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旅をして見つける、もうひとつの時間

極北を旅する

 星野道夫さんの著書、『旅をする木』を読み終わり、そっと本を机の上に置く。手元のカップに残った紅茶を飲みきろうとし口をつけると、すっかり冷めていた。ずいぶん時間が経っていたようだ。
 もともと写真家・探検家としての彼のファンだった私は、ゆっくり、大切な思い出の箱を一つずつ開けるような感覚で、この本のページを捲っては、念入りに文字を追っていった。
 1ページ目を捲った途端、もうそこにアラスカの景色が浮かび上がったあの不思議な感覚が忘れられない。星野さんの言葉は魔法みたいだ。素直で優しい、心のこもった言葉で、アラスカの自然が丁寧に描かれていく。

新しい季節の始まり

季節を運ぶ風は、絵筆のように

 アラスカの景色は一夜にして変わることがあるという。例えば秋、快晴が続いた後でたった一晩冷え込むと、翌日あっという間に木々が鮮やかに紅葉する。まるで北風が、秋色の絵の具をたっぷりつけた絵筆のように、通り過ぎるだけで、季節を塗り替えていく。
 三月になれば、星野さんが暮らすフェアバンクスという街にも春が訪れる。まだ寒さは厳しいけれど、それでも突き刺す痛みを耐え忍ぶような真冬は終わりを告げ、穏やかな春の風がゆったりと漂い始める。

「クマと頭を鉢合わせするなよ!」

 夏が過ぎれば果実が実り、極北の景色が鮮やかに色づく。アラスカでは、ブルーベリーを摘みに行く人に「クマと頭を鉢合わせするなよ!」と声をかけるのだそう。それは全く冗談というわけではなく、果実取りに夢中になった人とクマが頭を鉢合わせすることは、本当にありえることなのだ。長い冬ごもりに向け、脂肪を蓄えなければいけないクマは、コケモモやブルーベリーの実を必死になって食べている。そのため、普段ならあるはずの警戒心が薄れていることも多い。人も同じで、やっと実ったブルーベリーを、「美味い、美味い」とつまみ食いしながら収穫していると、うっかりクマのことを忘れてしまう。こうして互いに気づかず鉢合わせして、はたと危険に気づくというのだから恐ろしい。
 『サリーのコケモモつみ』という絵本に、まるっきり似たような話があるらしい。母親とコケモモを摘みに来たサリーと、同じく母グマとコケモモを食べにきていた仔グマが、コケモモに夢中になってそれぞれの母親を取り違えてしまうという話だ。私たちにとってはクスっと笑える可愛らしい話でも、アラスカの人たちにとっては、いやに現実味があるのだ。
 絵本といえば、星野さんの日常こそ、私からすると絵本の中の出来事のようだ。ある朝、くちばしの赤い小鳥を見つけ、見たことがない鳥だ!と思った星野さんが近づくと、その赤いくちばしは、さっきまでついばんでいたコケモモが口紅のように付いてしまっているだけだった。そんなチャーミングな話がいくらでも出てくる。
 星野さんが送るアラスカの日常には他にも、ナキウサギやゴマフアザラシ、ヘラジカやカリブーなど、実に沢山の動物たちが出てくる。その度に、彼らがひょっこり現れるその情景を思い浮かべては、なんて可愛らしい!と私は身を捩って悶えた。

自然の神秘が教えてくれること

一人っきりの世界も、本当は一人きりではなくて

 情報のない世界だけが持つ、豊かさがある。例えばそれは、雪原が波打つアラスカの氷河や、砂と星だけのサハラの夜。私たちがすっかりその存在を忘れてしまっているような世界だ。
 インターネットも繋がらず、自分以外誰もいない景色の中に突然放り出されたら、私たちは狼狽えるだろう。けれども、そんな世界の存在を思い出すことも、本当はとても大切なことだと思う。
 繋がっていないことは不安だ。人間の営みだらけの社会では、私たちはその営みを少し休んだだけで、簡単に世界から切り離されると錯覚する。だけれど、人間の営みの見えない壮大な自然の中に一人立てば、自分がどうしようもなく世界の一部だと、ちゃんと分かるのだ。
 星野さんは何度も一人きりで、誰も知らない自然の中に足を踏み入れた。生き物の気配が全くしない場所なのに、ふいに現れる鳥や、オオカミの足跡に出会うことがあったそう。その場所にいるはずのない存在と、同じ空間を共有することは神秘的で幸せなことだと彼は言った。きっと星野さんも、一人きりで旅をしながら、一人きりじゃないことに安心していたんだ。

無限に広がる未知の世界がほしい

 世界中を旅することで見えてしまうこの世界の有限さに、星野さんは不安を抱くことがあると言う。初めて南米に降り立ったとき、アラスカとは全く違う風景にワクワクしながら、同時に、無限の広がりを持っていた自分の世界の全容が見えてしまうことに淋しさを覚えた。なんでも、速く歩きすぎると心を置いてきてしまうのだという。
 彼は世界の全てを見たくて、果てから果てまで巡る旅人とは違う。むしろ、自分のまだ行ったことのない、知らない領域を残しておくことに価値を見つけた人だと思う。その気持ちは、私にも少しだけ分かるような気がした。この本の他にも私は旅行記を好んで読むし、実際海外を訪れる機会も多いが、それは、その度にまだ知らない世界がきっと沢山あるのだと思えるから楽しいのだ。地球を自分の住む街ほどに把握してしまったら、きっと退屈だ。一生かけても全てを見られないほど、広くて大きい世界に自分はいると思って生きていたい。知らないことこそ、魅惑的な神秘なのだ。

変わっていく未来への不安

グッチン・インディアンのお祭り

 アラスカには、二年に一度、グッチン・インディアンの人々が集まるお祭りがある。彼らは全体で五千人に満たない極北の狩猟民族で、カリブーの狩猟で生計を立てている。このお祭りの目的は、そんなグッチン・インディアンの人々が抱える問題について話し合い、将来を考える大切な場をつくること。ある年、星野さんはこのお祭りに参加していた。
 極北の環境問題は、多くのアメリカ人が考えているよりも、アラスカに暮らし、毎日自然と対峙している彼らにとって非常に深刻な問題だったし、それ以外にも少数民族の抱える社会問題や不安は山ほどあった。民族の間の伝統的な価値観はこのまま薄れていくのか?やがて自分達の言語はなくなるのか?若者は現代的な価値観のもと、物質的に豊かな都市の生活を求めるのか?もちろん、グッチン・インディアンだけが抱えている独特な問題もあるけれど、変わっていく未来に対する不安は、私たちが普段抱えているものと同じだった。

とどまっていたいのに、変わっていく

 テクノロジーの進化は加速し続ける。情報は飽和し、物に満たされ、さらにネットを通じた世界の一体化を、私たちは手に入れつつある。
 だけれど、その影で蔑ろにされる自然や伝統も確かに存在する。その影の部分を、きっとグッチン・インディアンたちは、私たち以上にリアリティを持って意識しているのだ。だから彼らの不安は深くて、重い。それでも私たちは、変わっていくことを止められない。きっとこれから失われていくであろうものを数え始めたら、私たちは苦しくなって涙するんだろう。

見つけたのは、もうひとつの時間

脆いけれど強くて、儚いからこそ美しい

 星野さんの繊細な描写の上をゆっくりと歩くように、ありのままの自然を追体験してきた。美しい自然を堪能したし、その反面の厳しさや脆さも、恐々とだけれど見つめてきた。私は、私のこれまでの人生で見ることも触れることも叶わなかった別世界の時間を過ごすことができたのだ。
 アラスカで迎えた春、カリブーの出産を間近で見た星野さんは、その翌日に仔カリブーの死骸を見つける。生まれて間も無く死んだのか、また別の群れのカリブーの子供だったのか、それは分からないけれど、命の儚さを目の当たりにした。そして自身も、妻の流産の危機に瀕し、カリブーの出産と自分たちのそれを重ね合わせる。
 また、星野さんはかつて、中学の同級生を登山途中の遭難で亡くしている。思いがけず経験した友人の死というトラウマは、生きている間に好きなことをしなくてはいけないという強い想いに変わり、後にアラスカに渡るという彼の決断に大きく影響した。
 生命は脆く、弱い。そして人間もそんな生命の一つに過ぎないということを、自然の中から私たちは学びとる。しかし、そんな脆さこそが星野さんが自然に魅かれる所以なのだという。か弱い私たちが生きている、それは奇跡のようなものである。私たちは、そこかしこにある絶望や死を乗り越え、逞しく日々を送っている。だけれどやっぱり散るときは、きっと儚いのだろう。そして、それを美しいと思えるのが人間なのかもしれない。

もうひとつの時間が教えてくれること

 星野さんが教えてくれたことで一番印象にのこっているのは、もうひとつの時間についての話だ。
 私たちの中には少なからず、自然への憧れを抱き、そこに帰還することを心の奥底で求めている人たちがいる。そして大抵の人が、今いるこの世界ともう一方の世界の間で、どちらに入り込むこともできず、動けずに固まってしまう。
 本当は世界中のどこにも、自然と新たな文明、「かつてあったもの」と「これから受け入れられるもの」の狭間で悩み続ける人はいた。アメリカの田舎町に住むアーミッシュたちが、馬車で移動し、畑仕事をし、中世を彷彿とさせるような素朴な暮らしを送るのを見て、私たちは本当の豊かさについて考える。同じようにアーミッシュの人々も、私たちの都市での暮らしについてきっと考えることがあるのだろう。どちら側にいても、もう一方への憧憬を抱く。どうしようもなく、向こう側に行きたくなるときがあるのではないか。星野さんは、自分の奥底から響くアラスカの大自然を求める声に逆らえず、向こう側に渡って行った人だった。
 大切なのは、知って、それから考えること。そのヒントがこの本の中には豊富に隠されている。
 少しだけ、思いを馳せてみる。遥か彼方のアラスカの氷河に。切り立つ山々に。どこまでも広がる星空に。太平洋の深さに。私たちが過ごす毎日のふとした拍子に、全く同じその瞬間、存在している別世界を想像してみる。潮を噴き上げ泳いでゆくクジラや、熱い息を吐きながら山奥を駆けていくクマのことを。そのとき私たちは、忙しない日常とは違い、ゆっくりと流れているもうひとつの時間を知る。それを想像する余地を頭に残しておけば、私たちはきっと大丈夫なのだ。

かけがえのない旅に愛を込めて

 この本は、人を旅に駆り立てるだろう。それは飛行機のチケットを買って出かける旅かもしれないし、心の内側に赴く旅かもしれない。日常と、未知の世界への冒険が別々の時間軸で、しかし同時に流れる不思議を、私は味わった。
 読み終わって机に置いた本を見つめ、私は今の気持ちを語りかけるように、表紙をそっと撫でた。


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