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急に自己分析

何かを作り出す人間にはなれないと思っていた。今も思ってるけど。文章を書くのは昔から嫌いじゃなかった。みんなが嫌いだった読書感想文も、私は好きだった。でも、得意なわけじゃなかった、上手じゃなわけじゃなかった。

その頃は好きなものが得意なものなんだと思っていた。いつしかそれは違うことに気づいた。悪くないけど良くもないことに気づいた。別に悲しくなかった、そういう事もあるよな、と思った。でも、悲しくないことが悲しかった。

今思えば、割と幼い頃から諦めながら生きてきたのかもしれない。期待してそれが裏切られたら悲しくて、楽しみにするのを辞めたのだと思う。微かな記憶を辿ってみると、楽しみにしていたイベント、小さなことだったけれど、例えばおばあちゃんの家に遊びに行く予定が兄弟が体調を崩して行けなくなった、だとか、友達と遊ぶ予定が急になくなっただとか、そういうのがとても悲しくなってしまう子供だったことを思い出した。悲しくなって自分でも嫌になるくらいに機嫌が悪くなるのをどうにかしたくて、私なりに考えた結果が、楽しみにしない、だったのだろう。おかげで、今も何かを心から楽しみに思うことは少ない。何事もいつ何時なくなっても構わないという心構えで、楽しみにすることをやめてしまった。

何も楽しみにしなくなった子供は、気づいたら何かを心から楽しむことができなくなっていた。もちろん、今までの時間で楽しい瞬間はたくさんあったけれど、イベント事が苦手になっていたのは事実である。周りの子供たちより少し先に諦めが早くなって、何かを頑張るのもやめてしまったのだろう。頑張って結果が出ないと悲しいから、悲しいと自分をコントロールできなくて周りを困らせるから、だから悲しくならないように期待もしないし努力もしなくなってしまった。

できない何かを出来るようになるための努力ならしたことはあるけど、できることを上手になるための努力は、したことが無い気がする。だから私は、ここまで生きてきても頑張った思い出がない。

出来るようになればそれでいいと思っている。負けてもいい、出来れば勝てたら嬉しいけど、勝てなくてもしょうがないと思って生きてきた。もちろん、時々は勝ちたいと思ったこともあるけれど、勝つための努力はしなかった。それで勝てなくても仕方ないよね、と思ってきた。負けた時の保険が欲しかったのかもしれないし、勝った時に何も頑張らないで頑張った奴に勝つのが嬉しかったのかもしれない。

出来るようになるためには何をすべきかはわかっても、出来ることを上達させるには何をすべきかは分からなかった。これは今も分からない。出来ることばかり増えて、得意なことはあまりない。これが私の本質のように思える。きっと現時点での私なのだと思う。出来た時点で満足してしまう。ポテンシャルが高いんじゃなくて目指すところが低いだけだ。

頑張ってから負けるのが、きっと嫌なのだ。頑張ったのに負ける、それが一番自分を悲しくさせる事を知らない間に分かっていたのかもしれない。きっと負けたとしても、頑張ったという事実は意味のあるものになったと、今は思うけれど。だから、勿体ないことをしたな、とも思う。

けれども今更考え方やら生き方を変えようとも変えたいとも変えられるとも思わない。私はこのまま曖昧に中途半端に生きていくのだ。それ故につらい思いや悲しい思いをすることもあるだろう。変わりたいと思えば、変われば良いのだ、今私が変わらずとも良いと思うなら、変わらなくても良いのだ。

無理してでも変わりたい日がくれば、そのときにはきっと変わっていくのだろう。ずっとこのままという訳にも行くまい、いずれこんな生き方は通用しなくなる。今だって、私が気づいてないだけで通用なんてしていないかもしれないし。

なんだかすっきりした。中途半端だった自己分析が少し進んだような気がしている。私は目指すところが低い、できることが増えていくだけの能無しで、それもいつかはどこかで役に立つかもしれないし、立たないかもしれないし、それはそれでいいのだ。出来るようになりたいことや出来なきゃいけないことさえ出来るようになれば、それでいいのだ。

頑張るくらいなら報いも何もいらないのだ。

悲しい人生かもしれない。頑張らなくてもそこそこで生きていけるやつの贅沢な言い分かもしれない。けど、その何が悪い。贅沢の何が悪い、生まれ持ったポテンシャルで生きることの何が悪い。頑張るだけではこの世は生きていけない。だったら頑張らない方がしんどくない。しんどいのは嫌だ。しんどいと何もかも嫌になる。うまくいかなくなる。私は私なりに生き延びるためにこんな考え方になったのだろう。

こんな考え方ゆえにしんどい時もあるけれど、そんなの私だけじゃない、他にも自分の考えにがんじがらめにされてしんどくなってる人はいる。私はこの世で一番不幸な人間じゃないし、私もしんどいけど、みんなしんどい。それをわかってはいるつもりだ。分かっていてもしんどい時はしんどいけど。全人類と話したくない日もある。

他人も自分も許したい。他人にも自分にも優しくしたい。たったこれだけのことがどうにも難しい。優しいってなんだろう、厳しさが優しさだという人もいれば、許す事が優しさだという人もいる。どちらも優しさなのかもしれないし、どちらも優しさではないのかもしれない。私の言う優しさとは、許す事、に近いと思うけれど、それは、私が他人に厳しくすることが容易いからだ。きっと許す人にとっては、厳しくすることが時に優しさとなるのだろうし、厳しい人にとっては、許すことが優しさとなるときもあるだろう。私は許す方が難しいから、難しい方を出来るようになりたいと思う。やさしくなりたい。難しいけど

おとなって難しい、正解が分からない。私の正解が分からない。私ってどんな人だろう。私はどんな人だと思われたいのだろう。今、自分なりに自分がどんな人なのか分かってきた気がしている。次は、自分がどう見られたいか、どう思われたいか、どう思われているか、そういうのを客観的に考えることが必要なのだろう。

急な自己分析回、とりあえず、終

とりあえず日記166

ドリムのリパケHelloFutureめちゃくちゃ良いね、Life Is Still Going On、好きです

2021.06.28

雨とか曇りの日の飛行機から見る雲の上の太陽は綺麗だよねぇ