思い出の中日新聞杯 1989

当時の中日新聞杯は春の中京開催の最初の重賞で最終週の中京記念へとつながるレース。ただし父内国産馬限定戦。

父内国産とは、父が日本産まれの馬、つまり輸入種牡馬(当時で言えばノーザンテーストやパーソロンなど)の産駒は出られないレース。
当時は内国産馬の種牡馬成績が輸入種牡馬に比べて劣勢でそれを保護する為のレースとして愛知杯、カブトヤマ記念と共に存在していました。今やサンデーサイレンスの影響で内国産種牡馬花盛りですけどね。

そんな中日新聞杯、この年の一番人気は重賞連勝中のカツトクシン(父タケシバオー)、圧倒的人気で単枠指定でした。二番人気でオークス2着のマルシゲアトラス(父バンブーアトラス)が二桁オッズになるくらいでした。

レースは快速ハヤブサモン(父がサクラシンゲキ)が逃げ、2番手にカツトクシン、そのまま最後の直線へ。カツトクシンは前のハヤブサモンをなかなか交わせません。そうこうしている間に後方待機組が一気に押し寄せてカツトクシンとハヤブサモンに襲いかかります。ハヤブサモンは何とか逃げ切ろうとしたところにゴール前わずかに加用正騎手のトウショウアローが差したところがゴールでした。3着には後方勢の中でも早めの仕掛けだったヤシマプリンス(父モンテプリンス)で、カツトクシンは差のない6着に敗れました。

トウショウアローは父トウショウボーイ、母は毎日王冠をはじめ現在の重賞クラスを4勝したジュウジアロー。だから良血だったのですが何故か地方出身で転厩2戦目がこの中日新聞杯でした。
ちなみに馬主はトウショウ牧場ではなく、父のトウショウと母のアローを取ったトウショウアローでしょう。

ちなみに7番人気ー10番人気ー5番人気の組み合わせですが、トウショウアローの母ジュウジアローとハヤブサモンの父サクラシンゲキとヤシマプリンスの父モンテプリンスは揃って第一回ジャパンカップで外国の強豪と相まみえました。

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