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カスタムロボswitch版配信から1年 ~カジュアルに、クリエイティブに~

前提として

カスタムロボについて語るが、本筋は「カスタムロボによって変化した自分の気持ちや技術」である。

いわゆる自分語りに分類されるノートということを念頭においてほしい。



はまち、気の向くまま、クリエイティブ

絵を描くことが好きだ。

TRPG動画で使用するために描いたもの


何かを描くにはその物を知らなければならない。
建物を描くなら気候を、景色を描くなら季節を、人間を描くなら筋肉を、文化を、人となりを…

絵を描くこと、その過程における調べものなどによって新たな知識がビジュアルとして自分に蓄えられていく。その感覚が好きだ。
芸術的なクリエイターというよりは「クリエイター属性を持った学者」とでもいうべきだろうか。
ゆえに、1枚絵を描くこと以外にも漫画や動画作品、小説、ゲームなど、それぞれ異なる知見をもたらしてくれる様々な手段で創作活動をしているのだ。

――はまちの2本の腕の前に、「いずれ作りたい作品」が順番待ちしている。
3Dとゲーム制作はかなり後ろの方にあった。習得のハードルが高いように思えていたからだ。

そんな折、3D制作への熱意が噴出する出来事が発生する。
「これだ、俺が3Dを学んで作りたいのはこれだったんだ」

2022年7月15日、Nintendo Online追加パックにて、『カスタムロボ』配信開始。

カスタムロボV2

ボコボコのボコ

早く対戦がしたいぞ! ということでひとまず合法全解放までストーリーを進め、Twitterで対戦募集を探してみた。そしてド頭に出てきたポケレッドさんのV2交流鯖に参加、サーバーの空気感を少々様子見した後、対戦募集をかけてみた。
このあたりのムーブはTRPGの経験があったためスムーズだった。

結果、なんとレイⅡベーシック縛り相手に5連敗。ボコボコのボコである。

当の自分は笑いが止まらなかった。
「俺の知ってるカスタムロボじゃねえ! 実質新作!」
思えば64実機でカスタムロボをやっていたのは6歳前後の時分であって、遊び相手は2歳上の兄がメイン。その頃の2歳差で対戦などそもそも成立していなかったのかもしれない。
その後も対戦募集をかけたり、ライブ配信を見に行って参加したが、結果はだいたい同じ。

自分のメンタルは比較的丈夫な方だが、負けが込むとそれなりに凹む。メンタルはよく鋼や豆腐と例えられるが、自分の場合は粘土のようで、凹みはするが少し時間を置けば元に戻る。
惨敗しては2,3日姿をくらまし、またひょこっと現れるといった形でサーバーに顔を出していた。

急がず、長くカスタムロボを楽しむ中で徐々に上達していこうというスローペースなコマンダーだったわけだ。

そんな折にサーバーでは初心者・カジュアル勢を中心とした「V2ビギナーズ」が開始。シーズンごとにレートを巡ってバトルして切磋琢磨するというものだ。
魅力的なコンテンツではあったが、当時の自分は前述のようにまったり楽しんでいたためスピード感にうまく乗れず、ほぼ見送る形となった。

その時期は主にパーツ解放と3D制作を進めていくことになる。

3Dから芋づる式に

7月15日に配信されたカスタムロボを少し触って、雷に打たれたように3D制作の熱意が湧き上がった。
3D制作ソフト「blender」を導入し処女作「ハジメ君1号」を作ったのが2日後の7月17日というあたりに、受けた衝撃の強さがうかがえる。

3Dモデリングの習作「ハジメ君」

7月20日、手足の先をつけたり胴体のディティールを細かくした2号、
7月27日、さらにポリゴンを増やした3号、
8月1日、「細分化曲面(サブディビジョンサーフェス)」という機能を使い大幅に人型に近付けた4号、
8月2日、1度色をつけてビジュアルとして完成させようと「256フェス規格※」で制作した5号、
8月11日、オリジナリティを一旦度外視して標準体型を作った6号。
我ながらなかなかのスピード感だ。

※256フェス規格…ポリゴン数256、テクスチャの縦横256pxというローポリ超軽量モデル

3Dを扱えるようになったなら、気になっていた「VRChat」に飛び込んでみるか、ということでVRChatterデビュー。
8月19日には試作アバター「カリンバ子ちゃん」を作り、23日には本格的に自分のVの姿として「ダイナ」を制作。
値上がりしていたVRデバイス「meta Quest2」を衝動買いしてしまうほどにはのめり込んでいた。
次いでカスタムロボのモデル制作に移行、9月末~10月はじめにレイⅡとジャベリンを制作した。

カリンバ子ちゃん、ダイナ、そしてカスタムロボ

VRChatに自作アバターをアップロードするためにはゲーム・アプリ制作ソフト「Unity」を使う必要があるためインストール。
何の因果か、そのタイミングで兄がUnityでスマホゲーム制作をしたいと言いだした。
意外なところからUnityの名が出て驚いたのを鮮明に覚えている。
先に習得してサポートしてやるかというくらいの気持ちでいろいろ触ってみることにした。

11月3日、Unity製ゲーム「ついなちゃんのパズルバトル」公開。

プログラミングをする必要があったが、自分のホームページをスクリプト手打ちで作っている身としてはjavascriptもC#もだいたい同じなのでスムーズに進んだ。
小規模なりともゲームを1つ完成させたことで技術と自信をつけ、Unityが自分の表現ツールのひとつとして確立された。

愛機は形から

11月12日に行われた第4回ポケレッドカップでは配信台として試合が残っている。

このときはまだ愛機がおらず、シナリオでの愛着からレイⅡを使用している。

12月17日に制作したオラクルヘッドの3Dモデルに次いで年明け1月9日には現在の愛機となるジェーンを制作するわけだが、そのカスタマイズはかなり実戦仕様である。
レイⅡとジャベリンはパッケージカスタムだが、オラクルヘッドとジェーンはロボとガンのみシナリオ意識、他は大会アーカイブなどを確認して似合いそうなものを選ぶという形にしたためだ。

モデルを作ると愛着が沸く。
2月2日お披露目の虚無僧も含めモデル制作済みのロボを触っていたところ、ハイジャンプレッグを履いたジェーンの操作性と高空の優位性に気付き、晴れて愛機となった。

「愛機だから作った」のではなく、「ビジュアルが好みなので作ったら愛機になった」という稀有な順序である。

チャリティーカップと地位確立

虚無僧を作ったあと、V2交流鯖のマスターオブゴッドたるポケレッドさんからDMが届いた。
「今度の大会、優勝者の好きなロボの3Dモデル公開を景品にするの面白いと思うんですが、ご協力いただけますでしょうか」といった内容だったかと思う。
「とある事件」によりDM原文は現在確認できないが、丁寧で良識ある社会人の文面と感じた覚えがある。
その申し出を快諾し、「優勝を決めたカスタマイズをモデル化すると盛り上がりそうですね」と提案。
大会は2月12日。その後うまく時間が取れたため、優勝を決めたカトラスの制作完了は2月17日と爆速納品となった。

このカトラスのお披露目によって、サーバー内で「はまち=技術者」としてひとつの席をもらえたように感じた。
全ては大会前後に盛り上げていただいたポケレッドさんのおかげである。

また、裏方としてやり取りする中で自分も大会の主催をしてみたいという思いが生まれる。
優勝カスタマイズのMMDモデルを景品とする魂が継承された大会「MMDモデル解放戦」の誕生だ。

副産物、大ウケ

大会主催するにあたって、急に32人や64人規模は難しいと思い、ゲーム制作と時と同じく小規模に1度やってみることに。
しかし「我が愛機のモデルを!」と優勝賞品を求めるコマンダーが多く、4人トーナメントに20人以上の参加希望。
抽選することは決めていたが、この人数を「抽選します。ポン。4名決まりました」として弾いてしまうのは味気なく、落選した物足りなさが確率操作の疑いに変化して空気が濁る可能性がわずかにあると思い、その可能性を極力減らせる抽選システムを自作することにした。
「確率操作していないことがビジュアルで明確にわかる」点としてマーブルレースを参考に制作。完成したのが今や1コンテンツとして鎮座する「抽選マシン」である。

初代抽選マシン

3月1日に第1回MMDモデル解放戦。3月9日に優勝景品ブチルをお披露目し、抽選マシンも好評のため誰でも使えるようweb版を制作し公開。
作ったものが楽しく使われているのはクリエイター冥利に尽きる。

巨大コンテンツ「バトルタワー」

V2交流鯖で2月中旬より始まった「バトルタワー」。バトルの腕は相変わらずなので初心者・新規カテゴリとなるブロンズ帯からスタート。
今までゆっくり歩いてきたバトルの道を駆け足で進もうと決めるまでに、3つのターニングポイントがあった。

第1のターニングポイントはワンちゃんこと「無様なワンちゃん」に敗北が続いたこと。
3か月前の第4回ポケレッドカップで下したワンちゃんに勝てなくなったことにより、「相手がバトルに向き合って鍛えている間、俺は何を…!」と悔しさが湧き上がった。
その悔しさから対戦数を増やす。タワーのシステムがそれを後押しした。
そもそも本格的な対戦ゲームをあまり通ってこなかった自分は「これと決めた1機を使い込んでみよう」とこの段階になって気付き、以前に3Dモデルを作ったジェーンのカスタマイズ、いわゆるSSハイの習熟を目指すこととなる。

第2のターニングポイントはタワー昇格戦。
SSハイのカスタムパワー、特に上を取ってポッドやガンを押し付ける戦術が当時のブロンズ環境にかなり有効だった。プレイングの噛みあいもあり、18連勝を打ち立てることができた。
そしてタワー運営のちゃいさんが闇夜に現れ「昇格戦に挑むか?」と聞いてくる。正直自信は無かったものの、日付を先に決めてそこに向けて仕上げていくという経験は確実に力になるだろうと、挑戦を決めた。
思惑は的中し、湧き上がるやる気のまま100戦を敢行。
「戦いは数だよ兄貴!」とばかりに、対戦数と実力が伴って上がっていくことを実感していた。
昇格戦は試験官が出してくるロボに対し相性の良いと思われるカスタムを出したが、それが裏目に出て敗北。相性で勝っても練度が足りなければ勝利には及ばないことを知った。

第3のターニングポイントは周東しぇいさんの登場。
レイⅡという縛りプレイをしているにも関わらず、冷静沈着な回避と正確無比な狙撃を武器にブロンズ環境で大暴れしていた。もはやSSハイのカスタムパワーの押し付けだけでは対抗できない。
縛りプレイによって基礎を極めるロック・リーのような男の登場、そして皮肉にも自分が100戦敢行したことを皮切りに連戦修行の流行りが起こり、ブロンズ帯が一気に湧き上がった。

そんな実力底上げの時代、事件は突然起こった。

Twitterが凍っちまったゴロ!

4月20日、突然Twitterアカウントが凍結される。その日に作ったサブアカウントも1週間後には凍結。サブのサブとして作ったアカウントが今のところ無事のため、現在はこのアカウントを使っている。

https://twitter.com/HamachiSuperDry

凍結によって、MMDモデルを配布していたBowlRoll、そして「ついなちゃんのパズルバトル」を公開したunityroomの管理ページに完全に入れなくなってしまった。

TwitterのこれまでのツイートやDM、お気に入りまでもが完全封鎖である。
おのれイーロン許すまじ。

水面下、暗躍のポケレッド

タワーが盛り上がっている最中の4月上旬、ポケレッドさんから新企画の話が。
これはのちにV2交流鯖1周年企画「カプセルロボV2」としてお披露目されるものだが、当初は1大会の特殊レギュレーションくらいの軽いノリだった。
ゲーム内のランダム機能とは違い、大会などで使用されている実用的なカスタムをまとめて排出したり、パーツのパワーに応じて排出率を変えたり、演出を凝ったりして盛り上げるランダム大会、という印象で進めていた。

流れが変わったのは5月上旬に「カプセルロボV2」という呼称ができたときだ。
抽選マシンのような1ツールに収まらないクオリティが必要になる。UIや補助的なオプションも用意せねば。演出はもちろん、スマホでもPCでも表示が崩れないよう試行錯誤……。
やるべきことは山積みだったが、バトルと同じくやればやるほど身に付くことは重々承知なので、昇格戦前後はバトルに集中して、タワーが落ち着いたらカプセルロボ開発、という具合にうまく進めていった。

頭を悩ませたりしたこともあったがカプセルロボの制作は概ね楽しく進められていたと思う。
始めの方に語った通り、以前よりゲームとして作りたいと思っている作品がある。『MESSA(メッサ)』という仮タイトルを付けたRPGだ。

『MESSA』主人公の初期イメージ

ゲーム制作スキルが成長すればその分MESSAのクオリティが上がる。そう考えると発生したエラーも全て有益なのでストレスにならない。

7月6日~8日のお披露目が盛り上がったので気持ちの収支としては俄然プラスだ。

2年目に向けて

2年目はこの1年で作った物をアップデートしていくことから始まるだろう。
抽選マシンは新ステージのアイディアがいくつかあるし、カプセルロボも「青いパーツピックアップガチャ」「シナリオで闇組織が使っていたパーツピックアップガチャ」など拡張性は高い。ポケレッドさんとカプセルロボの調整をする中でそぎ落とした「カスタム一式ガチャ」もうまくイベントと絡ませてリリースすれば面白そうだ。
MMDモデルも増やしていき、まずは全ロボ種1機体は揃えたいところ。他にもホロセウムやGXのロボも作る予定。

オフ会もどこかのタイミングで参加したい。

もちろんバトルの修行も怠らず、現在のシーズン3のうちにシルバーへ上がることを目標に精進。

詳細な日付は発表されていないが、Steamでバトルコアロボットの発売もある。
発売元はスペインの会社とはいえ、Vtuberなど配信者が新作ゲームとしてプレイすればリスペクト作品であるカスタムロボの話題になることは必至だろう。まだまだ再ブレイクの可能性を秘めるカスタムロボの盛り上がりに一役買えたら幸いだ。

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