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だから、私も声をあげることを選択した

人の生き方って、本当にさまざまなわけですが、何らかの形で「組織」に所属する機会が多くありますよね。

子ども時代には、小中学校、高校、その他各種学校、あるいはフリースクールに通う方が多いでしょう。大人になってからも、正社員にせよアルバイトにせよ、なんらかの企業体で労働する方が多いでしょうし、フリーで働くひとも、かつては社員だったという方が多いかと思います。

ある組織に所属するのは、そこに何かしらの必要性やメリットがあるからですよね。なるべくなら、その必要性を満たすか、メリットを享受するだけして、デメリットは受けたくないものです。

でも現実には「人」と「人」との関わりで成立しているのが組織ですから、そこで何らかのトラブルが起きるのは至極当たり前のことです。

ある程度人生経験のある方であれば、組織内で何らかのトラブルに遭遇することは、ひとつやふたつではないだろうと思います。

もしあなたが所属している組織で、こんなことがあったら、どうするでしょうか。

◇ 組織のメンバーが、業務で嘘をついていたり、間違った事をしている
◇ 組織のメンバーが、ハラスメントをしている
◇ 組織の責任者に、上記のことを訴えても何故か処分されない
◇ 組織の責任者が、突然不当な理由で自分を排除(解雇等)した
◇ 組織全体で法令違反が日常的に行われていることを知った

実際、私はこんな状況に出くわしたことがあります。

私の目の前には、大きな二つの選択肢が提示されました。

A.組織の問題について声をあげる
B.特に行動は起こさない

この二者択一について、私はこう考えました。

Aの選択肢は、いばらの道だ。組織が問題を認めるかどうか、なんとも言えないし、仮に問題が明らかになったところで、自分が得るものは小さな満足感のみで、失うものの方が多かろう。
Bの選択肢は、平穏な道。負担もなければリスクもない..でも。

Bを選んだら、組織は問題を抱えたまま走り続ける。いずれ問題は明らかにされるとしても、それまでは法令違反もハラスメントも続いてしまうし、真っ当な人が不当な扱いを受けて、隠ぺいに協力する人たちが組織に残っていく。この現実から目を逸らしていいのか。

私は「行動しない後悔」よりも「行動して後悔」した方がずっとましだと思ったので、
A.組織の問題について声をあげる
を選択しました。

赤の他人からしてみれば、くだらない正義感だとか、つまらない自己満足だとか、ご立派なことだけど割に合わないと思うよ、だとか。
まぁそんな風に思われることも多いでしょうし、どれも他者目線での評価としては、妥当なものかもしれません。

でも。
でも、私は思うんです。

私がこれまで、当たり前のようにそれなりに幸せに生きてこられたのは、私なんかよりずっとずっと酷い現実に向き合って、「こんなことは間違っている」と声をあげて、その現実を少しずつでもましな方向に変える力になってくれた、名もなきひとたちのおかげなんだと思うんです。

「人権」という概念を現実化させるまでに、どれだけの無名の人たちが声をあげてきただろうか。
あらゆる不当な「差別」をなくしていくために、どれだけの無名の人たちが声をあげてきただろうか。
「ハラスメントを無くす」という目標が法制度化されるまでに、どれだけの無名の人たちが声をあげてきただろうか。

私の平穏な生活環境は、歴史で語られることのない名もなき人たちが、世の中の間違いに声をあげてきた、その積み重ねの上にある。

だから、私も声をあげることを選択した

声をあげてきた先達への感謝と、これからの世代の人たちの平穏な生活のために。

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