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吉村昭の平家物語(俊寛)

平家物語は長いので読みながら感想を書いていく試みです。

鬼界ヶ島に3人流されて、俊寛が取り残される話ですが、赦された2人と俊寛との違いを吉村昭はあちこちに表しています。

成経と康頼の2人が島に熊野権現っぽいのを作って祈ろうと誘った時は『生まれつき不信心である俊寛は同意しなかった 』生まれつきって!

2人はその後、仲良く毎日祈ったり、和歌を書いて卒塔婆を流したり色々頑張った結果?運良く赦されることになったのですが、使者からの手紙も俊寛には一通も届かなかったなど、この章では何だかもうひたすら俊寛はダメなヤツで取り残されるのも自業自得っていう感じに書かれています。

うってかわって、有王とのエピソードでは、手紙が届かなかったのは俊寛の家族も縁者も、娘以外皆亡くなってしまっていたからだとわかる。有王が持ってきた娘の手紙に『有王と一緒に帰ってきてください』と書いてあったのを読んで、何というアホな娘だと嘆き悲しみ、それからは断食して念仏三昧して亡くなります。

そのアホな娘はその後出家して両親の霊を慰めるのです。偉いじゃないか!

俊寛は人望も人気もなかったようだけど、有王という少年だけでも可愛がってて良かったねと思いました。

それにしても気になったのが成経と康頼の異常とも思える仲の良さです。康頼はせっかく赦されたのに、鬼界ヶ島からまっすぐ家に帰らず、1か月以上も寄り道して、成経の父親の成親のためにお経を唱えたり、何だかとても怪しい。残された俊寛のことなんか全然忘れてる様子です。これでは俊寛もやってられない日々だっただろうなと、邪推してしまいます。


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