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真面目に平和を考える。 05.軍隊酒場って新宿でも銀座でもいっぱいあったよね。

ヴィダンシの中には、戦中・戦後の戦乱の中で暮らしていた方々がいます。今回は平和をお題に、当時の空襲や食糧難のエピソード、戦後74年目のいまどんなことを考えているのか、特別参加のおふたりも交えて語って頂きました。全7回よろしくお願いします。※こちらは2018年に収録したものです。

MONOGATARI KAIGI @DAIKON no KAI
#31GIJIROKU

モノガタリテラー
だいこんの会 
永遠のギタリスト ナギー(75歳)
ガチな美術マスター 上さま(85歳)
江戸っ子オーガナイザー かとちゃん(78歳)
言葉のファンタジスタ スーさん(80歳) 
精巧な折り紙職人 ぐっさん(77歳)

ゲスト参加
えーさん
びーさん

ナビゲーター

さそんさん(仮45歳)


・ ・ ・

05
軍隊酒場って新宿でも銀座でもいっぱいあったよね。



上さま 
だけどさぁ、もう全然聴けなくなったけど、おれたち育った頃は唱歌より軍歌のほうが多かったもんね。学校行くと軍歌なんですよ。

ナギー 
この頃もカラオケ行くと軍歌もけっこうありますよ。

上さま 
でも軍歌知らないひともいっぱい居るでしょ。

ナギー 
そうそう、若いひとは歌わないですけどね、年寄りは唄ってますよね(笑)。

上さま 
終戦から10年、20年くらい経った頃、軍隊酒場って軍歌しか流れてないところがね、新宿でも銀座でもいっぱいあったよね。

おれなんかの上司たちは、みんな兵学校とか士官学校とか行っててさ、それで、要領がいいのか戦争から上手く生き延びて帰ってきて、東大とか京大行って、同じところに勤めてたんだよ。

そうすると、宴会のとき必ず唄うんだよ、軍歌を(笑)。

そういう世代はもう居なくなったよね。われわれは軍隊経験はないわけだから、おれたちより4、5年上のひとたちまでだもんな。

スーさん 
あのね、石原裕次郎唄うと軍歌みたいに思われるよ。

さそん 
そ、そうですか!?石原裕次郎ですよね(笑)。

スーさん 
そうだよぉ〜。

カラオケで石原裕次郎入れるとね、「軍歌ですかぁ?」って、そういう時代ですよ。

20歳くらいのひとだとそういう風に思えるよね。

ナギー 
20歳くらいのひとと一緒に行ったことないからなぁ(笑)。

上さま 
だけどさ、いまでも小学校1年のときから行事なんかあると、君が代唄うじゃないですか。

あの、君が代唄うって、なんか不思議なんだよね。考えてみるとさ矛盾してんだよね、あんなのまだ残ってるってことはさ。

さそん 
たしかに、そうかもしれない。

スーさん 
あれ万葉集かなんかですよね。

さそん 
万葉集かなんかのだけど、詠み人知らずで、誰が詠んだか分かんないんですって、あれ。

スーさん 
そうなの!?

あ、君が代唄わない時期がありましたよね。

びーさん 
わたしも韓国で君が代は唄わなかったですね。朝礼のとき軍歌は唄いましたよ。朝礼殿があって、みんなそこ向かって。

上さま 
ああ、朝礼殿。

天皇陛下の御真影がふたつ出てきて、みんなそこ向かって、お辞儀してね。神様と同じだよね(笑)。

びーさん 
そうなんですよね、なんかおかしいですよねぇ。いま考えてたらね。

上さま 
そういう矛盾した状況ってのはあるけども、おれたちに馴染みのある歌は軍歌っていうか、やっぱり戦争を煽ぐ歌なんだよ。

みなさん聴いたことあるだろうけど、海軍の「海ゆけば〜」っていい唄なんだよぉ!だけどあれも軍歌だからさぁ。

スーさん 
あれ長いんだよねぇ、何番も何番もある。樺太から沖縄まで歌詞があるんですよ。

ナギー 
そんなに?

スーさん
そう。でぇ、それぞれのいいとこちゃんとピックアップして歌詞にしててさ。

ちょっとネットで調べてごらんよ、「海行かば 歌詞」で出てくるから。

びーさん 
韓国でも海行かばでしたね、それ必ず朝礼で唄って。

上さま
「変わってくるぞ〜勇ましく〜〜〜」なんてそういう歌、ふつうに口ずさむなんて、いま考えると恐ろしいけどいい歌なんだよなぁ。

あと、いい歌だと思ったのは「麦と兵隊」だよ。

えーさん 
兵隊では直立して唄う歌手のひとでしたよね。なんだっけなぁ・・・・あ、東海林太郎。うちのオヤジもよく唄ってましたよ。

さそん
そうなんだ(笑)。

びーさん
いまのカラオケみたいにして唄ってましたもんね、何にも考えないでも口から出ちゃうのが軍歌でしたもんね。

さそん 
月月火水金金って、あれもそうですか?

スーさん 
休みなく頑張れっていう。

上さま
それ隣組でよく唄わされたよ。

かとちゃん
土日がないんだよね。

さそん 
やだ、そんな歌(笑)。

一同 
(笑)

上さま
あれ昭和・・・・15年か、そのくらいのときに生まれた歌じゃないかな。

えーさん
すっかりそれが身に付いちゃって、いまだに働いてるよ。

一同 
(笑)

スーさん 
「働くな」って言われるのが辛いよねぇ。「余計なことしないでじっとしててくれ」って言われるのが一番辛い。

えーさん
ねぇ、なんかやってないと気が済まない。

さそん 
そうですよね。

びーさん 
なにもしないで居るには時間がありますよね。やっぱなにかやってないと。

スーさん 
「鼻クソでも、ほじるじゃない!」なんて(笑)。

一同 
(笑)

スーさん 
あの頃の祝日て、天長節ってのが現天皇誕生日でしょ、明治節ってのが明治天皇の誕生日でしょ、それから紀元節ってのが日本が生まれたときのだよね。新嘗祭ってのもあったね。

上さま 
新嘗祭ってのは、お米の収穫を祝う行事でね。あと元旦だ、元旦に四方拝ってのがあって。四大節って言って、四方拝、紀元節、天長節、明治節の日は、祝日で休みなんだよ。だからその日は校長先生だろうがなんだろうが、必ず学校で歌唄って、戦況報告をするわけだよね。

真珠湾攻撃したとき、潜水艦がホノルルへ入ってさぁ、爆撃した隊長が、いわさ中佐、まえばし中佐で、出身がどうのこうのつったけど、いまの大迫選手みたいなもんで、校長先生が毎日ひとりずつそのひとの生まれをほめ称えてくわけだよ。

そういう朝礼を聞かされたね。

スーさん
もうそういう時代はこないっすよ。

・ ・ ・

2019-10-14-MON
(つづきます)

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