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フィルモグラフィー:夜明けのすべて

映画が好きで、折に触れてよく映画を観る。最近観た映画、以前観た映画に感じ入ったことなど、その時の感情で綴ってみようと思う。



「夜明けのすべて」という映画を観た。

主人公の一人藤沢は、PMS(月経前症候群)という持病がある。ホルモンバランスの乱れ等により、特定の周期でイライラが抑えられなくなり、過度に行動に表れてしまう状態だ。それが理由で職場を含めた様々な場面でトラブルを起こしてしまい、社会に対し生きづらさを感じている。導入のシーンで職場を退職し、子ども向けの天体観測キットを製造している地域の中小企業に転職したところから作品が始まる。

もう一人の主人公山添はパニック障害を持ち、電車や美容院にも行けず、以前の職場を退職し、藤沢と同じ会社で働くことになる。パニック障害もあり、他人と関わることを避けているような印象の青年。

その他に、藤沢と山添の会社の社長、山添の元上司、藤沢の母親も登場するが、社長も元上司も肉親を不幸な形で亡くしていたり、母親は脚が不自由でリハビリテーション施設に通っていたりする。みんなが自分の弱さを知っている。


そういった人々が相互に関わり、自分の弱さ、他人の弱さに気づき、意識的にも無意識的にも助け合うことができるようになっていく。それだけの映画だ。淡々とそれだけを描いている。



人は誰しも生きづらさを抱えている。自分もそうだ。やらなければならないことをできなかったり、結果として他人に迷惑をかけたり、他人に優しくできなかったり、自己中心的な行動や不誠実な行動を取ってしまったりする。自省の日々だ。それでもなかなか修正できない部分がある。難しい。わかっていても。


今年の4月まで、障害者支援の事業を展開している法人で働いていた。そこでは様々なことを感じ、考えながら仕事をしていた。

「障害ってなんだろう?」とか。

わからないながら導き出した現時点での答えは、「障害」は「生きづらさ」であり「状態」なんだと思う。



生きづらさを全く感じていない人間はこの世にいないと思うし、その生きづらさは人の数だけあるだろう。脚が不自由で車椅子でしか移動できない、人とうまく話せない、人工透析が手放せない、どうしても時間を守れない、集団の中にいると落ち着かない、感情をコントロールできない。名称があろうがなかろうが、様々な「状態」の生きづらさを抱えながら、みんなが社会の中で生きている。「〜病」「〜障害」というと構えてしまうかもしれないが、それは多くの人が抱えている生きづらさの「状態」の一形態であり、そういう意味では誰も変わらない。
(障害と呼ばれるものは時代で移り変わるもので、発達障害という言葉もここ30年ほど前から呼ばれ出した名称であり、それまでは障害とされていなかった。まさしく「そういう人」「そういう状態」と思われていたものであって、「〜障害」と名称で括るまでもないと思う部分もある。多くの「状態」の一つであって、周りが、社会が、正しく認知して接すれば良いだけの話だ。)
(「障害者」といわれるご本人から「お前そんな大変そうちゃうやん!」と言われてしまえば返す言葉も無いが。)

作品中の描写において、会社のイベントで学校でプラネタリウムを上映するシーンがある。プラネタリウムでの星の紹介で、「あの星は遠くにあるけど、大昔の船乗りの方角の指針の助けになっていた。星がそれを知ったら、嬉しく思うでしょうね。」というセリフがあった。人々の相互関係の比喩だったと思うが、そういうことだと思う。冒頭のシーンと同じ雨のシーンを映し、離れていても無関係に思えても、結局人は関わって助け合っている、ということを感じさせるシーンで映画は終わる。


人は意識的にも無意識的にも助けられている。言ってしまえば水道ガス電気の助けがなければみんなが現代社会で生きていけないし、インフラを保ってくれている人にも助けられている。直接的に言うと、自分は目が非常に悪いのでメガネやコンタクトといった矯正具がなければ外も歩けない。そして、人に助けられているという実感もある。全然返せていないけど。

そういったことを感じ、「周りを助けていきたいという優しさの実感」を再確認できただけでも、有意義な映画体験だったと思う。意識すればできないことは無いですよね。


NSCの同期に布ちゃんという車椅子の友達がいる。以前布ちゃんと居酒屋で話していて、「障害」って結局「状態」やと思うねんな、といった話をしていたら「そう!!!」と強く同意してくれたことを覚えている。布ちゃんはめんどくさがるでもなく聞いてくれた。布ちゃんとは居酒屋行ったりフットサルしたり同期の家に泊まったりしたが、布ちゃんは場面場面で「ありがとう」と伝えることを忘れない。その度に「とはいえぼくも助けられてるし助けるのはまあ普通やんな」と当たり前のことを再確認する。布ちゃんありがとう。布ちゃんがぼくをどう思ってるかは知らんけど。フットサルできひんのになんでフットサルしにきたんかも知らんけど。まあまたやろう。布ちゃんのネタは面白い。作り話すぎるけどなあ?




映画は良い。何も無い一日でも、良い映画を観た、というだけで良い一日になるから。今からイカ飯の熊谷と阪神戦を居酒屋で見ています。阪神が負けてどんよりした一日にならないよう祈ります。もしくは熊谷がウザくなければ。


またノリで映画のこと書こうかな。コラム的な文章お仕事頂ければ、がんばります。よろしくお願いいたします。




追記:三宅唱監督作品は「ケイコ 目を澄ませて」以来に見た。当該作品では主人公ケイコの、自分の夢中になれるものに必死になって人生の喜びを見出す、強いエナジーを感じた。いずれの作品でも人間のエナジーが感じられて涙腺が緩みます。「ケイコ 目を澄ませて」のラストシーンでも、ただ行き交う人々が映されていて、知らない人でもみんな社会で生きているということが暗喩されているように感じた。
フィルムカメラのような、粒子をまぶしてザラついたような質感の表現がされていて、辛いシーンでは心のザラつきが表現されているように受け取れ、温かいシーンでは粒子のフィルターを通して拡散した温かい光の表現がされる。心に訴えかける素晴らしい映像表現だと思います。
岩井俊二作品でも効果的に光の表現がされるけど、どちらも心に訴えかける良い効果があって好きです。



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