31.Jan.2020

今日で1月も終わってしまうみたいでビビり倒してる。まだ2020年という響きにも慣れてないのに。
そしてパキスタンでの生活も残り1か月と19日。

最近は授業を受けたり買い物に行ったりしているときに、確実に自分の語学力が付いてきていることを実感するので嬉しい。

その一方で、私はそもそも社交的な人間ではないのだなと実感してもいる。
私は、というより日本人の多くは、といっても過言ではないと思っているけれど、誤解を避けるためにも敢えて「私」という主語でここ1か月くらい考えていることを書いてみる。

よく、海外の人はフレンドリーだ、みたいなことが言われているように思うけど、それは偏見ではなくて経験談で間違いないと思う。(もちろんどの国にも色々な性格の人がいますが全体の印象として)
そして特にパキスタンはその傾向が顕著だと思う。

1度話しただけで友達になってしまうし、数分話しただけで電話番号を交換するし、用がなくても毎日連絡をしてくる。
外国人が珍しいから、というのもあるとは思うけれど、初対面のパキスタン人同士を見ていても日本と比べて圧倒的に他人との距離が近いし、近くなるのも早い。

留学する前からそういうことは聞いていたし、きっとそうなんだろうなという漠然としたイメージもあった。
他人と話してお互いを理解することは何にも代えがたい素晴らしいことだということは充分に理解しているつもりだし、だからこそ外国語学部に入りたいと思った。

だけど実際に留学をしてみてそういう価値観・距離感を持った人たちと暮らすようになってみて、私にはそれが向いていないのだろうなと感じている。

こういう話をするとすぐに”コミュ障”とか”陰キャ”と揶揄されるけど、それとは違う。
その場の空気や話している相手に合わせて自分の振る舞いを変えることはできる。一緒にいて退屈だ、苦痛だ、とまでは思わない。
でも、放っておいて欲しいと思うこともあるし、悪気のない言動を失礼だと思ってしまうこともあるし、こちらに来る勢いに恐怖すら感じる瞬間もあった。
要するに、私はこの国の人々と付き合っていくことが苦手だ。

その事実にぶつかって、私はかなり落ち込んだし、今もまだ迷っている。
私は言語や海外の文化について勉強することを楽しいと思っていた。
でもその分野は、現地の人々とのコミュニケーションに苦手意識を持っていることを克服せずに突き詰めていけるものではないだろう。

私の興味は結局、国や文化にしか向いていなくて、それを創り上げた人々には向いていなかったのだろうか。
私は先進国である日本で生まれ育って、努力しなくてもご飯が食べられて教育を受けられる環境にいたからこそ、それとは違う世界に興味を持ったのだろうか。
そんな傲慢な理由で私は大学を選んで留学にまで来てしまったのだろうか。私は知らず知らずのうちにずっとこの国を、この国の人々を見下していたのだろうか。

そんなことない!と思う自分もいるけれど、この疑問を完全に払拭し切れないということは全てが思い違いという訳ではないだろう。
でも、このことに気が付くことができたことは私の留学における大きな収穫かもしれないと思う。

大学を1年休学してまで留学した意味は何だったのか、日本に帰ってから私は何をしていきたいのか、あと1か月と19日で今よりは明確にできるように頑張ろうと思います。


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