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Northern Boys とは

2020年7月3日(金) 21時〜
青山 月見ル君想フよりNorthern Boys 初の無観客配信ライブを行います!これまでライブを観たことがない全国各地の皆さんにも是非観ていただきたいと思ってます!これまでのNorthern Boysの集大成的なライブにします!
詳細はNorthern Boys HP またはTRICERATOPS HP、月見ル君想フのHPにてチェックしてみて下さい!

https://northernboys.net/

http://www.triceratops.net/

http://www.moonromantic.com/?p=44243

Northern Boys とは?オフィシャルのプロフィールはこんな感じ↓

【Northern Boys】デビューから 22 年、国内屈指の3ピースバンド、TRICERATOPS のベーシストとしてバンドのボトムを支え続け、シーンを牽引し続けた林幸治と、the autumn stone,Milco のフロントマンとして活躍した後、ソロ活動をスタートしKAN のツアーサポートや、ウルフルズの共同プロデューサーとしても幅広く音楽活動を続けている菅原龍平のユニット。音楽への深い造形が余すとこなくにじみ出ている心地よいポップさとリリック。ツインリードボーカルを武器に、他にはないオリジナリティーで急激にファン層を拡大し続けている。

なんだけど、俺と菅原君がどのような経緯で一緒にライブをするようになったのか?2018年の1st EP 「Music On The Radio EP」時のセルフライナーを読むとよくわかると思うので、その文章にほんのちょっと手を加えたバージョンをここに掲載しておきます。では7月3日21時に!


僕が菅原龍平と出会ったのはいつの事だったか。大阪の夜だったと記憶している。森田恭子さんが作っている「ラッキーラクーン」という雑誌のイベント、「ラッキーラクーンナイト」に出演する為にお互い大阪に来ていた時だ。共通の知人である森田さんが菅原君と飲んでいるから合流しない?と誘ってくれたのであった。菅原君は当時のマネージャーさんと、僕は佳史と一緒だった。菅原君の僕に対する第一印象は・・「怖い」だったらしい。調べてみるとどうやら2006年の事だ。今でも全然そうだが、当時30歳の僕は相当に人見知りだっただろうと容易に想像できる。菅原君がなんだったか当時に気に入っていた冗談を連発しているのに対して、「それさっきからずっと言ってるけど、全然面白くないよ。」と僕が言ったらしい。特に仲良くなる事もなく菅原君的には「ちょっと取っ付きにくい、感じの悪い先輩だなぁ」と、まぁそんな感じだったのだろう。その後、再接近したきっかけはウルフルズのジョンBさんだった。ジョンBさんが自身のソロプロジェクトを始めるにあたり「バンド」にしたいという事で僕の所に相談に来たのであった。当時、僕が住んでいた街の有名な中華料理店で食事をした。その時に聴かせてくれたデモ音源がすごく良かった。作曲をしていたのが菅原君だった。2009年頃の話である。ジョンB&ザ・ドーナッツというバンドがスタートして、たまにベーシスト、たまにギタリスト?として菅原君と一緒に演奏するようになった。その頃から二人で飲みに行ったりするようになり、いろんな話をするようになった。歳も一つしか違わない事もあり、同世代。子供の頃に流行ったおもちゃやゲーム、映画、音楽など共通点も多かった。人として何をどう感じ、どう振る舞うか?どうあるべきか?みたいな、「生き方」というと大げさだが、そういう部分も共感できる部分が多かった。次第に二人でライブをやろうという話になっていったのだった。森田さんとTRICERATOPSでやっていた12Barというイベントのスタイルがヒントになり、邦楽カバーや洋楽カバー、森田さんが選ぶ宿題曲などカバー曲中心のライブ。トークも楽しんでもらおうと、ラジオの生放送を真似たスタイルにした。
2013年4月29日、下北沢のBAR?CCOという30~40人でいっぱいになる会場で、Radio CCOというイベントライブをスタートさせた。ライブを1回やる度にオリジナル曲を1曲作ろう!というノルマを自分たちに課した。この時にできた曲が「チーズケーキ」である。この時はまだユニット名はなく「林幸治 菅原龍平」と個人名でやっていた。どのくらい続けられるかはわからないが、お互い時間のある時にライブをやろうと思っていた。3ヶ月に1度?半年に1度?
しかし、2回目が開催されたのは2015年3月25日の事であった。約2年も空いたのか・・。スケジュールがなかったのか、いや、そんな事はない。きっと重い腰が上がらなかった・・という事だったと思う。3回目は2015年7月12日、4回目は2015年12月22日、場所を下北沢440に移してゲストにGRAPEVINEの亀井君と金戸さんに来てもらった。そして2016年はまたしても沈黙。一度もライブをやっていない。2017年2月10日に5回目。2017年9月27日に6回目。そして2017年12月23日、追加公演的に初の遠征、大阪で6.5回目をやった。2018年は初の全国ツアー「Music On The Radio tour」を開催。東京、名古屋、大阪、福岡と4つの都市を回った。
2回目か3回目のRadio CCOの時だったか、ライブ中の話からノーザンボーイズというユニット名を口にするようになった。菅原君が小樽出身という事に由来して、云々かんぬん・・。あるのだがここではユニット名の詳細な由来は割愛する。ライブの度に1曲作るというノルマは毎回守っていた。一度だけ作っては見たものの歌詞が気持ち悪い・・という理由でボツにした幻の曲がある。曲は良いので、またいつかトライしたいと思っている。

2回目のライブの時に作ったのが「キャッチボール」という曲。3回目が「Oh Silly Love Song」、4回目が「ブルーじゃないクリスマス」、5回目がボツ曲回?6回目が「夏空」だったかな?、Music On The Radio tourの時に「Music On The Radio」を作った。いつか音源化したいねという話はライブ中にもずっとしていた。

実は1回目のRadio CCOの直前、2013年4月10日にプレイグスの深沼元昭さんの自宅スタジオで「チーズケーキ」の元になるデモ音源を録っていた。この時はこのプロジェクトがどうなるかなんて全然、わからなかったのだが、深沼さんと話してるうちに、じゃあ、一回録ってみようよ!って事になりあれよあれよという間に作業が進んでいった。この曲は僕が作りかけていた曲、(と言っても2つのコードを繰り返す曲の冒頭部分のイメージしかなかったが)に菅原君がメロディを乗せてサビまで完成させてくれた。スタジオでデモを録る際にその場でベースラインを考えた。その時は歌詞はまだなく、ラララって感じの仮歌だった。数日後に歌詞はどんなイメージなのかを二人で話し合った。突然、菅原君が「チーズケーキ」と叫んだ。「チーズケーキってどうですか?」え?と思ったが、「なんかそんなイメージが浮かんだ」というので、じゃあ、書いてみてと言った。二人で微調整して今の形になった。

それから約5年の歳月を経て、ようやくレコーディングに取り掛かったのが2018年7月の事である。今回、改めて「Music On The Radio EP」を制作するにあたり、この時の事があったので、レコーディングエンジニアを深沼さんにお願いするというのは、自然な流れだった。5年前のあの時の想いを完結させる為にもここは深沼さんしかいないのだ!と僕は思う。曲作りの際にはドラムや鍵盤、エレキギターなどを使ったアレンジも想定していたが、ライブではアコースティックギター、アコースティックベースの二本による弾き語りスタイルだったのでレコーディングするにあたり、そのアレンジを考えるプリプロダクション作業を菅原君の部屋で2人で始めた。2018年7月24日から深沼さんのスタジオに移動し本格的なレコーディングをスタートさせた。

「チーズケーキ」の次に作ったのは「キャッチボール」という曲。リハーサルスタジオで僕が弾いたEのベースリフに菅原君がアコギのコードストロークで乗っかってくる。二人で交互に歌うスタイルは最初からあったかな。キャッチボールって曲作りませんか?といつだったか菅原君が言った。「キャッチボールしようぜ、笑える事をしようぜ」というのはNorthern Boysのテーマというかポリシーというか指針である。「ただひたすらに、ただひたむきに」というのは僕の中学の部活の顧問の先生が卒業する時にくれたミニチュアのバレーボールに手書きで書かれていた謎のお言葉である。
次に作ったのはOh Silly Love Song。曲のタイトルから考えた。これまで作った曲の頭文字がどちらもCだった。キャッチボール、チーズケーキ。結果的にはカタカナ表記になったのだが。下北沢のCCOでライブをやっていたので、CCときたらOじゃない?って話になった。CCO三部作的な。で、ある夜、二人でタイ料理を食べながら、いろいろ考えた。Oが頭文字の単語、曲タイトル、、。うーん。そして閃いた。Oh!なんとか、、にすればなんでもいけるじゃん!そしてOh Silly~にしてお尻と韻を踏むという言葉遊びを思いついた。また後日、とあるカフェで二人で歌詞を書いていた。さらさらとか、ゆらゆらとか、プリプリとか、繰り返しのワードを探していた。Marvin gayeのWhat’s going onが流れた。mother mother,,,一気に歌詞が完成した。

Sofaという曲は今回のミニアルバムの為に新たに書いた曲。菅原君の家で二人で書いた。Sofaというタイトルは僕が出した。いつだったか菅原君が「チーズケーキ」と言ったように、いきなり「ソファ」と言った。プリプロ作業中、自宅と菅原君の部屋を行き来する日々の中でなんとなく感じた世界観がインスピレーションになっている。
Music On The Radioはラジオをテーマにライブをやってきた僕らがラジオをテーマに書いた曲。この曲の歌詞を書く為にとある都内の大きな公園で待ち合わせた。公園のどこで待ち合わせるかは決めてなかったのだけれど、公園に入って割とすぐに落ち合った。缶ビールを一本飲んだ。

曲を書く為に、歌詞を書く為に、いろいろな場所に行った。公園で話した。2時間くらいただ二人で歩いた事もあった。バッティングセンターにも行った。酒も飲んだ。そんなこんなで完成した5曲。「Music On The Radio EP」インナースリーブの写真は、そんな曲作りの際に二人がお互いに撮ったフィルムの写真である。

2018年10月5日 林幸治

2020年、加筆修正

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