそう上手くはいかない。
むかしはうちの村でも農業やってるひとが土地を安く買って、60なり65歳で家建てるひとが10件以上あったんですよ。
けどね、5年経つと5軒になって、10年経ったら1軒になっちゃった。なぜかって、農業だけやってても子どもを育てて食ってけないんだよね。自分だけが楽しく有意義に生きられたとしても、家族もって食べてくとなるとね、農家にそんなお金なんてとにかく入ってこないですよ。
いまちゃん
「やりたい」って若いひとも、それなりに居るように感じますけど、やっぱり厳しいんですね。
上さま
農業とか園芸、それから畜産って、みんな夢なんだよ。夢持ってみんな入るけれども難しいね。作れてもそれを売って、定着させようとするのはやっぱり困難ですよ。
ぼくは花をやったことがあって、友達に出荷しないかって言われたんだけど、やり始めるともうそれにつきっきりで東京帰って来れないよね。
でぇ、売る花と見る花って違うんだよね。例えば桔梗を植えるでしょ、大きくなったり小さくなったり、ピンクだったり紫だったりを20株づつ600株、自分で楽しく作ってたんだけど、それをもし売るとしたら、ある程度成長したら10CMくらい切っちゃうんだよね。大きさ揃えて出さないといけない。
それから、夜中に刈って、朝出荷して、市場に持っていくには夜明けには着いてなきゃいけないしね。だから花が好きでやるのと、生業としてやるのでは全然やり方が違うんだよ。1時や2時に起きて作業に入らないととか、そういう生活リズムもあるし、60過ぎてから最初はできても限界があるねぇ(笑)。
スーさん
そうなんだよねぇ、ようするに季節のある仕事ってのは一年経って一回しか経験できないんだから。農家の子は20歳になったときに20回は経験してるから、知識や経験をいっぱい持ってるからね、だからかなわないんだよね。
ぐっさん
ぼくは実際60で定年になって、2年間は職場で再雇用みたいにして働いて。でぇ、その後は62歳で切られたんで、よく話してんだけど、クリーニング屋さんの貼り紙を見て、「仕事なくなったんだけどやらしてもらえませんかね」って言ったら、「じゃあお願いします」ってことで8年間やりましたよ。
スーさん
びっくりしちゃうよ。
ぐっさん
だから全然畑違いの仕事なんですよ。
・ ・ ・
まだ62歳だし、なにもしないでうちに居たってしょうがないと思って。
スーさん
だけどさぁ、その貼り紙見て、そのトントンの瞬間ってすごいと思わない?
いまちゃん
トントンって叩けるってすごいですよね。
ぐっさん
62の3月で辞めたでしょ、ちょうどその3月の終わりごろかな、貼り紙見たの。近所だし。
スーさん
だけどさ、近所は置いといてさ、それまで生きて学んできた、知識とか技術が活かされるもんってそんなに幅広くないじゃない。それが全然関係ないところにペタって貼ってあってトントンしたんでしょ。すごいよぉ。
上さま
技術がいるでしょ?
ぐっさん
おもにズボンとスカートのプレスを専門でやってたの、8年間。
許されるならずうっとやってるつもりだったんだけど、そこのクリーニング屋さんがもうやめちゃったから自分もやめちゃったんだけど。
そのあとはいろんな施設行って折り紙やったりなんかして、だからいまは第三の人生かな。まあご老人相手だけども、一緒に教えたりなんかして。
スーさん
自分だって老人じゃない(笑)。
ぐっさん
はっはっは。
やっぱり辞めてね、何しようかなと思って考えてたら、たまたま目に入ったから。これならいいかなって思って叩いて。でも、そんなプレスとかってそういうのやらさられるとは思ってなかったよ。受付とかさ、そういうのだと思ってた。
でもあの受付って大変なんだよね、どんなシミがあるとか、どんな生地とかで、いろんな知識がないとできないんだよ。プレスはスポっと被して、ボタン押すとね、バァーッと蒸気が出てきて、シワを伸ばしちゃうんですよ。
上さま
じゃあアイロンは掛けなくていいわけだ。
ぐっさん
いやシワを伸ばしてから、アイロンで線をつけるんですよ。その繰り返し。
上さま
肉体はどうなの?使う?使わない?
ぐっさん
肉体はそんなに使わないかな。
業務用のアイロンって重いんですよ、家庭で使うアイロンとは違って。だから一回スッとやれば綺麗に線がついちゃうんですよ。すごい蒸気ですよ。
いまちゃん
なんか、暑そうですね。
ぐっさん
うん、暑い暑い。まあクーラーとか入ってるけど、それでも暑いね。
スーさん
ほら、やっぱり折り紙と通じるところがあるよ。角と角を合わせないといけないとかね。
いまちゃん
なんか得意なことと好きなこととマッチしたような、仕事。
ぐっさん
おれもともと仕事が丁寧なのかも分かんないけどね。だからクリーニング屋やめるときに言われたの。「ぐっさんがやったの二重線が入ってるとか変なクレームがこなかったですよ」って。
上さま
器用なんだろうね。
スーさん
時計職人のうちに生まれてたら、やってたね。ずうっと時計をね。
ぐっさん
あ、そうそう。「お前手先が器用みたいだから、時計屋になったらどうだ?」って言われたけども、ならなかった(笑)。
スーさん
手先が器用っていうよりさ、キチン、キチンなんだよね。角を合わせて紙を折ってっていう。だから布団を足で丸めて押しつけるとかそういうないんだよ(笑)。
でも、どっかにあったんじゃない?「あ、これやれそうだ」っての。
ぐっさん
そうだねぇ、なにしろ「まだ働けるな」って思ってたから。
スーさん
でも「これはやれそうだ」っていう気はなかったの?「あんなもんは軽い」って思ったの?
ぐっさん
ただただ、「働くとこないかな」と思って。まだ62だからさ、「なにもしないでうちに居たってしょうがない」と思って。
上さま
子育てはすんでたの?
ぐっさん
いや、まだ一番下の息子が学校だったかな。
いまちゃん
へえ。
スーさん
人生さまざまですよねぇ。
ぐっさん
なにがキッカケになるか分かんないよね、不思議なもんでね。
クリーニング屋で働くまえは外を歩いてても、クリーニング屋さんなんて全然目に入らなかったんだけど、自分がやるようになったらね、「あ、ここにもクリーニング屋さんある!」って、すぐ目についちゃうんだよね。不思議だね〜。
いまでも気になっちゃうもんね(笑)。
上さま
他人が着てるもんで、アイロン掛かってるとか掛かってないとか気になる?
ぐっさん
いや、それはならないね。
スーさん
自分の着るもんは掛けるの?
ぐっさん
やんないね、そんな服装してないもん(笑)。そんな折り目つけなきゃいけないような服装してないからさ(笑)。
スーさん
最近、変わっちゃったからね。むかしはさ、ズボンの折り目って命の次に大切だったんだよ。布団の下に敷いて寝るくらい。
いまちゃん
え、そうなんですか!?
上さま
そう、ほんとに。
でも8年やるってのは立派な第二の人生だねぇ。
いまちゃん
たしかに。
ぐっさん
ほんとは店やめてなきゃ、いまも続けてたかもしれないけどね。個人でやってるとこって大変みたいだね、みんなね。大手が駅の前につくっちゃってるし。
だから「どどんなシミでも抜きますよ」とか、よっぽど特徴がある洗濯屋さんじゃないと、やってけないみたいだね。あそこへ持ってけばもう間違いないっちゅうようなね。
スーさん
君はどうすんの?
いまちゃん
ぼくですか、ぼくは・・・・第一の人生入ったばっかなんで、みなさんの話いろいろ聞いて勉強したいなって思ったんですけど。正直まだ全然考えられてないですねぇ・・・・。
スーさん
いまやってることの延長線にあるよ。どっかで掘り起こせるよ、きっと。
いまちゃん
そうだと信じたいんですけど。
スーさん
だってそれ掘り起こせなきゃ人生めちゃくちゃだよ。
なんかありそうなんだよね、年寄りがわたしたちの年代じゃない次の年代のひとも上がってくるし、すごく違うから10年単位で。
いまちゃん
そうですよね。
上さま
ぼくはねぇ、60歳で辞めるときには、ふたりとも子どもが嫁いじゃったんだよね。だから子育ての学費だとかそういう必要性はなくなっちゃって、お金の心配はどっちかっていうとあんまないじゃない。年金もふたつ持ってるし、家は自分のだし、家の支払いも終わっちゃってるし。だから大きく掛かるものはもうないわけ。
だからいま思うんだけど、第二の人生60あるいは65歳だとしたら、子どもが成人しちゃってるか否かってのは重要な要素じゃないかなぁ。ぐっさんはまだひとり大学だったって言ってたけど。
ぐっさん
そう、ぼくが定年でやめるときはまだ一番下が学校行ってた。だから、そこもあったんだろうね、「まだ働こう」って思ったのは。
当時はそこまで考えず、「まだ62、元気だからなんかして働こう」ってのが一番大きかったから。
だからそれがクリーニング屋さんでなくてもどっか行ってたかもしれない。
いまちゃん
ああそうか。「22歳までは」って、ぼくで考えると「ギリギリだな」って思います。
ぐっさん
そうだよねぇ、いま晩婚のひとが多いしさ、女性のひとも30過ぎてから結婚ってのも聞くしね。
上さま
ぼくは28か29歳のとき、長女ができて、32のとき次女が生まれたから早かったから。あれ、男の子どもだったり、あるいは35なり40歳になってできたら、お父さん大変だと思うよね。
・ ・ ・
2019-10-18-FRI
(つづきます)
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