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『一切なりゆき 樹木希林のことば』樹木希林著、文春新書

この人はとんでもなくオリジナルだった。私がはじめて樹木希林さんを意識したのは、テレビドラマの『時間ですよ』におばあちゃんとして出演していた時だ。自分の部屋の壁に大きなジュリー(沢田研二)のポストが貼ってある。そのポスターをみて「ジュリー!!!」と熱情をこめて叫ぶシーンが印象的だった。

 私生活では、破天荒なロックンローラーの内田裕也さんと結婚して、鬼籍に入るまで添い遂げている。といっても、結婚してから別居歴が40年というのも規格外だ。常識で考えると結婚を維持する意味がわからない。芸能人は結婚しても分かれるのが多いけれど、樹木希林さんと内田裕也さんも、一度離婚の危機を越えている。というか、希林さんに無断で内田裕也さんが離婚届を提出するが、それに彼女が異議申し立ての裁判をおこして、樹木希林さんが勝訴している。

 そんな経験があるのだが、本の中でも「離婚しなくてよかったなあ」と内田さんが語ったことも紹介されている。死ぬ直前には、樹木さんは旦那に向かって「お宅どちらさんでしたか?」ってそれぐらい言ってやりたいわよ、と語っている。そんなやりとりを聞いていると、男女の関係はいろんな形態があり、つまらない既成概念だけで考えたり判断したりすることに意味がないのがわかる。第三者に迷惑をかけたり、法を逸脱しない限り、二人の中で了解さえとれればなんでも良いだろう。

 そんな樹木希林のことばをいくつか拾ってみたい。まずは、ずっと役者として第一戦で活躍してきた彼女の考え方がわかるところである。

“少なくとも美人女優という枠には入らない。でもこのミスを活かそうと思ってやってきた。今はミスがむしろ面白い顔として受け入れられる時代ですけれど、それこそ40年前は、女中さん役の顔だってミスは許されなかった。その中で私がこうして生き残れたのは、ミスを活かそうとしてきたからじゃないかと思いますね”

たしかに女優と言えば、美人と決まっていた時代があった。ところが、どう見ても美人とはいえないのが樹木さんだ。それを「ミス」と言っているけれど、それを活かすと考えたという。10年以上前に、私は演出家の久世光彦の講演を聞いたことがあった。数多くのヒットテレビドラマを生み出した人だからこそ、たくさんのテレビや映画の裏話を楽しく聞かせてくれた。そのときの樹木希林デビュー前のオーディションの話を鮮明に覚えている。何人かの応募者と一緒に入ってきて、見るからに変な人がいたという。組み合わせを変えても、その人がどうにも目立って仕方ない。「この人は何なんだろう!?」思ったのが樹木希林さんだったという。きっと「ミス」を「活かした」彼女のすごさの表れなんだろう。

 芸能界というのは生存競争がし烈だろうし、生き馬の目を抜く出来事は茶飯事だろう。ましてや、美人でもない樹木希林がずっと第一戦にいたわけである。そんな彼女はいろんな人を見る機会があり、いろんなドラマ(いざこざ)も目の当たりにしてきただろう。そんな彼女がこんな言葉を残している。

“性格のいい男はいると思うんですけど、性格のいい女はいないですね。年齢に関係なく、女の持っているもののなかでまず裏側の怖さのほうが先にわかっちゃう。”

 性格のいい女はいないですね、と言い切っている。そうなんだと納得できるような気がすると同時に怖いなあとも思った。私はどの世界であっても、女性はたくましいと考えているが、それが芸能界となればさらにたくましいだろうし、性格がよいと生き残れないのかもしれない。

 生きていくために覚悟がいるんだと考えさせられたのは、男女に関するこの言葉からだ。

“同棲するなら、籍を入れた方がいいよ、それは。だって同棲っていうのは、別れちゃったら嫌なものが何も残らないから。その気軽さは、人生においては無駄ね。そんな生ぬるい関係を繰り返しても人は成熟しない。結婚生活を続けることも別れを決断することも、かならず嫌なことも付きまとう。でもそういう経験が、生きていく上では大切だって思ってた。”

私は傷つかないのが良いことだと思っていたが、この言葉にふれてから私の考えも少し変わった。人は簡単に学ばないし、簡単に変われない。だからこそ、そこで傷ついたり、嫌なものを感じることが、その人の成長につながるというのだ。その通りだと納得した。そして嫌なものが残ることから、なぜ嫌なのかを向き合えば、そこに自分の持つ弱さや嫌な点を知るだろう。人の成長はそこからはじまるなと私は合点がいった。

 あの内田裕也さんと結婚して添い遂げたこの人だから言えるのが、この言葉である。

“どの夫婦も、夫婦となる縁があったということは、相手のマイナス部分がかならず自分の中にもあるんですよ。それがわかってくると、結婚というものに納得がいくのではないでしょうか。ときどき、夫や妻のことを悪く言っている人をみると、「この人、自分のこと言ってる」と、心の中で思っています(笑)。”

 相手のマイナス部分が自分に絶対あると。そしてそれを受け止められたら納得がいくという。別居生活40年でも、その関係を維持し続けた理由が、「相手が実は自分だった」からとなるのだろう。それにしても、若い時点でどのようにして樹木希林はそんな達観にいたったのであろうか。

 100年時代なんて言われる現代を生きていくために、日々のいろんな嫌なことも辛いこともどのように対応して生きていけばいいのか。この本の中に、自分がぶち当たっている壁や問題の具体的な処方はないかもいれないが、大きなヒントになるようなコメントが目いっぱい詰まっている。

昨年、私は渋谷で樹木希林さんがモデルの「死ぬ時ぐらい好きにさせてよ」という等身大のポスターを見たことがある。ミレーの「オフィーリア」を真似たパロディのポスターだ。実際には「死ぬとき」どころか、かなり「好きに生きた」人ではなかっただろうか。なんだかもう一度「ジュリー!!」で悶えながら叫ぶシーンを見てみたくなった。できればもう少しでも映画に出てほしかった。(2019年1月8日)

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