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『あなたに褒められたくて』高倉健著、集英社文庫

 本を読むとは人と出会うことです。実際には会っていないのに、その人柄にふれられます。その出会いが素敵なら、いつだって再会できます。私はときどき、本からそんな出会いを見つけ、そんな再会を楽しめるときがあります。今回のエッセイ集で、私ははじめてあの大スターと出会えたと思っています。映画を通してしか知らない高倉健という人の「素」というか、ひとりの「人間」にふれた気がしたのです。


 高倉健は感性の人です。役者だからでしょうか。巻頭エッセイの「宛名のない絵葉書」から、健さんの感性の繊細さをみつけたと思うのです。これは健さんが、CMの撮影のためにポルトガルへ行ったときのエピソードです。その時の高倉健のポルトガルのイメージは、作家の檀一雄さんが住んでいたところでしかなかったといいます。健さんは、檀一雄のポルトガルから送られたエッセイを新聞で読んで心にしみていました。そんなことが健さんの興味をふくらませたのか、檀一雄が2年間暮らした淋しい漁村サンタクルスへ足をのばしています。

「なぜ、檀一雄という作家は、すべてのかかわり合いを断ち切って、こんなぎりぎりの地へ、自分をおいたのだろうか。それがぼくの心に引っかかって、せつない思いのする旅となった。この地で檀一雄は、きものに雪駄履きで、籠をぶら下げて買い物に行き、海辺にたたずみ、そして仕事もした。なんで、どうして、といくつもの疑問を繰り返しながら、ぼくはもっとせつない思いになる。住む人もいない地の果てよりも、ここは人の臭いがするだけに、もっとせつないんじゃないかと」(p17)

そうか、人がいるときに人はせつなくなるものだと気づかされました。

 高倉健はいたずら坊主です。お茶目といえばいいのでしょうか。例えば、催眠術の話にはニヤついてしまいました。あの大霊界の丹波哲郎から催眠術が得意だったという話からはじまり、健さん自身も一時凝ってよくやっていたというのです。そんなに簡単なものかなって思いましたが、役者という仕事はある意味自分に催眠かけて別人格になっているようなわけだし、演技するというのは、「ふり」をするわけだからそんな素養があるんでしょう。また、「ガチャ」さんにまつわる「胡椒のお風呂」なんておかしいです。ガチャガチャとするから「ガチャ」とよばれる俳優さんをからかう話なんですが、そこに嫌味な感じがしないで、落語で出てくる与太郎を思い起こさせてくれます。心の根っこには「ガチャ」さんへのあったかさを感じます。飲み物に下剤まぜたり、睡眠薬まぜたりして、そして胡椒のお風呂なんてとんでもないところに入れたりして‥。健さんがそんないたずら坊主なんて想像でもできなかったです。最後に、「いろんな悪いことしてしまったよ。‥‥‥ご免なあ”ガッチャやん”」と。

 高倉健はこだわりの男です。健さんは、毎年2月の節分のときに、善光寺節分会詣りを続けていました。この「善光寺詣り」では、1991年の善光寺詣りから話がはじまっています。そのときで31回目というからそれにこだわり続けていたのがわかります。『海へ』のロケでアフリカにいたときも、台湾でロケしているときも、『ブラックレイン』でニューヨークにいるときも、とんぼ返りで善光寺へと向かっているというのです。そもそも健さんが善光寺に行ったのは、1959年に、有名人として豆をまく仕事からはじまっています。それから仕事ではなくとも、毎年行くようになります。健さん自身がなぜ続けているのかという思いがあったそうです。その理由が「これだ!」とわかった話なのです。それは、健さんのご先祖に、小田宅子(おだ・いえこ)という『東路日記』という紀行文を残している女流作家がいました。天保12年(1841年)に親しい歌仲間と3名と東国への旅に出ました。その旅程が、まず船で大阪、堺まで行き、奈良をへて伊勢神宮へ詣でる。そのあと、名古屋から中仙道をとって、木曽路を越えて善光寺にお詣りし、さらに妙義山から日光を周り、江戸を経て、再び善光寺へお詣りして、故郷に帰ったというのです。日数にして、約150日、延々八百里を中年の主婦が旅を続け、それから10年のちに『東路日記』を完成させたというのです。

「しかし、ぼくの本名が、小田であり、宅子の子孫であることは、まぎれない事実であり、そしてまたぼくが、すでに30年来、善光寺に惹かれ続けていることと、宅子の二度のわたる善光寺参詣との間には『血』を感じないわけにはいかないのだ」(p68)

しかし、このことを知ったのは、善光寺詣でをずっと続けていたあとなのです。自分がこれだと直感的に思ったことは、その感覚に正直になり、やり続ける強さやこだわりを持つ男なんですね、健さんは。

 高倉健はいきな野郎です。「お心入れ」という話は、健さんが俳優になったころのものです。これは何かというと、なんでもかんでも説明しないでおくことです。

「お心入れって、いい言葉ですよね。お心入れがないんですよね、このごろ‥‥端的に、どこどこの何でございますって、ちょっと高級といわれる料亭にいくと、『ええ、これは琵琶湖のシジミでございます』って。『聞いてねえよ』って言いたいときがありますね。(中略)この自分が今、売る商品に関しての‥‥それはある意味では自信なんでしょうけど、僕はだからお心入れっていうのは、お互いにわかっているって、何も言わないで出すんだけれども、これだけはあなたのために自分は選んできたんだって言いたいけれど言わない。で、出された方は、これだけ気をつかっていただいて出してもらった、みんなわかっている‥‥それはもうある意味では、文化だっていう気がするんですよ」(p118~119)

この「お心入れ」とはかなり我慢も強いられそうです。でも、ぐっとこらえるところが、いきなんです。私もそんないきな野郎になりたいと思うんです。

 高倉健は人恋しいお人です。このエッセイ集の最後は「ウサギの御守り」というものですが、これだけは他のものと違って、詩のような形でつづられています。その言葉と言葉の間に、私は読みながら私の人生のこれまでの一コマひとコマを、当てはめてみながら読んでいたのです。私が大事に思ったいろんな顔が浮かんできました。こんな言葉をつづる健さんは、人恋しいお人に違いないでしょう。冒頭の部分だけ紹介します。

 人が人を傷つけるとき、自分が一番大事に想う人を、いや、むしろとっても大切な人をこそ、深く傷つけてきたような気がする。この人ははかけがえのない人なんで、もうこんな人には二度とは会えないぞと思うような人に限って、深く傷つけるんですねえ。傷つけたことで自分も傷ついてしまう。‥‥‥

そして、最後にこんな言葉を添えてくれています。

 「愛するということは、その人と自分の人生をいとおしく思い、大切にしていくことだと思います」『幸福の黄色いハンカチ』の北海道ロケ中に、ぼくが、山田洋次監督に、愛するということはどういうことでしょうかと、その質問に対する答えでした。(p185~186)

 あと、毎回のエッセイの最後に入るイラストがとってもいい。それは素朴な感じではあるが、健さんの話を私の頭の中で大きくふくらせてくれます。すぐに、次のエッセイへと頁をめくるのではなくて、ちょっと立ち止まってその余韻を楽しめる”優しさ”を感じるんです。そんな”すきま”のようなものが心地よくて、このエッセイにあっています。まさに「お心入れ」を感じさせるように、最終頁のあとにひかえてくれているのです。

 たまたま、このエッセイを書いているこのタイミング(2015年1月30日)で、外は雪が降っています。朝からしんしんと降り続いています。私の書斎の窓から雪景色をながめながら、映画のロケで長期間、北極や八甲田山にいた健さんの目線にだぶらせていました。きっと雪をみながら静かに誰かにハガキをかいていたんだろうと思うのです。「あのときちょっと言い忘れたことを伝えたい」とか、「ありがとうが少し足らなかったのでもう一言感謝の言葉を送ろう」なんて考えていたんじゃないでしょうか。私も雪がふるのをながめながら、このエッセイを高倉健への言葉でしめくくります。「健さん、またお目にかかると思います。それまで、天国でお元気で」合掌。

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