「良い子を5人集めて最強の良い子集団を作りたいんですよ〜」「一体どうなっちゃうんだ〜!?」
こんにちは。初めましての人は初めまして。
私、デカントと申します。
以後、お見知り置きを。
さて、6月に入り梅雨の季節になってきましたね。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
私は、エスプレッソマシンを買いました。
やはり、エスプレッソは美味しいですね。
さて、今回は、集団の和について少々思うことが合ったので、ここで私の考えや思っていることを書き連ねさせていただきます。
(要は、気持ちの整理だよね)
(あっ、そういえば、同音異語で"生理"ってあるけど、生理の人ほど気持ちの生理したほうが良いよね(ナチュラルなセクハラ))
本文を書く前に
本文を書く前に、皆さんに前もって伝えなければならないことがあります。勘のいい人はこの時点でもうお気づきでしょうが、この文章は考えながら書き連ねているので、「地下室の手記」みたいな書き方になっています。
つまり、言っていることが矛盾していたり、書いてる途中で話が変わったり、めちゃくちゃな事を言っていたりします。
それから、今回は反省という意味も兼ねて書いているため、「〇〇良くないよね〜」という個人の批評が出てきたりします。
そもそも、このノートは誰かのために書いているのではなく、あくまで私の気持ちの整理と備忘録のために書いています。
なので、読んでいて不快感を覚えたり疲れたりしたら
すぐにブラウザバックして下さい。
こちらとしても、一切の責任を負いかねますので悪しからず。
とりあえず、今回のお話。(目的)
とりあえず、今回は、集団における対応と個人における対応について私の考えをまとめたいと思っております
お話の情報(事実確認)
とりあえず、今回お話する内容の情報を整理したいと思います。
とある村にA君とBさん、そしてその村の長であるCさんがいました。
ある日、町内会でみんながワイワイやっている中、BさんがA君に対して怒ってしまいました。(町内会の雰囲気は最悪ですね)
そしてBさんはA君に対して、縁を切ることにしました。A君はBさんに対して会ってももらえないし、電話をかけることもできません。
その様子を見ていた町内のみんなはA君とBさんが仲直りできるように色々と動きましたが、一向に改善されませんでした。
すると村の人が、痺れを切らして村長さんに「解決してくれ」と相談をしました。
それを聞いた村長のCさんは、Bさんに対して「今回は怒ったお前が悪い。なので、村から出ていってもらうンゴw」と言って、村から追放しました。
そして村はいつも通りに動き出しましたとさ.......
めでたしめでたし
とまぁ、こんな感じでいいのかな。
ワイも直接見ていた訳ではなく、簡潔にまとめられた話を聞いただけなので、よく分からんっすわ。でも、Bさんが追放されたという事実は確かです。
さて、この話を聞いてワイが思ったのは、主に3つ
1,A君とBさんの対応について
2,村の人々の対応について
3,村長の対応について。
これから、そのことについて考えを書いていきたいと思います。
(ここまでで1000文字超えてるとか終わってるンゴ...)
1.A君とBさんの対応について
a.Bさんの対応について
まず、村を追い出されたBさんについて思うのは、「みんなの前で怒っちゃだめでしょ...」ってこと。多分、他の人にとっては些細な事であっても本人にとっては許せない事だったんだろうね。でも、みんなの前で怒ったらアカンでしょ... そこはあくまで大人の対応をしなきゃいけなかったんじゃないかなと思う。
例えば、裏で個人的に話すとか、ちょっとミュートにして頭冷やしたり、それか笑い話にするとか、もうちょっと上手いやり方はあったんじゃないかな〜と思う。
個人的には、裏で個人的に話したほうがいいと思う理由は次の通り。みんなの前で叱ったり怒ったりすると、それを受けた方は「みんなの前で恥をかかされた」となる訳だし、あるいは大勢の前で言うとなると、その責任は個人ではなくグループで分担される訳であって、一人当たりの心に響く具合は分散されると考えられるので、個人で叱った方が効果があると考えられる(よくも悪くも)。さらに、グループで叱ると、叱られた本人だけでなく、周りで見ている人もいる訳で合って、その人たちから受ける評価が下がってしまうと思う。だから、叱る時(あるいは怒る時)は個人的にやった方がいいと思うんだよね。
また、ミュートにして頭冷やすにしろ、笑い話にするにしろ、怒りという感情を抑えた方が良いとも思った。怒りというのは、抑えられるんだよね。例えば、親子で電話している時に電話がかかって来たら、怒りながら電話に出なくない?「電話をかけた人は関係ない」と割り切って怒りを抑えるでしょ?そうやって、怒りを沈める(もしくは隠す)ことを人間はできるのだから、ちょっと冷静に深呼吸でもして怒りを抑えた方がよかったのではないかと思いました。
それから、Bさんの対応について、A君と縁を切るという行動も良くなかったのではないかと思います。確かに冷静になるには、その個人との連絡を断ち1人になるべきだとも思いますが、それでも完全に連絡を断ってしまうと、もし仮にA君が自分の非を認めて謝りたいと思っても、その思いを伝える事ができないですよね。
だから、せめてもの慈悲とは言わなくとも、連絡手段を1つぐらい残しておいても良かったのではないかと思いました。
b.A君の対応について
さて、次はA君の対応について考えてみようと思うが、その前に、AさんがどんなことをやってBさんを怒らせたのかが分からない。なので、ここからは90%推測で書く。
たぶん、Bさんを怒らせたのには原因があると思うんだよね。その原因を突き止めて、すぐに「ごめんね」と言えなかった所が、A君のプレイミスだと思う。もちろん、A君にとっては、なんの取り留めのない事だったんだと思う。でも、少なからず「Bさんを怒らせた」という時点で、"何が原因だったのか”を突き止めて、「次は気をつけるね」といった風に振る舞うべきではなかったのだろうかと思う。
というか、A君に関しては何にも情報ないから、どう振舞って、何が原因で、どうプレミしたのかが一切分からん。
分からん事については何も言えん。
(個人的印象とか偏見とか詰めまくってしまうと、A君は結構いじっぱり的な側面が大きいというか結構我が大きい方だと思うので、それが原因でこんなに大きくなってしまったのではないかと思われる。A君に限らず、ちゃんと自分の非を認めないとダメだぞぉ~)
ちょっとここに関しては消化不良な気もするけど分からんから次いこう。次。
2.村の人々の対応について
さて、次は村の人々の対応について考える。
まぁ、この項目に関しては、閲覧者の中にこの部類の人がいるだろうからあまり強くは言えないよね。ここで誹謗中傷して裏でグチグチ言われたくないし。
まぁ、でも、事件が起きた時に仲裁をできなかった事はプレミではなかったのではないかと思う。
もろちん(ちん)、突発的に始まった事だろうからうまく対応できなかったのは仕方ない事なんだろうけど、それでも第三者的な立場なんだろうから、そこでうまく対応できなかったのが良くなかったよねとは思う。
例えば、ここでも笑い話にでもできただろうし、それから、怒ってしまったBさんに逃げ道を差し出すこともできた訳だよね。それらをできなかったのはプレミだと思った。
話はちょっと変わるけど、「これが正しい」と思って意見を出して、その意見を引っ込めるのって結構難しいと思うんですよね。自分は正しいと思ってる訳であるから、まずは自分が間違えていたということを認めないといけない訳だし、「自分が間違っています」と認めるのは「自分のヘマでメンツや尊厳を失ってしまった」となる訳だし、さらには、1度正しいと思って色々意見を出すに当たって、払ってきた犠牲(費用)をびた一文も回収できないとなると、それは「せっかく費用を出したのに全て無駄だった」となるわけであって、そんな惜しい事はなかなかできないと思うんですよね。だから、素直に意見を途中で引っ込められる人はすごいと思う。
まぁ、結局何が言いたいのかと言うと、今回の場合、「Bさんの言いたいこともわかる意見も理解できるけど、今回の所は〇〇にしとこうよ〜」という風にBさんのメンツを潰さずに逃げ道の提示ができれば良かったのではないかと思う?
(でも、逃げ道の提示をするのはなかなかに難しい事だと思うし、できるような人を見た事がない)(できるようになりたいな〜)
3.村長の対応について
やっとここまできた。
コレが話したかった。
俺がこのノートを書こうと思った原因。
ここまで来るのに疲れちゃったよ..... パトラッシュ.......
この村長の対応についてどう思うか。
私としては、今回の一件において一番納得のいかない対応だったと考える。
結果として、Bさんは村から追放されたことになるが、なぜ、Bさんは追放されなければならなかったのか。
確かに、「和を以って貴しと成す」という日本人のコミュニティーにおいては、その和を乱す異分子は排除すべきという考え方があるのも理解できる。しかし、今はまだその対応をすべきではなかったのではないかと私は考える。(前科があり、その内容を私が知らないだけであったら話は少し変わってくるが)
この”多様性”や”ダイバーシティ”が謳われる昨今、コミュニティーにおいて求められるものは、その自由さやそれぞれの活動や性格の幅広さ、様々な人がいたとしても認められる寛容さではないのだろうか。しかし、今回の対応はそれらとは逆になるような、コミュニティの多様性を認めない様な結果となってしまった。その対応に私は遺憾の意を表したい。
もし、このような事が続けば、そのコミュニティは”村長の機嫌をとり、少しでも和を乱さないように常に意識しなければならない”コミュニティになってしまうのではないだろうか。そのような異分子排除が続くならば、「明日は我が身」と意識しながら、仲間に嫌われず村長には好かれるようにたち振る舞わなければなくなるだろう。(これはあくまで極論であり、本当にそうなるとも思いにくいが、しかしながら、本当にそうならないとも言い切れないと私は思う。)
果たして、そんな”ご機嫌取り”コミュニティにいて本当に良いのだろうか。本当に楽しいのだろうか。ましてや、職場やグループワークでもなく、ただ同じ趣味同士の仲間が集まったコミュニティであるはずなのに、なぜそこまで集団生活を意識しなければならないのか。やはり、(ワガママばかりでも良くないが、)自分の好きなように遊んで自分の思ったことを素直に話せるコミュニティの方が良いのではないだろうか?
少し話がそれてしまったので話を戻そう。
まぁ、兎にも角にも、そのような異分子を排除するという選択肢は間違っていたのではないかと私は考える。
と、ここまで書いたけど、やっぱりそこは主義主張の違いなのか〜とか思っちゃったので、なんとも言えないわ。
今回の一件は、社会主義や集団主義と言った視点で見るならば、その判断は正しいと思う。しかし、私は個人主義者であり、全体の幸福よりも個人の自由を求めたい人なので、今回の判断は間違っていたのではないのかな〜と
"私は"思う。
しかしまぁ、そこで一つ思うのは、「行き過ぎた集団主義は、いじめや差別に発展する場合もある」ということだよね。もちろん、コミュニティの事を思って行動するのは大変結構だし、なんなら美徳でもあるんだけど、そう言った行動をしていって、コミュニティの帰属意識を強めていってしまうと、時として、酷いことも平気で行えるようになっちゃうから注意が必要だよね〜とは思う。ましてや、集団でいると、酷いことをやった時に「1人でやった」のではなく「みんなでやった」ってなるから、1人あたりの責任が分散されてより酷いことをやりやすくなってしまうと思うんだよね。だから、そうならないように注意が必要だと思うんだよね。
話はちょっと戻るかもしれないが、今回の件を受けて、この村の方向性を尋ねなければならないのかな〜と思った。
私はただ単純に、村長が"私のポリシー"と違った対応をとったため批判をしたが、そもそも私は”この村のポリシー"を知らないのである。もしこの村のポリシーが"この村は集団主義的な行動をとります!仲間の和を乱すやつは排除します!"というポリシーだった場合、私の批判は的外れなものだなと思う。
だからこそ、しっかりとポリシーを確認した上で今回の批判を行うべきだったのではないかと思った。
その他に思ったこと
さてさて、ここまで書いて一晩寝かせておいたので、あとは、今回の件があって思った事を書き連ねようかと思います。
私は今回の件を経て、自分のイデオロギーやポリシーを明確にしなければならないのかな〜なんて思いました。
と言うのも、今回の件で村を追放された人がいたので、「どうせBさんが追放されるなら、ワイも村から出ていこうかな〜」なんて思っちゃったんですよね。でも、村から出ていくには、ちょっと名残惜しいななんて思ったんですよね。
そんな時に、ふと初心に立ち返って「どうしてこの村に来たのか」というのを思い出してみたんですよね。そうやって思い返して見ると、ワイがこの村に来た理由が「交流関係を広めること」だったんですよね。だから、ここでこの村を出ていってしまったら、逆に交流関係が狭まってしまうので、結局村を出ていかなかったんですよね(単なるチキンかもしれないが、そこは目を瞑って欲しい)
とにかくそういった風に、自分はなぜここに来て、何を主義とし、何をしていくのかを明確にしておくべきだったのではないかなと思いました。
またそう言った意味では、今回の一件はそのような気付きを与えてくれる良いポイントだったのではないのでしょうか?
まとめ
今回のまとめに入りたいと思います。
今回、私が思ったことは次の通りです。
・喧嘩両成敗(どっちも悪い)
・ポリシーやイデオロギーを明確にすべき
以上!
(この2文のためにどんだけ時間と手間を掛けてるんだか...)
そもそも、ワイは喧嘩両成敗大好き人間なので、結局は「どっちも悪い」って思っちゃうんですよねぇ....
いや、まぁ性善説じゃないけどさ、別に悪いことしようと思って悪いことする人なんていないんすよ。(わざと悪い事しようとする人もいるけど、それは本人にとってメリットのあるいい事なんだよね)
別に今回に関しても「場の空気を乱してやろう」なんて思って怒った訳じゃないと思うんだよね。だから、お互い(A君とBさん)の意見も尊重しつつ、なるべくみんなが幸せになるような折衷案(折り合いをつけたり、双方が妥協したライン)を考えるべきだったのではないかと思うよ。
あとがき
やっと書き終わった... 長かった...
だってこれ、夕方から書き始めたのに、もう次の日の昼になっちゃってるんだもん.... 確かに、途中でご飯食べたり寝たりしてるから、なんとも言えないけど、流石に文字多すぎたなと思うん。
さて今回、どうしてこんなお気持ち表明文を書こうかと思ったかと言うと最近色々なことをしたりしたからなんだよね。
まず、原因その1、テロール教授の怪しい授業を読んだからなんだよね。
この本は、テロとかカルトはどうやって起きるのか〜みたいな話を面白くわかりやすく解いている本なので、ぜひ読んでみて欲しい(唐突なステマ)
まぁ、別に読んだだけではなんとも思わなかったんだろうけど、今回の一件と、ただの一般集団がどうして凶悪化していくのか〜みたいな所に似たような何かを感じたので、凶悪化してほしくないな〜という願いを込めて書きました。
そして、原因その2、立川の事件があったから。
念の為にリンク切れてもいいように説明すると、立川市で19歳の少年が25歳の女性(デリヘルで呼んだっぽい)を滅多ざしにして殺した通り魔的事件があったんだよ。
別に、殺人事件なんて別によくある話なんだけど、今回の事件の原因に気になる所が合ったんだよね。
「ネットで人を殺す動画を見て刺激を受けた」「女性と無理心中する様子を撮影しようと思った」。警視庁の調べに少年は犯行の動機をこう供述していた。風俗店は数年前に利用していたものの、女性とは面識はなく、無作為に選んだ可能性もある。少年は、なぜこのような「特異」な考え方を持つようになったのか。
女性に動画撮影を打診して断られた少年は、持っていた包丁でめった刺しにした。女性は約70カ所も刺され、致命傷となった胸の傷は深さ約18センチに達していたという。「気が小さいのかもしれない」。捜査関係者は少年の性格についてこう推察する。
少年の親族や知人らも、おとなしい性格だと口をそろえる。ただ、近年は感情面や環境面に変化が生じていたとみられる。
異変が生じたのは、高校入学後。周囲には「いじめに遭った」と告白していた。いわゆる「陰口」の類いだったとされ、次第にクラスで孤立し、そのころから感情の起伏が激しくなったという。退学して通信制に編入、卒業。その後は就職した高齢者施設でもなじめず、上司から病院への受診を打診されるなどし、辞めた。
(中略)
今年に入ってからは、工場の就職先を見つけたが、先輩からモノを投げられるトラブルがあり、すぐに辞めた。周囲は、少年の将来を心配していたが、次第に友人らとも会う機会が減り自室でゲームに没頭するなどしていたという。
ということがあったんだ。
まぁ、そこで思ったのは、誰かが手を差し伸べてあげられたのではないかということなんだよね。
確かに、いじめ問題を解決するのは面倒臭いし厄介だし巻き込まれたくないんだけど、それでもこの少年とお話をしたり、彼の悩みを聞いてあげるぐらいはできたんじゃないかな〜って思うんだよね。
さらにそこから、「こういう事を防ぐ為に世の中のいじめられっ子の相談に乗ろう!」みたいなことはできないだろうけど、せめて身の周りにハブられている人がいたりいじめられている人がいたら、縁を切らずに、ちょっとでも救いになるように付き合っていこうなんて思ったんだよね。これはちょっと傲慢かなと思ったけど、バカだからこれ以外にいい案が思いつかなかったんだよね。
そんなこんなで、長くなってしまったけど、私の意見を書き連ねて来たのでそろそろ終わりにしたいと思います。
もしよければ、貴方の感想や意見をコメントしてくれると嬉しいです。返信するとも限りませんが、私の考え方や見解がより広がるので、貴方の意見も教えていただけると幸いです。
こんな、7000文字を超える文章を最後まで読んでいただき、
本当にありがとうございます。
それでは、またどこかでお会いしましょう。
ごきげんよう。
追記
意見をいただいて考え方が変わったりしたら、ここに追記したいと思うのでよろしくお願いします。
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