くらげの足跡👣👣

今回くらげのnoteを見て下さりありがとうございます。
本日24歳の誕生日を迎えられた事を期に、今までの事をちょっと綴って皆様にくらげを知って頂けたらなと思います︎︎☺︎

1996年11月20日
今から24年前、田舎のとある病院にてくらげは産まれました。
自分で言ってはなんですが、毎日が波乱万丈なのはきっと産まれる前からなんだと思います。

産まれる半年ほど前…勿論くらげは母のお腹の中。
ドンッ!!っと母の乗っていた車に大きな衝撃が。
和裁の仕事をしていた母上は、出来た着物を納めに車を運転していました。見知らぬ車に衝突された母、車はぺちゃんこ、母は意識不明の重体。
救急車に乗せられ病院に。

意識が戻ったのは12時間後だそう。
院内では「お腹の子は死んだ」と噂もたっていたらしい。

そんなこんなで、元気に生まれたくらげは「奇跡の子」って呼ばれてたみたい。
ほら、もう産まれる前から波乱万丈なの。

時は過ぎ、保育園から小学校までは特に何も無く平凡に過ぎていきました。
当時の性格的には、天真爛漫、目立ちたがり屋って感じだったかな?

くらげが少し変わり始めたのは中学の頃。
勉強が特別得意ではなかったくらげは、この頃からほんの少しだけやさぐれた。反抗期もあり、部活の疲れ学校の疲れで父と母終いには祖父母にあたる始末。壁を殴り怒鳴りむしゃくしゃしながら学校生活を送っていた。
小学校までは幼なじみと平凡な日々を送っていたが、中学に入り『いじめ』という壁にぶつかった。

部活動を始めると、他校との合同練習、合同試合は当たり前。
関わる人間が増える程、自分のことを嫌う人間も増え少しだけ生きにくさを憶えた。
今となってはいい経験だなぁとか思うけどね。

中学を卒業すると、第2の試練『高校生活』。

中学の規模を遥かに超える人数に、また不安、焦り、色々な感情を覚えた。田舎の小さな高校なのに、くらげにとっては大きな知らない都市に来た様だった事を今でも覚えている。

1年生までは真面目に必死に勉強して、朝課外も部活動も学校行事もそれなりにこなしてきた。

転機が訪れたのは、2年生の二学期。

教室に行かなくなった。

理由は簡単。
女子特有の派閥。疎外感。

学校に居場所を感じられなくなった。

勉強にも身が入らず成績は急降下。
なんなら、下から数えた方が早かったのかなぁ…多分。

保育園から仲が良かった子も離れていき、高校入学してできた友達も力の強い女子グループに行き。

とうとう、一人ぼっちなってしまった。

上辺だけで仲良くしてるのも丸わかり。
一人で行動するからこそ、その辺の事情もよく分かっていた。

その当時救ってくれたのが、本と1年から付き合っていた彼氏。
保健室登校も考えたが、保健室はちょっとガラの悪い生徒の溜まり場。

読書が元々すきだったくらげは、仲の良かった司書の先生の部屋に篭もり本を読み漁って授業を終えるのを待つ。
こんな生活をしていた。
司書の先生は当時24歳。今のくらげと同い年だね。
先生なんだけど、ずっとタメ口で話を聞いてくれて。
大好きだったかな。先生居なかったら多分学校辞めてた。
うん、真剣に辞めること何回も考えた。

だって、居場所もなくて毎日不安で、成績も落ちて、なんにも得られる事のない場所に行く意味わからなく無い?
って当時は思ってた。
ただのお馬鹿でしょ。呆れちゃう。

そうそう、彼氏の存在も大きかったなぁ…。
3年間よく離れずにそばに居てくれたものだよ。
有難い有難い。

2人でズル休みして、実家でダラダラしたり、バイク走らせて遊び倒してたかも。
いっぱい感謝してる。
心の拠り所だったね。ほんとに。

2年の後半になって、成績は出席足りなくて卒業のぴんち!!

それからはぼちぼち学校きて無事卒業。
セーフって訳だ。

18歳。春。
進学ではなく就職したくらげはまた試練の壁にぶつかる。

特別したいわけでもなかった会社に就職後、パワハラにであった。
上司のミスを全て被り、今でこそ○○ハラって厳しくなった世の中だけど、当時はそうもいかず…。

ストレスを発散する為に、名も知らぬ異性と体を交わらせる事で、心の隙間を埋めようと必死だった。
一人暮らしだったのもあるが、その時は毎日が不安で、涙も沢山流れてたと思う。

一瞬だったけど、ほんと一瞬だったけど
『満たされた…』

現職である夜のお仕事はその時出会った彼からの提案だった。

当時のくらげは、セックスにも抵抗もなく
「身体でお金が貰える…」
こんな安直な考えしか無かった。

もし、その時に戻れるのであれば「止めておけ」この一言だけ伝えてたと思う。

お昼のお給料、そして夜のお給料。
18歳ながらに、それなりの大金を得たくらげは『ホスト』に明け暮れる。
その時は毎月30万以上は多分使ってたかも…今思えば恐ろしい。笑

セックスとチヤホヤ甘い言葉をくれる酒の場。

ほんとに寂しかったんだろうなぁって。

付き合った彼とは妊娠、堕胎を繰り返し。
心も体もボロボロだったのが、18歳から21歳までのくらげ。

アタオカすぎんだろくらげ。
アホだろクラゲ。
間違ってるってわかってたのに色々失敗した。

いくらでもやり直しは聞いたはずなのにね。

時はまた過ぎ

2019年夏。

大病をした。

蒸し暑さの篭もる部屋。
胃の痛さ、吐き気、熱。
体が動かない。

本当に死を覚悟した。

直ぐに病院に行けばよかったものの、我慢をし仕事に向かう。

入院する一週間前。
とうとうご飯も口に入らなくなった。
それでも効くはずのない薬を飲み仕事。

夜は眠れず、目の下にクマを作り働いた。

たまたま実家に帰った時、異変に気づいた母が
「病院に行こ?」

そう言ってくれて、やっと病院に足を運んだ。

熱は気付かぬうちに38度を超えていた。
検温、採血、CT、MRI、エコー、気休めの4時間の点滴。

クラゲの身体を蝕んでいたのは
『貧血と血栓』

緊急入院

そして、貧血による輸血から始まり
5時間と3時間に及ぶ大手術。
1歩遅かったら死んでいた。

両親、家族、友達みんなに迷惑をかけて
母をまたも泣かせてしまった。

術後目が覚めて、切った腹が痛む。
隣で母が眠ってる。
痛さと、安堵と、色々な思い出涙が溢れた。

この病気はもう治らない。
今までの行いが悪すぎた罰だと思ってる。

悪いことばっかりな人生でもなくてさ。
生きてりゃ素敵な人にも出会うものでね。

Twitter通して出会えた人にも感謝。
お客様だけど、何から何までお世話になった人にも感謝。

幸せと不幸は紙一重であって

時間は有限で可能性は無限。

まだまだやりたいことも山ほどあるから
前向いて生きるしかないかって
24歳になったくらげは思いました。

なんか話飛び飛びでめっちゃぐちゃぐちゃだけど
最後まで読んで頂いた皆様ありがとうございます♡

すこーしは、くらげって人間が分かったかもです。

書きたいことはまだまだあるけど
ざっくりのざっくりでこの辺で。

あ、Twitterこれからも
よろしくお願いします✨✨

くらげぇ。

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