馬鹿vs"賢者"
世の中ってなんでこんなにも馬鹿が多いんだろう。
その馬鹿な奴を操れない俺も馬鹿だけどね(笑)
でも、社会システムはそもそもそうやって構成されているのかもしれない。馬鹿だって恋愛する権利はあるし、馬鹿同士だからお互いが引き合う。外から見ると、単なるバカップルであることは多いけどね。(笑)
馬鹿でも馬鹿なりに繁殖していかないと、私たちホモセピアンも生き延びてこなかっただろうね。
先から、馬鹿って連呼しているが、では馬鹿は一体どう定義すればいいのだろう?個人的な見解として、馬鹿と"賢者"の主な違いは、物事を考える視野の広さである。具体的に言えば、"賢者"はより長期的な視点で、より俯瞰的に、様々な角度から物事を考えれる人ではないかと思う。その思考回路の根本となるのはロジックであり、大学で最も鍛えるべき能力である。
しかし、残念ながら一般人では短期的な視野で自分の周囲しか見ること・考えることができない。それも無理はない。これほどの大きな社会システムが出来たのは極最近なことで、150人以上の連携がなかった私たちの先祖にはできないのも当然だ。そのDNAを受け継いた私たちの脳と現代社会システムのギャップと言えるのではないだろうか。そのギャップを学習を通して、乗り越えた人のみが"賢者"となる。
しかし、"賢者"は正論だけを持って、周りを動かすことができない。なぜなら、その他の人はまだ1万年前の頭で物事を考えているから。
正論だけではない、真の全体を考えれる真の"賢者"に向けて、頑張る!
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