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技術革新から来るスポーツの画一化で笑いを考えた

ウンチングテレポート!みたいな意味わからん終わってるネタをやってましたが、今日も変なネタが1つできました。

変というのは主観であって、人に見てもらうことで客観が生まれますが、そもそも変というのも「正統派」「主流」的なものが存在するからそれのカウンターとしての「変」であって、言い換えると「想像の余地」でもあると思います。「正統派」の存在とともに、「画一化されていない」からこその「想像の余地」でもあると思います。みんな同じやったらおもんないじゃないですか。でもスポーツ界では画一化が急速に進んでいると思います。お笑いはまだまだスポーツよりも解明されていない部分があって、だからこそ面白いと思います。



技術革新が進み、多くの要素が数値化されることで、どうすれば勝ちやすくなるか、がスポーツ界においてかなり解明されつつある世界情勢になっています。

野球ではバレルロール理論が提唱され、「〜度から〜度の角度で、〜km/h以上の゙打球を打てば安打になりやすい」と明確に数字で表されるようになったことでフライボール革命が起き、とにかく強い浮き球の打球を打つという方向に大リーグ全体で動きました。その結果、大きな選手が並び、みんなが同じアッパースイングでバッティングするようになりました。選手の個性が弱まりました。もちろん例外な選手もいますが。ストライクゾーンの判定もAI化していく流れです。よりイレギュラーが減り、わかりやすいものになっていきます。

サッカーでは、特にプレミアリーグですが、とにかく速く強い選手が重宝される傾向にあります。それはゲーゲンプレスとか偽サイドバックとか細かな戦術は違いがありますが、強くて速いことがトランジションであったりポゼッション時のサポートの速さやそれを持続できるかであったり、戦術を成立させるための大前提としてフィジカルが重要であるからだと思います。流行りの戦術がフィジカルが重要な部分があるからではあると思いますが。選手の走行距離やスプリント回数、デュエル勝利数などが明確に数値化されるようになったので、画一的な戦術のクラブが増えました。その結果、ファンタジスタタイプの創造力溢れるプレーをする選手が減りました。ちょっと前までペップ時代のバルサが美しいポゼッションサッカーをやったり、運動量が少なくても強いイタリア代表のカテナチオ戦術もありましたが、今は似たような戦術のクラブが多いです。

MMA(総合格闘技)においてもそうです。
今はラウンドごとの採点でかつラウンドごとに有効打の回数やテイクダウン時のコントロールタイム、テイクダウンの゙チャレンジ回数など様々なことが数値化され、どのような戦術をすればポイントを稼ぎやすいのか、勝ちやすいかが明確になりました。それに伴って、レスリングが強いことが前提でかつ高レベルでボクシングができる選手がかなり増えました。マカチェフやヴォルカノフスキーが良い例だと思います。MMAは歴史が浅いので、PRIDEの頃はノゲイラだったりヴァンダレイシウバだったり様々なタイプがいましたが、技術革新と画一化で選手の個性は薄れました。また、ケージでラウンドマスト判定によることでイレギュラーの少ない「競技」としての形は成り立ってきましたが、リングで試合をすることでブレイクがあったりトータルマスター判定でのジャッジの人間味があることで担保されていたイレギュラーが減ったことにより「興行」としての面白さは減ったと感じています。このへんは考えが人によって別れるところです。「ブレの無いロボットのストライクゾーンとブレのある人間のストライクゾーンとどっちが面白いですか?ただし正確でわかりやすいのはロボットのストライクゾーンです」という話です。



そこでお笑いの話ですが、お笑いはまだまだ数値化画一化されていないと思います。良い意味で。「どの声量でどの大きさのマイムでどういうことを言えばどういう人がどれだけ笑うか」ってわからないじゃないですか。誰もが肌感覚でやっていると思います。その肌感覚は誰しも別々に、演者もお客さんも持っていて、そこのすり合わせをなんとか考えて最大公約数を導き出せればめっちゃ笑ってもらえるんだろうと思いつつも、狙ったようなことは寒いと考えて穿ったことをしてみたり、結果として色んな人間の考えやネタが生まれるから人間味溢れる面白いエンタメとして成立している気がします。「想像の余地」です。みんな同じやったら面白くなくないですか?

お笑いというジャンル自体が不確定要素をはらんでいる部分が大いにあると思っていて、そこはこのジャンルの決定的な強みだと思っています。
お客さんは演者が出てきた時点では(ほとんどの場合で)何が起こるかわからない状態(出てきた演者が何をするかわからない状態)であることが既に不確定要素を担保しているし、そもそも構図として常識があっての非常識が巻き起こることが前提なので、絶対に常識に対してのカウンター、「イレギュラー」が起こる見せ物なわけです。

お笑いは「想像の余地があり、人間味があり、不確定なことが起こる、演者もお客さんも想像のできないエンタメ」な気がします。ここだけ聞くとなんかめっちゃ楽しそうですね。実際楽しいです。見ててもやってても楽しい素晴らしいエンタメです。数値化されたくないですね。NSC生が何言うてんねんという話ですが。


ここまでまとめて、ウンチングテレポート!とか平安ポリスでおじゃるよ〜♪とか、想像余地の使い方下手すぎる。なんとかせえよ。みんなで見よう週末のRIZIN。

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