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吉村昭の平家物語(祇王)

平家物語は長いので読みながら感想を書いていく試みです。

昔読んだイメージとは違い、随分と世俗的な話だと感じました。まずは祇王の母親とぢについて、これはまた酷い毒親でした。二人の美しい娘達を『売る』ことで裕福な都の暮らしを楽しんでいた事にも慣れて当たり前になって、娘達が傷付く事に無神経になっています。

祇王が清盛の寵愛を失った後に、屈辱的な呼び出しをされた時のとぢの対応は「清盛の命に背けば都を追われるに違いない。私はもう年寄りだから田舎に住むのは無理!」

結果、想像を越えた屈辱を受けた祇王と、妹の祇女が自害すると言った時は「お前達が死ぬなら私も死ぬ。ただし、お前達は親殺しとしてあの世で酷い目に逢うだろう」

で、自害を思い止まった祇王達が出家する事になったら、慌てて自分も剃髪して出家する、といった具合。

ヤバい毒親だけどちょっと可愛い。結果、そんなに不幸じゃない感じは微笑ましいなと思いました。

一方、祇王と仏御前の関係も、マウントの取り合いに見えました。最終的に仏御前も出家して祇王一家と共に4人で念仏する暮らしになるわけですが、昔に感じた心清らかな美しさというよりは、10代の仏御前は優れた感性の為に、恵まれた自分の成れの果てを理解して、そうなる前に全部捨てた女の子だったのかもと思いました。まだ若いんだから、落ち目になることも実体験してからでも良かったのかなと。

落ち目になる経験から逃げる、つまりは早すぎる損切り、脳内で不幸をイメージするだけで実際には不幸にならない代わりに、有頂天になる経験は失われる。というのは私自身の生き方の話。

仏御前は16歳で勝負に出て頂点を見たので、自分と一緒にするなという話でした。


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