人はリスクを負うからこそ成長できる。「リスクテイカー」という肩書き


「自分は何者なんだろう」

そう思って、自分のこれまでを振り返ってみた。詳しくは前回のnoteに書いた通りだが、僕はリスクを取ってばかりいたように思う。そして、うまくいってもいかなくても、リスクを取ったときに飛躍的に成長ができる。

僕自身を表すと、次のような言葉になる。

「リスクテイカー」

自分の事業がある程度うまくいって、これからはいろいろな人を応援していきたいと思った。若い人たちや志のある人たちが、リスクを取る手助けをしていきたい。

「欲望がむき出しになっている街」フィリピン

3000万円の借金を返済したあと、事業がうまくいってある程度まとまったお金を手にした。そのお金を使って社会貢献をしたいと思ったとき、最初の頃は「貧しい国に学校を作りましょう」「貧しい国に井戸を掘りましょう」といった活動に気持ちが向きやすかったように思う。

でも、改めて考えると、僕の願望はちょっと違っていたのだ。

なぜなら、僕は貧しいと言われるフィリピンを何度も訪れ、その人たちと密接にかかわっていたから。フィリピンに住む人たちを「かわいそうな人たち」とは思えなかった。

例えば、フィリピンで知人と一緒にいたとき、彼は10万円ほどの日本円をフィリピンのお金に換えてポケットに突っ込んでいた。ところが、少し歩いただけでそのお金がなくなっている。周囲には子どもが10人くらいいたから「お前ら盗んだな!」と言って全員を裸にしてみたが、誰も持っていない。子どもたちは、盗んだお金を仲間にすぐ渡し、受け取った子どもはもう逃げてしまっているのだ。

子どもが悪いとか、ポケットに入れておいたのが悪いとか、そういう話がしたいのではなく、僕はそういったリアルな世界を感じてきたということだ。

人間の欲望がむき出しになった街だ、とよく思う。子どもたちの盗みも、生きるために仕方なくやっているのだろう。治安の悪さは、それがある意味の人間らしさなのかもしれない。

フィリピン人のマーヴィンとの出会い

もう10年来の付き合いになるマーヴィンという友人がいる。7~8歳ほど年上で、兄貴のように思うこともあるし、僕の右腕のようだと思うこともある。ビジネスパートナーであり、戦友であり、大切な友人だ。

フィリピン人にはカトリック教徒が多い。僕もフィリピン女性と付き合っていたときには、一緒にミサへ行ったこともあった。すがすがしく、気持ちいいのが印象的だった。

マーヴィンも例にもれずカトリック教徒だ。聞くと、毎週土日の両日ミサに行くという。どれくらいの時間かと聞いたら、朝の8時か9時ごろから夜の11時まで(!)いるのだとか。今は、ミサはオンラインで配信され、世界中とつながっているという。いろいろな人が懺悔をしたり、人生相談をしたりしているのだ。

「とても楽しいんだよ」とマーヴィンは言う。

5年ほど前のクリスマスの頃、信じられない事件が起こった。窃盗をして逃げ回っている犯人に対して、警察が発砲した。それ自体は珍しくないが、その弾が鉄筋にあたって跳ね返り、学校帰りだった15歳の女の子の首にめり込んだというのだ。

打たれた女の子は、なんとマーヴィンの娘だった。救急車で運ばれて10時間ほどのオペをする間中、「パパがついているよ」「神様がついているよ」とマーヴィンは祈り続けていた。

彼女の体に入り込んだ銃弾は、太い血管や神経を傷つけることなく、ギリギリのところで止まっていた。オペの後はリハビリの必要もなく、すぐに元気になったのだ。

僕はもともと神様を信じているわけではないが、「娘が撃たれた」とマーヴィンの連絡を受けてから彼女のオペが終わるまで、神様の存在を強く感じた一件だった。

マッチングサービス「チャンス」を立ち上げ

こんな風に、僕は20代から30代の間、フィリピンと濃いつながりを持ってきた。ビジネスでもプライベートでも、たくさんの時間を過ごして、たくさんの盗みや詐欺にあい、たくさんの影響を受けた。

痛い目に遭った場所だけど、マーヴィンと一緒に「フィリピンをよくしていこう。絶対できるよ」といつも語り合っていた。なぜなら僕は、フィリピンに鍛えてもらったと思っているから。

そんな経験を通して、この世はある種「人間の修業の場」ではないかと思っている。いい悪いは置いておいて、「やりたいことを素直にやる」のが、僕の生きていく道で、人生の醍醐味ではないかと思う。

いつの間にか、ここ数年は起業家の卵のような人が周囲に集まってくれるようになり、自分自身がその人たちをサポートしてみたいと思うようになった。

ことはじめが、「CHANCE」というプロジェクト。チャンスが欲しい人と、チャンスをあげたい人をマッチングするという仕組みだ。

メインの事業をビジネスパートナーに任せられるようになったので、試しにTwitterでスートしてみた。広告を出したところ、「チャンスが欲しい」という日本人やフィリピン人からたくさんの応募が来て、ビジネスにも発展していく予感がした。

いくつかのプロジェクトがスタートし、「CHANCE」を事業化することにした。代表は僕でなく、フィリピンで孤児院を支援するボランティア団体をしていたスティーブさんにお願いすることにした。

会社の拠点はフィリピンで、今は日本人やフィリピン人の人たちのチャンスを増やす活動をしている。そこで影響を受けた人が、どんどん自分の事業を大きくしていってくれれば嬉しい。

CHANCEをスティーブさんに譲り、僕は社会にどんな貢献をしていけるだろうかと考えた。僕はずっと、リスクを取る人間だった。

人類史という観点から見ても、人はリスクを取ることで進化してきたと言っていいだろう。始めて食べるもの、初めて行く場所、初めてやること。いろいろなリスクにトライするからこそ、たくさんの英知を積み上げ、それを財産にして子孫に受け継いできたのだ。

だから僕は、リスクテイクする人を増やしたい。リスクを取ってチャレンジしたい人たちに、資金や知識、気持ちの面で後押しをしたいと思っている。

今後、このnoteでも、僕が支援している人たちの情熱やストーリーをお伝えしていきたいと考えている。


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