2019年7月11日、ビルボード・ライブ・東京、ジェシー・ジョンソンのセカンド・ステージ、レビュー、その2

興奮する僕を鎮めようと、次はどうやらバラードが演奏されるようだ。ファーストに収録のI Want My Girlだ。歌詞は昔の彼女が戻ってきて欲しい、とだけ歌うチープなものだし、正に80年代半ばの雰囲気もまたチープだ。しかしメロディだけは切なくも甘いもので、ノスタルジックさに浸りたい時なら打って付けの曲だと思う。さてそのライブ・バージョンだが、いきなりジェラシーをギターの音色に載せて延々とイントロからジェシーが弾き捲る。いざ歌い出すとこれがまたかっこいい。バカップルが愛だの恋だのをいくら哲学的に語っても全てごみ箱行きとなろうが、ジェシーが切なく歌うとどんな陳腐な言葉もキラキラと光り輝いて聴こえる。打ち込み的チープさも皆無、というかバンド・サウンドになっているのだから当然だ。布袋寅泰がギターと打ち込みものの方法論という点で衝撃を受けたというI Want My Girl。好きなタイプのアーティストではないそうだが、もし彼がこのライブを観たらどう思うだろうか。ラストでのジェシーのエモーショナルなギター・ソロを布袋は素直に嫉妬するはずだ。I Want My Girlは是非ライブ・バージョンで。

90年代に入って突如リリースされたBare My Naked Soul。このアルバムを聴いてレニー・クラビッツを思い出す人は多いと思う。そして何よりレッド・ツェッペリンだろう、僕が今更言う必要もないけどもハード・ロックのパイオニアは彼らだから。ファンカデリックも確かにハードさがあり当時はエッジーなサウンドだっただろうけど、カッコ良い曲は多分にファンキーなエッセンスが入り込んでしまっていた。ハード・ロックとブラック・ロック、やはり僕が好きなのは後者だが、その世界をライブで具現しているのがここからの演奏だ。ブルージーなギター、セトリにはRed Hot Mamaとあったが、ファンカデリックがライブで披露するようなアップさはなく、地をジワリジワリと這うような音色が続く。かと言ってそれが苦悩の連続というわけでもなく、お宝満載のギターフレーズが散りばめられているのだからジェシーの指を思わず注視してしまう。右利きながらリバース・ヘッドのフェンダーのストラトを弾くジェシーはやはりジミヘンを思い出させる。だからか、この演奏中は、プリンスのジミヘンのカバーPurple Houseと脳内で比較してしまう。プリンスはアフターショウでその曲を披露することが多かったけど、ジェシーも小さな箱でやはりそのようにギターを丁寧に弾いている。プリンスは楽器を通して自分を表現していたけど、ジェシーのがもっとテクニカルでマニアックなギター捌きのように感じた。だからと言ってジェシーに表現力がプリンスより足りないということではなくて、プリンスより丁寧で、ギターを大好きなペットのように扱っていると思うのだ。そして荒々しいドラミングにディストーションが慄き、スリリングなリフが滑り込んできて、ベースがドライブする。Bare My Naked Soul収録のBrand New Dayだ。スタジオ・バージョンよりややテンポが速い。それがロックさを助長させている。僕の体は素直に鳥肌を立てる。レニー・クラビッツより先にこの音を鳴らせていたなら、ジェシーの方がヒットチャートを駆け上がっていたことだろうに。武者修行を続けるジェシーには関係のないことだろうけど。気が付くとMy Lifeのボーカルが入るがロックな世界は持続している。つまりずっと気持ちいいまま、ということだ。それでも終わってしまえばあっという間。ギターの余韻が消えることが無ければこのロックな世界は終わらないままだろうに、そう願わずにはいられない長谷川がいるが、ジェシーは僕の気持ちを知ってくれているのだろう、ギターを中々弾き終わらないでいてくれた。

つづく

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