僕が投資先に求めるもの

これまでもいろいろな事業や投資をしてきた。これからは「人」に投資していきたいと考えている。

Twitterで「CHANCE」というプロジェクトを立ち上げ、チャレンジしたい人たちを募集したことは以前のnoteに記した。CHANCEをきっかけにさまざまな人が僕に会いに来て、「投資してほしい」と言ってきたのだった。

「プログラマとしてシリコンバレーのスタートアップで働きたい」

最初に紹介するのは、シリコンバレーのスタートアップで働きたい、という若者。

「ブロックチェーンのプログラムを勉強していて、スタートアップ界隈で働きたいんです。また、いずれ起業をしたいと思っています」

東京の有名大学に通っていて、意気込みもある。「ぜひ会いましょう」と言い、僕は地元の福井から東京まで出向いた。話をするうち、彼は将来の夢を語ってくれた。

「いつか、アメリカのシリコンバレーに行きたいと思っています」

「それはいいですね。働く前に見に行っておくといいと思いますよ」」

「1年後くらいに行けたらいいなと思っているんです!」

「いや、今行けばいいんじゃないですか? 自分で体験すると全く違うよ。君の年齢で1年の価値はとても高い。できるだけ早くいった方がいいですよ」

「そうですよね。でも、お金がなくて……」

「20万円くらいあれば行けますよね。肉体労働で1~2か月あれば稼げますよ。時間を金で買うという考えなら、消費者金融から借金してすぐに行くという考え方もあります」

「はい。でも……」

「目の前にいる僕に借りたっていいかもしれません」

「本当ですか? それはありがたいです!」

ここまで話しながら、彼が及び腰なのを感じていた。まだ本気度が足りないんじゃないだろうか。このままお金を貸してもいいが、それでは彼に何のリスクもない。多少の意気込みを見せてほしかった僕は、ちょっとした提案をした。

「ただ貸すのでは面白くないですよね。クラウドファンディングを使ったテストマーケティングが流行っているので、そこで『アメリカのシリコンバレーに行きたい!』というプロジェクトを立ち上げるのはどうでしょう? そのプロジェクトを立ち上げてくれたら、周囲の人も応援してくれるし、僕も支援しますよ。記録もキャリアも公になって、一石二鳥ですよ」

彼は「すぐにやります!」と言って、その場を後にした。

1週間後、彼からの連絡が届いた。

「クラウドファンディングに出したのですが、審査で落ちてしまいました」

「そうですか。残念ですね。でもサービスはたくさんあるので、諦めずに何度でもチャレンジしてみてください」

「はい。わかりました!」

ところが、彼との連絡はそこで途絶えてしまった。

何かにチャレンジするとき、汗をかけない人が成功できるわけはない。初めてのことに飛び込むパッションや、ハードルを乗り越えるパワー、「何が何でも」という気持ちが必要なのだ。彼はその時点ではまだ、本当にシリコンバレーに行きたいとは思っていなかったのだろう。

「フィリピンでコワーキングカフェを始めたい」

次は、フィリピンで出会った日本人男性とフィリピン女性のカップル。男性の方は、セブ島の語学留学の会社でインターンとして働いていて、彼女の方は建築の免許を持っているビジネスパートナーだという。事業をスタートするのに、僕に出資をしてほしいというのだ。

「起業して、コワーキングカフェを始めたいんです。場所は目星がついています。この国に恩返しがしたいんです」

「いいですね。最初の資金はいくらかかるんですか?」

「100万円くらいかかります」

僕は、彼らの本気度を知りたくていくつか質問をした。

「これまで、どれくらい動いてきたか教えてもらえますか? 金融機関に相談したとか、友人に貸してもらえるように頼んだとか」
「いや、まだ行っていません」

彼らは、見ず知らずの僕に、初めて出資の依頼をしたというのだ。僕は少しカチンと来てしまった。

「僕は初めて起業するとき、友だちや知り合いに頭を下げてお金を集めたんですよ。そこからスタートしたんです。今ここで僕にお金を借りて、その事業がポシャっても、あなたたちには何のリスクもありませんよね」

彼らは黙ってしまった。僕はなんだか、彼らの生活が少し心配になってきた。

「いま、ちゃんと食えてるんですか?」

「正直、食べていくのに精いっぱいです……」

「それなら、今すぐ日本に帰って、肉体労働を掛け持ちしてはどうですか? 100万円くらいすぐに貯まるんじゃないですか」

「彼女もいるし、フィリピンにいたいのでそれはしたくないんです」

僕が何を提案しても、らちがあかなかった。100万円を出資するのは簡単だが、その後に彼らは毎月の家賃さえも支払えず、負債を増やし続けることになるだろう。

「それは、あなたの人生を狂わせることになるのでできません。でも、何度でもチャレンジしに来てください。たくさん行動したけどダメだった、と汗をかいた姿を僕に見せてください」

そう言って最後に握手をしたが、やはりその後に連絡が来ることはなかった。

とにかく行動するオハラ君が始めた「オタキュート」

寂しい出会いがある一方で、驚くほどガッツのある人に出会うこともある。フィリピンで出会ったオハラ君は、とにかく行動する人だ。僕がFXの仕事でフィリピンに営業拠点を作ろうとしたとき、人材募集に応募してくれたひとりだった。

彼の履歴書には、バギオというフィリピンの軽井沢のようなところで、露天商をしていると書かれていた。さらに、フィリピン人を2人ほど雇い、月に5万ペソ、日本円で10万円ほど稼いでいるという。僕はそのことに驚いた。

「僕は十数年フィリピンに来ているけれど、まだ1ペソも稼いだことはない。自分の事業で月に何万も稼いでいてすごいよ。君は雇われる必要ないんじゃない?」

「露天商の権利もたまたま取れたので、来年また取れるかはわからないんです」

募集していた仕事にはもっとマッチする人がいたため採用には至らなかったが、オハラ君のことが妙に気になってしまった。翌日一緒に飲みに行きいろいろ話していると、彼は「起業したいと考えている」と教えてくれた。詳しくは聞かなかったが、もう少し関わりたいと、パートとして来てもらうことにした。

1~2週間ほどして「具体的にやりたいことがあるの?」と軽い気持ちで聞いてみたところ、驚くことにオハラ君は、カバンの中から事業計画書のようなものを取り出した。

「いつどこでチャンスが来るかわからないので、常に持ち歩いているんです」

内容は、インターネットカフェでVRゲームが楽しめるという「VRカフェ」の構想だった。これまで、初期資金60万円を出資してもらうためにマニラ新聞で働きながらオーナーにプレゼンしたり、キャバクラ店の昼の時間を貸りるために交渉したりしていたという。

正直、彼の描いている事業計画のようにうまく進むとは思えなかった。それに、最初の事業は失敗するものだ。でも、根性があるなら何度でもチャレンジすればいい。僕は彼の心意気に共感し、最初の60万円を出資することにした。

「思い切り失敗しなよ」僕はそう言ったが、「失敗しませんよ。お金を出してもらうからには死ぬ気でやります」とオハラ君は答えた。

人生はあっという間に終わるので、できるだけ早くオープンした方がいいとアドバイスした。彼は「2か月でオープンします」と言ったが、フィリピンという国でそれは無理だ。たいてい詐欺まがいのことや、ひっかけみたいなトラブルが起こるのだ。

結局、いろいろなトラブルがあり計画通りにはいかなかったが、僕の予想よりもずっと早い4か月というスピードでオープンした。

オハラ君は、朝から晩までVRカフェの運営に時間を使った。有名なスポーツ選手や、吉本興業の芸人さんなど、さまざまな人が遊びに来てたくさんの仲間ができた。

残念ながら、VRカフェは売上がままならず閉店してしまったが、仲間と経験を手に入れて、事業をピボットすることにした。

2000万円を投資した「OtaCute」

彼が次にチャレンジしたいといったのは、コスプレイヤーのための「OtaCute」という事業だ。フィリピンで外資100%の会社を作るには、資本金が2000万円ほど必要だった。僕は全額を投資して、彼の事業に掛けることにした。

フィリピンは自撮りがとてもポピュラーで、Facebookも世界一流行っていると言われている。日本のアニメも人気で、コスプレイヤーがとても多い。ところが、これまでコスプレイヤーは企業にいいように使われていた。表現する場所が少ないために足元を見られ、ブラック労働的に運営会社に使われていたのだ。

オハラ君は、コスプレイヤーが楽しみながら収入を得られるような環境と文化を作ろうと考え、将来的には、コスプレイヤーのための東京ガールズコレクションのようなものを開催したいと考えている。そこからスターを輩出したいのだ。

今の事業の柱は、ショッピングモールでの撮影スタジオレンタル。また、コスプレイヤーに投げ銭できるアプリを作り、SNSのようなプラットフォームも構築した。

年末に1万人規模のイベントも計画していたが、新型コロナウイルスの影響で中止になってしまったのは残念だった。でも、今のところうまくいっていて、利用者は右肩上がりに増えている。

事業はアイデアだけではうまくいかない。オハラ君も、最初から「OtaCute」をやろうとしていたら、ここまでの規模になっていないだろう。最初に失敗したVRカフェで、仲間を見つけ、経験値を増やした。その財産が、今の事業をここまで伸ばしているのだ。

僕が投資したいのは、オハラ君のようにとにかく本気で取り組める人だ。


これまでに連絡が途絶えてしまった人がこのnoteを読んでくれているなら、伝えたいことがある。いろいろな経験を積んで本気になれたら、また僕の所へ来てほしい。あるいは、自分の力で成功して、僕に「参った」と言わせてほしい。僕も20代中ごろまで腐っていたが、フィリピンに来て、いろいろな出会いのおかげで変わることができた。だから、その気持ちはとてもよくわかる。

人は、変わることができる。僕はそう信じている。


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