日記

あの深夜の散歩からすでに3日が経つ。あなたは今どこで誰と一緒にいるだろうか。私には知らない。
でも、私の心の中にあなたがいることははっきりとわかっている。今の私を構成する欠かせない一部分だ。

最近、ネコの消失に加え、本と自分自信と向き合う時間が多くなって、物事をより本質的に捉え、考えることができた。特に、ネコのの消失を機に、人生とはなにか、そして一人の人間としての価値は如何なるものかについて、深く考えるようになった。
それは、プロフェッサーの言うように、私たちの人生には意味がなく、価値も無に近いとつくつく思った。これから私がいつ、どんな形で死を迎えようだか、それに付随する意味もしくは価値は一つもない。時間と共に、人々の記憶から消え、存在自体が抹消されるだろう。百歩譲って、例え私の存在がなんらかの形で残ったとしても、土の中に眠る私には関係ないことだ。
それが、人生だ。意味のないことを意味があると思い込み、進んでいく。まるで、砂漠の中で蜃気楼に水を求めているようだ。所詮、すべては幻想でしかない。

ただ、このような人生でも、救世主は存在する。女性の存在だ。決して、それ自身に意味はないが、快楽を感じることができる。そう、私がこれまで否定してきた快楽主義的な考え方だ。
時に思う、私が物事に意味を求め過ぎていたかもしれない。正味、すべては人間が勝手に作った幻想の世界に過ぎないのに、その幻想的な意味を求めても、果たして意味はあるのだろうか。今後は、幻想の理論を突き詰めるよりも、幻想をベースに物事を再構築していく方が良いかもしれない。そう、脱構築を超え、再構築だ!

再構築の旅がはじまる...!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?