働かずして人生で大金が3回入ってきた話

私は人生で3回、
何も働かずして100万円単位のお金が3回入ってきたことがある。

1度目は20歳。
交通事故に遭い、その保険金がはいってきたとき。

2度目は35歳。
がんになり、保険金がおりたとき。

3度目は今年。
コロナウィルスであらゆる給付金協力金が入ってきたとき。

なかなかこういったこともないと思うので、
そのときのことや、この経験を通じて学んだことを書き綴りたいと思う。

1度目:20歳の交通事故

田舎の大学生だった私は、よくある学生生活よろしく、明け方まで飲んでいた。始発の電車に乗るため駅へ向かって歩いていたとき、

原付にはねられた。

減速してたから、幸い首のむち打ちと肋骨に軽いヒビくらい。
救急車で運ばれて、処置が終わり、あれよあれよと相手の保険会社から連絡が来て、治療費やタクシー、身に着けていたもの(事故で敗れた服や破損したバッグなど)の精算がおわり、1か月後くらいにお金が振り込まれた。

20歳になったばかりの幼いわたしは、宝くじに当たったような気分だった。不謹慎だけど、はねられてラッキーくらいに思ってた。

そのお金は、テレビやデジカメ、海外旅行と、好きなモノを思いっきり買って散財した。

本当はそのお金を語学研修や資格取得など、学びに充てることが出来たのに・・。

2度目:がん保険がおりた

35歳のとき、胃がんを宣告された。

当時は治療のため仕事を全て失うことになりとてもショックだった。幸い、早期発見できたおかげで、胃を摘出、自宅療養3か月くらいでなんとか仕事復帰ができた。

動けるようになった時、保険会社から銀行口座にまたしてもお金が振り込まれていた。

私が入っていたガン保険は、ガンにかかるとその後の保険料は払わなくていい、だけど保証は一生涯続きます、というもの。じつは、ガンになる半年前に偶然にも入っていたのだ。当時、療養のため仕事をしてなかった私にはとてもありがたいことだった。

しかし、20歳のときのことはすっかり忘れていた。

長期間の通院ストレスも相まって、まるで臨時ボーナスが入ったかのように外食、洋服、コスメ、旅行、20歳のときと何らかわりない行動でほぼ散財してしまった。

唯一、進歩したのは、当時戸建てにすんでおり不動産投資に興味を持っていたころだったので、不動産投資について学べるセミナー説明会に行って、保険金の一部を使おうかな?と一瞬考えたくらい。

結局、そのセミナーには参加しないまま終わってしまった。

これも、今思えば運用に回すことができたのに。もし年利5%で運用していれば、結構な額になってたと思う。

100万→99万のように、ケタが変わった瞬間、秒速でお金というものは減っていく。

凡庸な学生、普通の会社員、100万単位のお金を人生で使ったことがない私は、20歳のときも35歳のときも、そのお金を使うイメージがわかなかったのだ。

3度目:そしてコロナの今年

人生で三度目がやってきた。

それが今年のコロナによる様々な措置。
またもお金が振り込まれた。

今回はこれまでと事情が違う。

私はガンで会社員を辞めてから、今は個人事業主として事業を営んでいる。

当然、100万単位のお金も動かすようになっている。

4月、5月は店舗の営業ができなくて、収入はほぼゼロ、地獄のような日々だった。

とにかく事業を存続させるために、毎日情報収集して、だいたいの申請をほぼ当日に申し込みをしていった。

今回わたしが通ったのは以下の通り。

・臨時給付金(全員もらえる)
・個人事業主持続化給付金(店舗を借りてて休業要請対象だった)
・県の休業協力金
・市の休業協力金

現在申請中なのが持続化補助金で、これは前からやりたかったオンラインビジネスを始めるため、上記の申請の合間に申請の事業計画書を作成した。
今、結果待ち、通っているといいけど。もしこれが通ったら、事実上またお金が振り込まれる。

過去2度のどうしょうもない散財経験のおかげで、今回のお金がとてつもなくありがたく思えた。

過去2回の時と今回の時と何が違うのか自分なりに考えてみた。

それは誰かに依存しないこと。

1度目は学生で親や環境に依存し、2度目は会社組織に依存していた。

だけど今回は違う。自分自身が事業を営み依存していない状態だからだったのだ。

とにかく自分の事業を継続するためだけに、走り続けた自粛期間だった。

もう絶対散財しない。かといって、ずっと預金していたくない。生きたお金の使い方をしたい。

今回のお金をもとに、

自分の事業を拡大し、誰かの役にスキルを使い、

生きていこうと心に誓った。










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