人類の転換期にある決断をした
昨今の情勢は目まぐるしく変化している。
誰もが経験したことのないスピードで。
コロナ禍における「東京オリンピック」開催が 賛否両論を呼ぶ中で、私は夢中でテレビにかじりついていた。
自らの人生をかけてスポーツに打ち込んだ人たちが放つ熱量、スポーツにかける想いはテレビ越しにでもひしひしと伝わってきた。
やはり、私はスポーツが大好きだ。
改めてそう感じることができた大会だった。
私の中のある感情が揺れ動いた瞬間でもあった。
幼い頃からサッカーが大好きで、毎日のように身体を動かすことに明け暮れていた。
小学生、中学生、高校生と、年がら年中サッカーにのめり込んでいた。
大学では大阪体育大学に入学し、サッカーだけでなく、様々なスポーツや身体の仕組みについて勉強し、凄く充実した大学生活を送ることができた。
年を重ねるごとに様々なスポーツに興味を持つようになり生涯、スポーツに関わっていたいと思うようになっていた。
ただ、現実はそう上手く進むことはなかった。
プロサッカー選手になる目標を諦めた私は、3回生の頃から就職活動を始め、大学の先輩や教授に「スポーツビジネス業界」での働き場所を求めたが、新卒採用はないと退けられる日々が続いた。
それでも12月まで「スポーツビジネス業界」への就職を諦めきれずにいた私は、いつの間にか就職難に陥っていた。
周りの友人たちは内定が決まる中、私の内定は0。
そこで考えを変えて、まずは一般企業に就職し、
中途採用で「スポーツビジネス業界」に入ることを決めた私は、日本の経済の最先端を走る東京に乗り込んだ。
そして、商社の世界に入り、ビジネスの基本を
学び、1年目から圧倒的な結果を残すことを目標に掲げて新社会人の4月を迎えた。
入社してから始まった研修では、ビジネス用語やパソコン操作についていけず、恥ずかしい質問を繰り返し、同期や先輩たちを困らせることが多々あった。
もちろん申し訳ない気持ちはあったが、自分が分からないことを分からないまま進めるという選択肢はなかった。
そして、研修が終えた次の週に、グループ会社の
スタートアップ企業に出向の指示が出された。
働く場所が転々とし、訳もわからず隣のビルに向かった私に用意されていたのは、日本の何百社とある食品メーカーがまとめられたExcelのシート、子機1台、冷たく固いプラスチックの椅子だけだ。
パソコンを置く机すらも用意されていなかった私は、物置にある業務用の冷蔵庫の上に置いて仕事をしていた。
コンビニのアルバイトの方が待遇が良いのではないだろうか。
社会人とはこういうものだと自分を納得させ、Excelシートの片っ端から電話をかけた。
間髪いれずに次から次へとかけた。
詐欺かと罵られることもあったが構わずかけた。
無心で朝から晩までかけ続けたが、箸にも棒にもかからなかった。
そして1日が終え、上司に0件のアポイントの報告をした。
上司から30分を越えるアドバイスを頂いたが、自分の無力さに絶望していた私の耳にはアドバイスなんて入る余地がなかった。
一度、自分自身で振り返ることにした。
サッカーをしていた頃のように何故ダメだったのかを頭の中で整理し、自己分析を徹底的に行った。
次の日から、声のトーンや話し方を工夫し、先方のHPから得た情報を基に会話を盛り上げることを心がけた。
すると、数日後から次々にアポイントを確約することができ、2ヶ月を過ぎた頃には社内で1番の
アポイント、受注を取る新入社員として騒がれるようになっていた。
圧倒的な結果までとは言わないが、かなりの爪痕を残すことができたと自負している。
社会人生活のたった3ヶ月で成功体験と同時に社会人ならではの辛く苦しい経験をもすることができた。
そして、その翌月に私自身が元々抱いていた 「スポーツビジネス業界」への想いを加速させることになった「東京オリンピック」が会社のすぐそばで開催された。
前述したように、血の滲むような努力をしてきたアスリートの人たちをテレビの前で観ていた私は
この舞台に立つ人たちを羨ましく思うと同時に、少しでもスポーツ業界へ貢献したいという感情が高ぶったことを覚えている。
そして、ちょうどそのタイミングで元々入社したいと考えていた会社が新卒採用を募集しているという情報を目にし、飛び込むことを決断した。
新卒ではない私だったが、勇気を出してエントリーした結果、中途採用という形で11月からジョインさせていただくことが決まった。
そこは「日本のスポーツ全会場を満員にする」
というなんとも魅力的で心躍る目標を掲げている会社である。
必ずその目標を達成できるよう尽力したい。
コロナ禍で危機的な状況にあったスポーツ業界への転職というのは反対の意見もかなりあった。
もう少し落ち着いてから... 1年後とかの方が...
というアドバイスも頂いたが、私はこのコロナ禍だからこそスポーツ業界が、ここから復活していく様を一緒に見届けたいという想いがあった。
人類が一斉に新型コロナウイルスという原因不明のウイルスに襲われ、元ある生活を変えざるを得なくなった。
生きてる中で一生に一度あるかどうか分からない人類の転換期を迎えている今が「スポーツビジネス業界」に入るベストなタイミングであると確信している。
この決断が間違いではないということをこの先の結果で証明していくしかない。
大学生の頃から「スポーツビジネス業界」に入ることを目指していた私を一番近くで見ていた両親に報告すると凄く喜んでくれた。
少しは親孝行になったのではないかと思う。
新卒で入った会社では「やりたいこととお金を稼ぐことの両立はできない」なんて本気で目指したこともない上司に言われたこともあった。
やる前から諦めるのは退屈な人生でしかない。
私の好きな言葉でこんな言葉がある。
「二兎を追う者だけが二兎を得ることができる」
おもいっきり二兎を追っかけて必ず得てやろう。
#スポーツ #スポーツビジネス #転職 #親孝行#東京オリンピック #わたしの舞台裏
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