ザ・タイム考察 その2

ザ・タイムを(一部ブート)アルバムと(ブート)ライブで勝手に検証する。その2。

サードIce Cream Castleではジミー・ジャムとテリー・ルイスが抜けて、ポール・ピーターソンらが入った新生ザ・タイムとなってファースト・アヴェニューでライブをした。バンドは映画パープルレインに出演したが既にこの時瓦解状態で、ジェシー・ジョンソンは新生ザ・タイムの新メンバー、マーク・カーデナスとジェリー・ハッブバードを引き抜いてバンドを結成し、モーリスもソロとなる。実はその新生ザ・タイムのファースト・アヴェニューでの唯一のライブは音源が存在し、オリジナル・メンバーではないけどもその時ならではのアレンジとなっていて必聴だし、この面子がパープルレイン・ツアーの前座となっていたらザ・タイムはまた別の解釈(よりモーリス中心のショウマン・シップのあるレビューっぽいイメージ)をされていたかもしれない。脱退せず残った他のメンバーはプリンスの指示の下、ザ・ファミリーを結成するが、一枚の素晴らしいアルバムと一回のライブだけで解散となってしまう。

メンバーがプリンスの元を離れたことは必然だと言えよう。モーリスを優遇するプリンスは彼らには足枷であり、バンマスであるモーリスでさえもそう感じていたはずだ。プリンスも含め皆才能のあるミュージシャン、自由に活動するべきなのだ。

87年10月2日にミネソタ・ブラック・ミュージシャン・アワーズにオリジナル・メンバーのザ・タイムがメドレーを披露したことがある。その中でのThe Birdの演奏はIce Cream Castleからのナンバーだからオリジナル・メンバーによるものとして初となった。映像があり、観ればとてもスリリングなプレイで鳥肌が立つ格好良さではあったが、新曲も披露されなかったし本格的な再結成ザ・タイムのコンサートとは言えるものではなかった。尚この時プリンスは彼らを見学せずデビッド・ボウイのライブの方に行っていた。モーリスもジェシーもそしてジャム&ルイスもこの頃はそれぞれがアルバムをリリースしたりプロデュースしたりして成功し、プリンスに対してどうだ、凄いだろうとドヤりつつ、そして更なる成功へとライバル心を燃やしていただろうから、そんなギラギラした感情からプリンスは逃げ出したかったのかもしれない。まあプリンスもけしかけるようにモーリスの曲The Oak Treeを86年にファースト・アヴェニューで一度だけ軽くカバーした後、その後そのダンスをジェロームらとパレード・ツアーで踊ってみせたり、Shockadelicaというジェシーのアルバム・タイトルを使って曲を作ってしまったり(そのアルバムにShockadelicaという曲は収録されていなかった)、プリンス流オマージュというか茶々を入れているのだが。

基本的に無関心さを装っているプリンスだが水面下では、もう一度ザ・タイムのアルバム、それもプリンス作、歌はモーリスのアルバムを作ってリリースさせようとしていたことは知られている。それがCorporate Worldという名のアルバムで、ブートも存在する。しかしワーナーがビッグになっているメンバー達のインプットがやはり欲しいとリリースを中止させ、4枚目のアルバムPandemoniumが製作されることになる。ここではプリンス半分、メンバー半分のバランスの良い作品になっており、ここにきてやっとザ・タイムのメンバーにある程度のヘゲモニーを与えたものとなったのだ。ヘゲモニー、だなんて、どこかの国の歴史みたいな書き方になったが、実はこれでもまだ半独立状態で、真の独立国家となるのは次のオリジナルセヴンとしての2011年まで待たなくてはならない。

それでも結果、ファンキーなプリンシーさとザ・タイムのメンバーの音楽性の絶妙な融合が功を奏した。4枚目のPandemoniumはジャネット・ジャクソンのリズム・ネイションで使われていた、セグエを挟み入れる手法で曲間に繋がりを持たせ、トータル性とCD時代に適応したボリューム感のある聴きごたえ十分の傑作アルバムとなっているのだ。例えばオープナーとしてグイグイと彼らの世界へと引きずり込んで行くタイトル曲は、プリンスのインプットはないのにとてもプリンシー且つザ・タイムらしさに溢れている名曲だ。よって冒頭に書いた、アルバムに関してはメンバーがオリジナルかどうかは関係ない、がこの4枚目には通用しないのである。そしてメンバーが活き活きとしていたこの時期こそ、ザ・タイムのオリジナル・メンバーとしての真骨頂のライブが披露されていた。ChocolateのPVはメンバーのライブでの動きがある程度想像できる。しかし秀逸なのはブートだが代表的映像は90年9月のWEA Conventionでのライブだろう。そしてTV放送トゥナイトショウやソウルトレインでのパフォーマンス映像もある。これらの凄まじい程に痺れるファンクネスは後にも先にもこの時期だけ、と言えるものだ。しかしツアーからの完全収録のライブはハマースミスオデオンのオーディエンス録音のタイトル一つしか確認できない。そして91年の2月の初来日は放送映像があってコンプリートなのだが、オリジナルのメンバーでのものとなると告知されたのに、来てみたらジェシーもジャム&ルイスも脱退した後となっていた。この時後のNPGのメンバーとなる若きモーリス・ヘイズがキーボードで参加している。

つづく

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