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Cory Wongという男

2024/6/4 Cory Wong 梅田クラブクワトロ 

 終演後これほど長く客が居残り、とっくに明転しているのに「もう一曲」とせがむ観客がいるライブは初めて見た。アンコールの手拍子のようなルールに則ったものではなく、むき出しの熱狂。恥じらいも遠慮もなくなってしまった一部の客に少し冷ややかな気持ちになりつつも、まぁそうなるのもわかるなと思いながら帰っている。YouTubeでライブは散々見ていたが、間近で見ると、多幸感だけではないチリチリとした危うさ、そして、なにか普段抑えているいろんなものをさらけさせられてしまうような強烈なパワーがあった。

 Cory Wongの音楽には共通した「お約束」がある。それはいわゆる「キメ」のようにも聴こえるものだが、それとは似て非なるものである。したがってどんな新曲であっても、あるいは異なる展開をされたとしても、観客は同じようにノリ、まるで打ち合わせたかのように盛り上がる。妙な言い方になるが、特に今日の観客はまるでCoryの呼吸を感じ取っているかのようだった。それは私も含めて。

 別にクラブのようにディープなキックが鳴っているわけでも、ループしているわけでもないのに、確実にあの瞬間はトランス状態だった。そして、そうした「予知」のような経験を繰り返しているうちに、どんどんライブに自分がのめりこんでいくのがわかる。実際に、梅田クラブクワトロの床は観客の動きに合わせてうねっていた気がするが、ひょっとしたらそれさえも厳格だったのかもしれない。

 何より、ステージ上でのCory Wongの振る舞いがすさまじかった。あれほどテクニカルなことをしておきながら、バンド内の閉じたアンサンブルに没頭するのではなく、ずっと観客のほうを向きアイコンタクトをとる。代名詞でもあるタイトなカッティングをするときは必ず舌をだし、茶目っ気のある表情を見せてくる。

 演奏自体を楽しんでいるというよりも、自分が演奏している様子を見られることを楽しんでいて、そしてそれに応えようとする姿は、本当にアイドルのようだった。演奏はもちろん、そうした表情やステージをかけまわる姿にくぎ付けだった。

 アンコールのサプライズで『Dean Town』が奏でられたとき、反射的に声が出てしまった。歌おうとかそういうものではない。出てしまう。それが全員に同時に起きたのであった。もちろん、日本で行われるワンマンにわざわざ足を運ぶくらいなのだから、全国でも特に濃いCory Wongファンが集まっていたのは事実だが、それにしても異様な揃いようだった。

 そのテクニックやソングライティングも魅力であったが、実際に見て感じたのはそうした要素を整理整頓した上でプレゼンする力の高さだった。

 わかりやすく語るが、嘘はつかない。そうした誠実さに加えてインパクトがある。そうしたところがCory Wongの唯一無二性なのかもしれない。そして、そこに効いてくるのがCory Wong本人の人柄というかショーマンとしての意識の高さであろう。

 楽曲が好き、人柄が好きということはよくあったが、単純に本人から出るある種のカリスマ性のようなものに酔わされてしまったライブは初めてだった。

 


 



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