小笠原記念館について①
1.はじめに
解体の危機にある小笠原記念館は、今井兼次氏によるコメントなどが残されておらず、どのような想いを込めて設計したのか謎ばかり。
この投稿は、何かしらの手がかりと妄想によって小笠原記念館を戸松なりに考えたもので、解体の危機から逃れることを願ったもの!です!
書き殴ったようなひどい文章です。
お許しください。後々書き直します。
参考文献は以下の通り。
2.今井兼次について
後々更新いたします。
それまではWikipedia等で調べてください🙇♂️
3.年代別でみる作品
今井兼次氏の建築について年代別でみてみる。
分け方は僕の独断と偏見です!
初期作品
今井氏は大学を卒業した後も、大学に残り教育者としての道に進みます。この際、内藤多仲の研究室に在籍。
処女作である早稲田大学図書館では、内藤氏も設計で関わっており以後色んな作品で共同で仕事しています!
早稲田大学図書館(1925年)
早稲田大学演劇博物館(1928年)
航空碑(1941)
など
中期作品
教育者としての面を持ってる今井氏は、長らく作品を設計する余裕がありませんでした。
そのため中期といっても、今井氏が60代の作品たちとなります。
ずーーーっと秘めていた創作意欲が、ドドドッと形となった時期です!!!
根津美術館 内藤多仲共同設計(1954)
成城カトリック教会聖堂(1955)
小笠原記念館(1956)
碌山美術館(1958)
など
後期作品
どの建築から後期とするか迷いましたが、フェニックスモザイクが登場する大多喜町役場(1959)かなと思います。
今井氏の創作エネルギーが溢れんばかりに!!!すっっごく溢れんばかりに!!!もう!本当にすごい建築たち!!!
糸車の幻想(1961)
日本二十六聖人記念館
聖フィリッポ教会(1962)
桃華楽堂(1966)
大隈記念館(1966)
遠山美術館(1970)
次のブログへ続きます!
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