エピソード1:トニー・ジョー・ホワイト/Polk Salad Annie

スワンプロックを最初に紹介するならトニー・ジョー・ホワイトと決めていた。
それは、彼こそがスワンプロックの始祖とも言うべき存在であるからだ。
今回紹介する曲は、トニー・ジョー・ホワイトの代名詞的な曲なのだが、特に有名になったのエルヴィス・プレスリーがライヴでカヴァーしたからであった(初出は1970年11月発売の『Elvis on tour vol.2』)。
この曲は、トニー・ジョー・ホワイト自身の少年時代をテーマに唄った歌だ。
トニー・ジョー・ホワイトはアメリカルイジアナ州出身で、7人兄弟の末っ子として1943年7月23日に産まれた。暮らしは豊かでは無く、良くある田舎の貧しい家庭だった。
そんな彼は、10代からバンドを始めるも、専らカントリーやフォークをカヴァーしており、作詞作曲など考えてもいなかった。しかし、15歳の時にボビー・ジェントリーの『Ode to billie joe』(1967年発売)と言う歌に感化され自ら作詞を行う様になった。この歌は、彼氏が投身自殺をするのにも関わらず、それを客観的に捉える彼女の心境を淡々と語る歌なんだけど、彼はこの歌詞に共感を得た。彼氏が自殺してしまったのは悲しいんだけど、綿花を摘まなきゃ今日明日を生き延びられない。そんな暮らしの辛さを彼氏の自殺と対比させていて、悲しさが余計に募る歌だ。

曲調はアコースティックギターの軽快なカッティングが印象的なフォーキーブルースで、寧ろこの曲をスワンプロックの元祖と呼んでもいいのでは?とも思う。
話しをトニー・ジョー・ホワイトに戻す。
彼もビリージョーの歌詞の登場人物達と同様の貧しい暮らしをしていたが、『Ode to billie joe』に衝撃受けて、自身の暮らしを歌にする様になる。
そうして産まれたのが『Polk salad Annie』である。
ポークサラダとは、豚のサラダでは無く、アメリカ南部では一般的な食用雑草で、葉や若芽が食されていた。とは言っても、積極的に食されていた訳では無く、他に食べるものが無いから仕方無く食べていたと言うのが正しい。
そんなポークサラダを食べて暮らしていたアニー(トニーの知り合い)の日々の暮らしや家庭環境について淡々と歌われるのだが、アニーのおばあさんはルイジアナ州の凶暴なワニに喰われてしまうは、母親はギャングの娼婦となって今は刑務所暮らし、父親は仮病を使って働かないし、兄弟は盗人暮らしという無茶苦茶ぶり。そんなアニーは可哀想だよねと言う歌なのだが、何か救いがある訳でも結末がある訳でも無い。ただただアニーの暮らし、いやアメリカ南部のごくごくありふれた貧しい家庭の日常を切り取った歌だ。
この辺りがボビー・ジェントリーの『Ode to billie joe』に通ずるところなのだが、ドラマチックな歌詞じゃ無くてもいいんだと言う確信をこの時トニー少年は得たのだと思う。
その後も彼は素朴なありふれた日常をテーマにした歌詞を泥臭いスワンプロックのサウンドに乗せて歌い続けるのだが、どの曲も心に沁みる。そしてバーボンも進むのだ。
サウンド面について何も触れていなかったので、少しだけ触れておこう。
プロデューサーはビリー・スワン。1968年5月にナッシュビルのスタジオでレコーディングされた。軽快なベース音とストラトキャスターの乾いたギターとドッシリ腰を据えたドラムで幕を開けるこの曲はこれだけで、スワンプ指数はほぼ100に近い。
冒頭はトニー・ジョー・ホワイトが語り口調でアメリカ南部について語り、暫くして歌に入ると言う構成だ。サビではホーンセクションも加わり、これ以上無いスワンプロックを聴かせてくれる。
同じくアメリカ南部出身のエルヴィス・プレスリーが愛したのも頷ける。


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