2022/10/22

そろそろハロウィンらしい。わたしにはそういった類の物を楽しむ気質がほぼなく、むしろ違和感を強く感じ不快感すら抱く次第だ。
面倒な性格だ思う。

他国、他宗教のエンタメを表層だけで楽しむような姿勢が浅はかな気がして嫌悪感を抱くのかもしれない。

今わたしは二歳近くになる次女を抱っこ紐で抱えながら、帰宅中である。
他人の胸で寝ること。大人になって考えるとそう簡単にできることではない。
よっぽど相手に安心感を抱いていない限りできないことだ。
この安心感とやらは、イメージとしては地に足がついた状態、ぐらつきのない状態だ。
では、何がこの安心を支えているのか。
実はこれ、手に見えない感覚的な何かと言える。
実は世の中目に見えないことの方が多いということにこの歳になって気がつき始めている。好き嫌いだって考えてみるとなぜそう思うかわからない。
好き嫌いは一番大切な人間の判断軸だと思うのだ。これを意図的に交換することは至難の業だ。

嫌いなんだからしょうがない。
好きなんだからしょうがない。

仕方ないことしょうがないこと。
これを認められるようになれると前に進むことが多い。
一方で認めることは、思考停止とも言える。
山を登るように考え抜いた上で、
自分の思考、他人の思考を認めることが人の徳を育む。

考える手法は哲学を学べばわかる。
過去の人々がたくさん悩んでくれている。
最高じゃないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?