きんたろうあめ
母が天国へ旅立ってしまいました。
4人姉弟の中で
1番怒られたのはわたしだったよね!
と生前母に話したことがあります。
「あの時は、苦しくて大変だったものね!」と母
そんな時、言うことを聞かなかったのが
わたしだったらしい。
(容量が昔からわるいらしい。笑)
常に一生懸命動いている母の姿しか思い出せない。
仕事をしているときは、化粧をばっちりして!
定年後は真っ黒になりながら畑のことをして!
休みなよぉ〜っていつも声をかけてたなぁ〜
姉が亡くなったときも涙を見た記憶がない!
今の自分と同じくらいの歳に子育てを
もう一度することになり、若いお母さん達に混ざり学校行事をして、、、
今回、息子が病気をして始めて感じたあの時の母の苦しさ。
今、知った感じ。。
独立したときも初めは反対していたけれども
「大丈夫!あんたなら大丈夫!お母さんをみてごらん。どんなことにも耐えてきた!私の子!大丈夫」と背中を押してくれていたというか
言い出したら聞かないことをわかっていたのだと思います。
母は元気で100歳まで生きると勝手に思っていたわたし。
その母が
3月に緊急入院し
4月に姉の23回忌には弟たちに支えられながら
参列し、
「よかった」と
5月には孫が入院したときは、
誰よりも心配していたはずなのに、この時も
「大丈夫!」と。。。
6月に入り、さらに病状は変化していく中でも
「よくなるのかな」「帰れるかな」と
よく言ってました。
7月には、悪いながらもリハビリを頑張り
明日は息子の退院。
8月になったら一時退院を計画しようとしていた矢先の病院からの連絡。
「え?まさか」
病院につくと冷たいなって
鳴り響くモニターは0
波形はまっすぐ
病気はよくならない。
それはお医者様からの説明や自分自身もそう思っていました。
なくなる日も弟、姪っ子ちゃんが面会にいき
いつもと変わらない感じで。。。
「手を洗って」
「足を洗って」
帰りはハイタッチ🤚
寂しがり屋だった母は
1人で旅立っていきました。
最後に交わした言葉は
電話での喧嘩。
「もういいのよ!死んでも」と弱音をはく母へ
ゆっくり話を聞くことなく
「今日は話するのやめようね」
と電話をきってしまいました。
後悔。大!後悔
告別式が終わり
翌日、お坊様から教えていただいたこと
「母がきんたろうあめのようにはいかなかった」と昨日の葬儀の時にいっていたそうです
きんたろうあめ
とは
よいことも
わるいことも
いろんなことがあるこの人生
きんたろうあめはどこを切っても同じ顔になります。
そうなるような
こころもちや
人生になれるように
ばあちゃんは常々人のために頑張っていたそうです
だけれども
人生がおわったとき
「あーきんたろうあめのようにはなれなかった。先生」といっていたそうです。
それを聞いたとき
母らしいなあ〜と思ったことと
残された私たちが
次に会う時に
「ばあちゃんやじいちゃん、ゆきみねえちゃん、からよーやった」といってもらえるような生き方をしていきたい😊
褒められた記憶はありませんが
この人生、よーやった!
と言ってもらえるように
人のために
世のために
頑張っていきたいと思います。
さびしいけれども
涙がでるけれども
がんばろー。わたし。
「お母さん。ありがとう😊
お母さんの子供でよかった👦」
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