15.May.2020

久々に中島みゆきの蕎麦屋を聴いたら、母の運転する車に乗っている最中だというのに号泣しかけた。

最近、世の中で起こっていることについて、私だって怒りや悲しみや寂しさを感じているはずなのに、それを口に出す勇気が出ないままただ時間だけが過ぎていっている。

私と意見が違っていようが、知識が無かろうが、自分の意見を自分のままで言える人はとても勇気があると思う。

私にはまだそれができないでいる。このnoteだって知り合い全員に見られたら、と考えただけで怖くなる。
SNSで私が本当に思っていることを発信したら、私のフォロワーは一桁になるだろう。もちろん、フォロワーを増やしたいとか多ければ多いほど良いとか思っているわけではないけれど。
それでも良い、嫌う人は勝手に嫌ってくれ、と心の中では思えても、それを実際に口に出すほどの自信は、ない。

小さい頃の私は無敵だった。

親族全員が大卒でエリート家族と他から揶揄されるような家の末っ子として育った私は、昭和と平成の狭間で時が止まったみたいなど田舎では、かなりませた子供だったと思う。

自分は特別な存在だと信じて疑わなかったし、そう言われて育った。
自分の考えこそが正しいと心の底から思っていた。

それが、学校という社会の中に入って、あからさまなヒエラルキーが出来上がって、歳を重ねていくにつれて色々な経験をして、主観と客観がどんどん離れていくことに気が付いた頃には、頭でっかちな田舎の中学生になっていた。

あの時みたいな人間に戻りたい、とは全く思わないのだけど、今になってあの無鉄砲さが少しだけ羨ましい。

私の周りには、本当に優しい人がたくさんいて恵まれているなあとよく思うのだけど、誰にこんな話をしたら良いのか分からない。
それはきっと私が、自分自身が本来とても傲慢な性格であることを隠すために、本音っぽい話し方をしてしまうことに原因がある。

それでいて、私が自分の中でも矛盾があるような本音を漏らしたときに「わかんない奴もいるさ」って言ってくれる人が現れないかなあ、なんて他人に期待をしている私は卑怯者だ。

誰かと話をしたい。
性別、国籍、宗教、政治的立場、学歴、育った環境、年齢、そういうものはすべて置いておいて。

21歳、大学4年生というタイミングで世界がこんなことになっているのは、ある面から見たら、誰かと本音で色々なことを話すチャンスなのかもしれない。

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