New Yorkに行って感じたこといろいろ【UX/デザイン編】

先日、特に下調べもせずにフラッと New York に行ってきた。
そこで感じたことをただただ自分の観点でメモしておく。


New York といえばアートの街。

いろんなものが凝った装飾がなされているのか?などと思っていたがそんなことはない。

まったくもって「シンプル」だった。

むしろ日本のほうがごちゃごちゃしていると思った。

これは、アメリカにはたくさんの人種、民族がいるために「みんながわかりやすいように」するためにいろいろなものがシンプルになっているようだ。

また、聞くところによるとアメリカ人自体も複雑なルールが苦手らしい。


選択肢が多すぎて悩むことがない

◯地下鉄の料金は距離に関係なく定額

New York は東京都同じように、地下鉄(サブウェイ)だけで街中を移動できる街である。

ただし、日本のように距離に応じて高くなるわけではなく、料金は一律。
・1way:$2.75 (どこまで乗っても)

どこまで乗っても1回$2.75。切符は磁気がついた紙のカード。

改札に入るときに1回だけ通す。「GO」が出ると入れる。1wayの場合はいちど通してGOが出るともう次に通すことはできないので要注意だ。

ちなみに、電車を降りて出るときには何も通す必要はない。だれでも自由に出られる感じ。

他にも乗り放題で1週間、1ヶ月単位のメトロカードもある。

Metro Card
・1week:$30
・1month:$112

これは、市バスにも乗れるので便利です。

市バスも均一料金で1回$2.5。ただし、現金の場合はすべてコインで払わなければならず、知らずに2人で$5札をにぎりしめて乗ったら、「コインしかダメだよ、あ、コイン持ってないのね、いいよ乗りな」とただ乗りさせてくれたwww

「距離を長く乗る人は長くサービスを使うのだから、それに応じて多く費用を払わないといけない」という細かい考え方は、日本人特有の気質なのかもしれない。

基本的にはゼロかイチか、乗ったか乗らないかでの判断が多い。

そう考えると、選択肢があまりないので悩まなくてすむ。


広告やポスターはシンプルで伝えやすく

街中のサインなどを見て思うことがあった。

「ダサい広告やポスターがない!」

フォントはほとんどがゴシック系。いろんなフォントが使われてはいるが、Helveticaが多いだろうか。

最近流行りの細長いLEAGUE GOTHIC系のフォントも多様されていた。

内容は、情報の重要度にあわせて大きい文字と小さい文字で構成されている。

余白もそれなりにきちんととられている。

アルファベットしかないから、それだけでダサいと感じないのだけかもしれない。

そう考えると、日本語のMSゴシックのダサさはいったいなんなんだろう。。


原色を多く使う

タイムズスクエアのネオン街はもちろんなのだが、街中の案内板などもいい感じに原色をアクセントカラーとして取り入れられているように感じる。

建物自体は、ほとんどが自然な色。石やれんがでできたものが多いが、ほとんどが無彩色、自然な色だ。

だから余計に「アクセントカラー」として際立って見えるのかもしれない。

ただ、日本のようにくすんだ色やわかりづらい色はあまりない。

色の見え方も、人種によって違うといわれるが、それも関係あるのかもしれない。

たしか色弱の人が、黄色人種よりも白人男性のほうが多かったのを思い出した。(色覚異常 - Wikipedia


サービス業に関して

◯「サービス業」に対する意識がないようで、実はある

日本のサービス業は「お・も・て・な・し」と言われるほど質が高いというのは最近では世界でも有名だ。

しかし、日本にいるとサービス業が当たり前すぎてよくわからなくなってくるのである(平和ボケである)。

これは、チップの払いどきなどを考えていてそう思った。

「あれ、この人にはチップ払うの…?」

基本的にはチップは、相手がしてくれた「サービス」に対して自分が値段を決めて支払うサービス料のこと(と理解した)。

たとえばごはんやさんで、自分がオーダーした食事をウェイトレスさんが持ってきてくれること。これはサービスを受けている。

それに対して、セルフサービスのお店で自分が食べたいものを取り、最後にレジを売ってもらってお金を払うこと。ここにはサービスは存在しない。

わたしたちの感覚だと、どちらも「接客」に変わりはないからどっちもサービスじゃんと思ってしまうが、そうではないらしい。

この違いを実はまだうまく言語化はできないのだけど、なんとなくその場ですむレジ打ちみたいな業務はサービスではないが、相手のために肉体労働しないといけないことはサービスなんだろうなと思った。

とはいえ、Music barでライブ中に女の子がバケツを持ってまわってくることもあるが、基本的には「人のために肉体労働すること」がサービス業の基準になるのではないかと考えた。

サービスに対するチップという文化が根付いている以上、きっと子どものころからこれはサービス業かそうでないかが明確に区別できるんだろうなと思った。

◯仕事さえやれば態度は気にしない

これは主にサービスを受ける側のほうの気持ちかもしれない。

日本でどこかの飲食店に入って、店員どうしがダラダラぺちゃくちゃとおしゃべりしていたら、「なにこのお店、売る気あるんかな?」と思わないだろうか。

わたしは思ってしまう。やる気ない店員だなーとか。
しかし、アメリカに行く途中からすでにその考えがすごく偏っていたんだなと感じ始めていた。

日本人が勤勉だといわれる所以がわかったような気がしたのがこの話だった。


アメリカに行くとき、D航空を利用した。
いちばん後部の座席で、すぐうしろがCAさんの控室みたいな感じだった。
乗ってすぐ、まだ離陸前ではあるが、聞こえてきたのはCAさんどうしがテンション高くしゃべる声。
「ひさしぶり!いつ結婚したのー!?」というほんとにふつうのおしゃべりだ。

いつもANAを愛用しているので、びっくりするようなできごとである。

さらにびっくりしたのは、最後部座席と後ろの壁との間に、なにやらバッグがはさまっている。

また、最後部の荷物入れの中にはすでにバッグとコートが入っていた。そこの乗客はまだ乗り込んでいなかったので乗客のではなく。。だれのだろうと思っていたらCAさんのだったことがあとでわかった。

ドリンクサービスなどもきちんとしてくれるが、「ただやっている感」は否めない。お客様をおもてなしするようなことはみじんも感じられなかった。
ANAのCAさんのようなつくり笑顔もない。人間どうしのやりとりでおもしろいことがあればもちろん笑うが、「どうぞごゆっくりおくつろぎくださいませ、ニコッ」のようなものはない。

しかし、別にだからといってだれかが不快な思いをしているわけでもない。

CAさんも仕事として最低限の業務はこなしている。


もうひとつのエピソードはメトロポリタン美術館でのこと。

メトロポリタン美術館にも、監視員というか、警備員というか、あちこちに立っている。
その人たちも、もちろん見まわってはいるが、けっこうおしゃべりはふつうにしている。

あるとき、館内のカフェでお客さんがビンを落としてしまい、すごい音がして割れてしまった。
その際、近くにいた監視員の方がポケットに手を突っ込んだまま無言で寄ってきて、ぶっきらぼうにお客さんに「ケガはないか?」とだけ聞き、お客さんは「ないよ、大丈夫」と答えていた。
そしてそのままポケットに手を突っ込んだまま、足で割れたビンを一箇所に寄せ集めていた。

日本的にはありえない「態度」だが、よくよく考えるとだれかがいやな思いをしているわけではない。

監視員も、「片付ける」という仕事をきちんとこなしている。


なんだか日本は(いろんな意味で)行き過ぎたサービスが当たり前のこととして成り立っているんだなということをひしひしと感じた。

日本でもアメリカでも、やっているサービス内容は変わらない。ただそこに「おもてなしの態度」があるかないかということだ。

この「おもてなしの態度」、とても素晴らしいことだとは思うし、それが日本の文化として誇るべきことだとも思う。

でも、決してそれがマストだとは思わない。
その文化がないところではおもてなしをする必要もない。
したところで「おせっかい」に変わってしまう可能性もある。

「郷に入れば郷に従え」というが、まさにそのとおりだなと思った。
日本だとできるならやったほうがいいが、アメリカではそれが評価されることが少ないのであればやらなくてもいい。

やっぱり違う文化を知っておくことはとても重要だと強く感じた旅だった。

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