写真の創作のための要素・・判例(1):「カタログ写真事件」
「写真の創作」とは何かを明らかにする試みとして、このシリーズの記事は第11回目となりました。そこで、第1回でのアプローチ、著作権法の下ではどのように考えているのか、に再度戻り、検討を続けてみることにしたいと思います。
一般論として、一般の方の写真についての平均的な認識は、「写真は著作物であり、著作権法によって保護される」という感覚ではないでしょうか?
第1回目で取り上げた「カタログ写真事件」知財高裁 平成18年3月29日判決 平成17年(ネ)第10094号では写真の著作物性についてその基準を明らかにしています。
第1回目の記事をまだお読みになっていない方はここをクリックしてお読みください。
この判決で示された、写真の創作性についての判断を再掲します。
ここでは、写真の構成要素が示されている。
ここでは、写真の表現手法について言及している。
写真には、意図せずに撮影される場合があることを示す。
得られた写真自体から、撮影者の意図の有無は判断できないことを示している。(よって、撮影者の主観的意図の有無を写真の創作性判断には考慮しない・というのであろう)
結果として得られた写真の表現自体に独自性があるか否かが創作性判断の基準であることを示している。
独自性の程度によって、写真の保護範囲・保護方法が変わるとしている。
ここから明らかなことは、
1)写真には、創作性が認められない場合と、認められる場合がある。
2)創作性が認められには、表現自体に独自性が表れることが必要である。
3)創作性の程度には高度なものから微少なものがあり、それに応じた保護内容となる。
ということになります。
写真表現の独自性とは・・判例(2)・・「久保田一竹美術館事件」
ここで、では、写真表現の独自性ってどんなことなのかが問題となります。そこで、写真の著作物性についての判断が示された他の事件をみてみましょう。
ここでのキーワードは、
1)写真の目的が、その性質上,いずれも制作工程の一場面を忠実に撮影することにあり
2)そのため,被写体の選択,構図の設定,被写体と光線との関係等といった写真の表現上の諸要素はいずれも限られたものとならざるを得ず,
3)誰が撮影しても同じように撮影されるべきものであって,
4)撮影者の個性が表れないもの
である。
注目すべきは、「誰が撮影しても同じように撮影される」ということではなく、「誰が撮影しても同じように撮影されるべきもの」という点。すなわち、撮影目的が制作工程などの情報を視覚的に伝えることであるから、そのために必要な表現手法にしぼって説明的に表現しなければならない、ということで、結果、誰が撮影しても同じような写真になるし、そうすべき写真=個性が表れない写真となる。ここでの写真は単なる情報伝達手段(メディア)にすぎないということでしょう。
「誰が撮影しても同じように撮影されるべきもの」の典型例としては、例えば証明写真がある。そして、証明写真は「創作性のない写真」の具体的事例としてしばしば引用される。証明写真は、正面、無帽、フレーム内での位置や大きさなどの規格があらかじめ決められているため、撮影者の創作性を発揮する余地はないことからであろう。
ただここで注意しなければならないのは、「誰が撮影しても同じように撮影されるべきもの」とという主観的な使用目的から一律に「創作性なし」と短絡的に断じて良いのか、という点である。
確かに、証明写真においては、撮影者の個性を発揮させる余地は無いと行っても良いとは思うが、モノの制作工程写真だからといって一律に「創作性なし」とは言えないのではないだろうか。わかりやすく制作工程を説明するという制約はあるかもしれないが、その制約の中で撮影者が創意工夫を施す余地は大いにありうるはずである。
写真の創作性の事件ではないが、トリップ・トラップ事件知財高裁判決で、以下のように判示している。
「誰が撮影しても同じように撮影されるべきもの」であったとしても、やはり個々の写真ごとに撮影者の個性が発揮されているかを検討すべきであろう。
写真の著作物性について・・判例(3)・・メガネサロントミナガ事件
メガネサロントミナガ事件控訴審(知財高判平成28年6月23日平成 28年(ネ)第10025号)
この判決において、控訴人は、「被写体及びその組合せ並びに撮影時における眼鏡のつるの開き具合,配置,撮影方向及び背景色につき,自らの意思に基づき判断し選択した」と主張したが、裁判所は、写真の創作性を否定した。その判断基準として示された点は以下の2つである。
1)裁判所は、「しかし,控訴人は新聞折り込みチラシに使用する切り抜き用に本件写真データを作成したにとどまり,チラシそのものの作成ないしそのレイアウトの決定に関与する立場になかったことからすれば,上記の配置等について創作性を発揮する余地はほとんどなかったものと認められる」と認定した点。
2)裁判所は、「こうした配置等につき,本件写真データを使用して作成されたチラシに掲載されている,控訴人以外の者の撮影によるものと見られる眼鏡の写真と本件写真データとで格別相違がない・・(配置等は)一般に採用されるものにすぎない」としている。
その性質上、誰が撮っても同じようにならざるを得ない写真には創作性が認められない?・・商品写真はそういう立ち位置にあるということであろう。
すなわち、「創作性」を発揮する余地と、他人の写真との比較によって、創作性の有無を判断している。
写真の著作物性について・・判例(4)・・みずみずしいスイカ写真事件控訴審(東京高判平成13年6月21 日判時1765号96頁)
この判決では、写真の創作性につき、1)被写体決定自体の独自性と、2)写真の表現自体の独自性を考慮したものである。
ここでは、被写体自体に創作性があった場合、それを撮影における創作的工夫と併せて写真全体の創作性を判断している点が注目される。
個人的には、被写体自体を創作した場合は、それは「被写体自体の著作物性」の問題であり、写真の創作とは言えないとの思いであり、被写体自体を創作した写真の著作権問題は、被写体自体の著作権の侵害の問題と、写真の撮影行為自体の創作性の問題とを分けて判断すべきと思うところである。結論として同じ結論になるのであれば、紛争解決の方法としては、どちらでも良いこととなろう。
なお、本件の原審では、被写体の独自性を写真に創作性には入れてはいない。
実際の撮影場面における写真というものの創作を考えたとき、やはり、被写体の独自性を作り上げることは、撮影行為とは分離すべきであり、その意味で高裁の判断は賛同しがたいものがある。
結論として、原審は非侵害、控訴審は侵害を認めたわけであるが、被写体自体の創作性も考慮したとしても、控訴審が著作権侵害を認めたことに驚いた人は多いのではないだろうか。
写真の創作性についての判例については、今後も別途紹介していきたいと思います。