02.Mar.2020

なぜか時がたっても消えない記憶ってある。

今思い返してももぞもぞしたくなるような恥ずかしいことや、死にたくなるくらい辛かったこと、死んでも良いと思えたくらい嬉しかったこと

そしてそういうことって往々にして一緒にいた他人にはさほど重要なことじゃなかったりもする。
えーそんなことあったっけ?よく覚えてるねーって。

そんな記憶の中に、私がとても大事にしているものがある。

小学校1年生の夏休み。
6歳か7歳の子供が1ヵ月強の長期休暇に計画立てて課題ができるはずもなく、母に手伝ってもらいながらやってた。

ていうか今思うと、子供にご飯食べさせて学校行かせるだけが親の仕事じゃないの大変すぎる。将来私も自分の子供に自然にそういうことをするのかもしれないけれど、自分の親に対してはそれを当たり前だとは思いたくない、今日この頃。

とにかく、小学生にだって容赦なく宿題がある。
計算ドリルやら漢字ドリルやら、自由研究(って小1の頃からあったっけ?自由研究は両親ともに理系なおかげで毎年子供の発想とは思えないようなものを提出していた記憶しかない。)やら、訳も分からずやっていたのだけど、小学生の夏休みの宿題定番シリーズの中に、読書感想文というものがある。

この辺はあまり覚えてないけど、確か小学1年生は読書感想文は必須じゃなくて、ドリル系とあとひとつ、習字とか絵とか出してくださいみたいなことになってたんだと思う。
みんな夏休みの思い出の絵とか描いて来るんだけど、私は読書感想文を出した。なぜそうなったのかは全然覚えていない。

読んだ本は『フランダースの犬』だった。なぜこれを読むことになったかも全然覚えていない。
多分、母が買ってきてくれて言われるがままに読んだんだと思う。小さい頃から本を読むのは好きだったし、言わずと知れた名作中の名作『フランダースの犬』ということもあって、夢中になって読んだ、朧気な記憶がある。

本を読み終わってさあ、感想文を書くぞという段階になって、母は私にどんな話だった?と訊いた。
その時の光景とか空気の匂いとか母の顔とか、今でもはっきり覚えている。

今はもう使わなくなった丸いテーブルにお母さんと私、おじいちゃんが後ろの椅子の足に体重をかけてゆらゆらする癖があったせいで、私から見て右側の椅子の下の床には凸凹の跡がある。
お昼ご飯を食べた後で少しだけ眠い。クーラーが効いていて気持ちが良い。

ネロという男の子がいて、パトラッシュという老犬がいて、と、多分支離滅裂だっただろうけど、自分が読んだ本のあらすじを母に話していく。

話が進んでいくうちに、ぼろぼろと涙が出てきた。
話せば話すほど止まらなくなってしまって、最後にネロとパトラッシュが教会の絵の前で死んでしまうシーンを話そうとしても泣きすぎて話せなかった。

本を読んでいるときは泣かなかったのに、自分でも何でこんなに泣いてしまうのか分からなかった。
単純に少年と老犬が死んでしまった悲しさなのか、それまでの彼らの不遇さへの同情なのか、ネロとパトラッシュの健気な姿への感動なのか、当時の私がどこまで理解していたのかは分からないけれど、びっくりするくらい泣いた。

感想文には「なみだがとまらなくなりました」と母と相談して書いた。書きながら、涙が止まらなくなるってこういうことなんだ、と思った。言葉は理解できてもそれまでは実感として無かったことなんだと思う。

今でも私は本を読んでよく泣くし、何ならストレスが溜まった時などに思いっきり泣きたい!と思って本を読んだり映画を観たりすることが少なくない。
あの『フランダースの犬』のあらすじを母に説明しながら号泣した瞬間は、私が生まれて初めて物語の一部になれた瞬間というか、自分ではない誰かに心を動かされた瞬間というか、とにかくとてもとてもかけがえのない大切な時間なのは間違いない。
そしてこの経験と記憶が今の私の本好き・映画好きに繋がっていることは言うまでもない。

平たく言ってしまえば、子供が感受性を身に着けていく過程の話なのかもしれないけれど、それって大人が言葉で説明して覚えさせるものじゃないし、自分に実害・実益がないと感動できなかった子供が、自分の知らない世界の知らない人間・物事に思いを馳せることができるようになるって、物凄いことだと思う。
だから、私はきっと一生このことを忘れることはないし、母にとても感謝している。

何でこんなことを急に思い出したのかは分からない。

今度母に会ったらこのことを覚えてるかきいてみよう。

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