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いつからでも、どんな状況からでも、人生は変えられる。社会にさえ馴染めず、路上パフォーマンスで稼いだ日銭で生きていたあの日から、アパレル・ブランドせどり開始後たった半年で月収200万を達成するまで。


・前書き

はじめまして。トウマです。

「半年で月収200万?どうせまたハッタリだろ!?
嘘つくなよ」

…マジでそう思いますよね。

半年前の僕に半年後こうなってるぞ!って言ったとしたら、絶対に信じないと思います。
でもこれは紛れもない"リアル"なんです。

とは言っても誰やねんお前!って感じだと思うので、
少しだけ僕の自己紹介をさせて下さい。


僕は現在27歳で4人家族の大黒柱です。
2つ下の妻と5歳の娘と生まれたばかりの0歳の息子がいます。
全員めっちゃくちゃ可愛いです。

ちなみに当時シングルマザーだった彼女と結婚をしたので、5歳の娘とは血は繋がっていませんが、今ではそんなのは全く関係なく紛れもない親子です。

そんな僕ですが、
今はコンスタントに月収100万前後を継続して稼いでいけてる状態です。
 
そしてここからが面白いところなのですが、そのお金はほぼ在庫を抱える事なく、"少ない時間+低労働"で生み出されたお金です。

誰かに指示されたり怒鳴られたりされる事もなく、そしてこのコロナ禍で超密になって満員電車に揺られることもなく作り出したお金です。

だからこそ
「今日どっか行く〜?」「うん、行こ〜♪」
みたいなノリでよく家族で色んな所に遊びにいってます。

そして本当にお金がなかった時からすると考えられなかったのですが、結婚指輪まで購入する事が出来ました!

そしてなんと結婚式の日が確定して式場まで決まりました。
しかも本当に良いなと思う式場を、お金を気にせずに即決する事ができました。
あんなにも貧乏だった状況から、妻の夢をこんなにも早く叶えてあげる事ができて本当に嬉しい気持ちです。

でも本当にそれまでは貧乏人生まっしぐらだったんです。

今回はそんな僕が7年間もビジネスに挑戦してきてマジで全く上手くいかなかったところから、たった半年で月収200万円を達成できた過程とノウハウを公開致します。

というのも…巷には物販を始め、FXや株、アフィリエイトやネットワークビジネスなど、様々なビジネスがあります。

ただ、

「種類が多すぎてどれから始めたら良いか分からない…。」

「色んなことに挑戦したけど結局上手くいかず、むしろお金も時間も損してしまった…。」

もしかしたらこのような方々が僕のブログを見てくれているのかもしれません。

「…なんでただ幸せに暮らしたいだけなのに毎日毎日嫌な仕事で人生を埋め尽くされなくちゃいけないんだよ…」

「…月にたった5万円だけでも、いや3万円だけでも増えたら生活が楽になるのに…なぜ叶わないんだ?」

実は僕自身もほんの半年前まではマジで貧乏で悩み続けました。
よくあるストーリーじゃなくてガチです。

今では毎月100万円ほど稼げて家族との時間も増え人生が楽しくなりましたが、半年前までの職業は"路上パフォーマー"で日銭を稼ぐ毎日でした。

当時のパフォーマンス姿ですw

子供の出産祝いのお金さえも支払いや生活費に使わざるを得ないぐらい追い込まれていました。

そして妻には家族4人分の食費+日用品費を月3.5万でやりくりしてもらってました。

今回はそんな状況から半年で大逆転してきた過程をお伝えしていきます。

過去にネットワークビジネス、BAR運営、路上パフォーマンスと様々な事に挑戦し上手くいかなかった僕が、なぜアパレル・ブランドせどりでは上手くいったのか?どうやって上手くいったのか?

その上手くいった背景を公開していきます。


・アパレル・ブランドせどりに出会う前

「ピッピッピーーー!!試合終了!」

この日僕らの青春が終わった。

高校時代、全国大会まで行ったチームはベスト16で負けた。
僕は一度も試合に出れなかったが、悔しさのあまり人目も気にせずベンチでうなだれ大泣きした。

「最後のロッカールーム」という負けたチームのロッカールームでの最後の姿をまとめたテレビがあるのだが、そこに僕が大泣きしている姿が映ったのを今でも覚えている。

試合には出れなかったけど仲間と戦ってきた3年間はとても素晴らしく、間違いなく僕の中に青春の1ページを刻みこんだ。

おそらく死ぬ間際に思い出す事の1つだろう。

そんな充実した時間も過ぎ去り僕は晴れて大学生になった。

大学に行った理由などはなく、
強いて言えば【みんなが行ってるから】という理由だけだ。

大学でもサッカー部に入った。
ただこの理由だけは明確にあった。
それは【良いところに就職する為】だった。

「部活に入った方が就職有利やで!」

母からそんな事を聞いた僕は大学でもサッカーを続けた。
ただ正直もうあの燃え盛る闘志は、高校サッカーに全て置いてきてしまっていた。

今までの人生、部活漬けだった僕は、
学校帰りに友達とゲーセンに行くとか、学校帰りに彼女とデートするとか、そんな青春漫画の1ページみたいな時間を経験した事がない。

だから本音を言えば大学ではサークルに入って、ただただ飲み会してゲラゲラと酔いながら、バカみたいに笑い合う。
そして休みの日は彼女とお泊まり会。
そんな風に将来ばかり気にせず「今だけ」を楽しめるような経験をたくさんしたかった。

しかしそんな風に今だけを生きる勇気もなく、未来にある就職の方が大事だった僕はなんの迷いもせず当たり前のようにサッカー部に入部した。

いざ入部してみると高校よりは厳しくなくて、意外と楽しい時もあった。
だけどサークルじゃなくて部活だ。

なかにはプロを目指す人もいたし、高校時代から名が通っている同級生や先輩もたくさんいた。

名前は聞いたことはないが上手い選手、上手くなっていく選手もたくさんいた。

僕はというと、もうそこまでサッカーに情熱は注げないし、僕のサッカー人生のピークは中学生の時で、そこからはずっと下降傾向にある。

大学でもなかなか伸びず段々楽しくなくなった。

そんな中、同じ経営学部のサークルに入っている友達とも仲良くなっていった。

「今日トウマ飲みに行かへん?」

「ごめん、今日部活やねん〜。」

そんなやり取りを何度も繰り返していくうちに、
「羨ましい…。」と思う気持ちがドンドン強くなっていった。

「…俺も遊びてーよ」

そんな気持ちが強くなっていってしまうと、
更に部活が面白くなくなった。

大学からグラウンドまではバスで20分。
その時間が一番苦痛だった。

まるで仕事が嫌だと思いながらも、
朝一電車に乗っているサラリーマンのような気持ちだ。

地獄が待っているにも関わらず逃げられない。

いや、本当はいつでも逃げられるんだ。
ただただ当時の僕には逃げる勇気さえもなかった。

そのくせバス内では僕と同じように思ってる部活仲間とずっと愚痴を言い合う日々。

「なんでこんなことやってるんやろなー、別にプロ目指す訳でもないのに」

「今日も走り込みやで、もう本間にこのまま帰ろかな…。」

「でもこの4年間頑張れば良いところに就職できるしな…」

そんな事を一生言いながらも、「辞めます」のたった一言が言えない僕は相変わらずの現状維持。

そんな毎日を繰り返しながら、時間というものは1年、2年と経っていった。

唯一楽しい時間は、
部活仲間と休みの日に街に繰り出して酒を飲み、そのあとクラブで女の子をナンパする日々。

1番の思い出は、
東京合宿に行った時が現地解散だったので、
そのまま仲間と東京の女の子をナンパして遊んだ日々だ。あの日は最高に楽しかった。

「サッカー関係ないやん!」

そう、その通り。
未来の就職の事も、部活の事も忘れれる時間が一番楽しかった。

まるで仕事が嫌で嫌でたまらないサラリーマンの華金みたいだ。

しかし神様は残酷で、そんな僕の心の穴をもっと広げられる、というよりエグられるに近い出来事が起きた。

それは大学を卒業して、まあまあ良い所に就職した先輩の話を聞いた時だ。

「お前ら良いよなぁ。俺も大学戻りたいわ…。」

「…ん??」
未来に希望を抱き、就職すれば楽しい人生が待っていると思ってる僕からすると意味が分からなかった。

「何でですか?」と聞く自分。

「いや、大学もしんどい時あったけど社会人になったらもっとしんどいし楽しくないで。本間今のうちに全力で楽しんどけよ。」

衝撃だった。

「今よりもっとしんどい?」考えるだけで地獄だ。

まるで怪我して血が出てるのに、更に思いっきりぐちゃぐちゃに傷口を切り裂かれてる気分だった。

「いやでもこの先輩だけかもしれへんやん…。」

そんな微かな希望を胸に抱き、
その日から卒業した先輩に機会があれば話を聞いていった。

だがしかし…その希望は見事に絶望に変わった。

「社会人になってからの方が楽しくないし、しんどい。だから今のうちに楽しんでおけ。」

みんなが口を揃えて言う言葉だった。

つまりこの時点で僕の人生は、【今よりも更に地獄に変わる】事が決定したのだ。

その日から僕の心の穴は小さくなるどころか、更に広がった。
毎日その事ばかり考えていた。

もう憂鬱だった。

良いところに就職すれば素晴らしい未来が待っていると思っていたのに…。

その為に嫌な日々を我慢して、遊びたい気持ちを抑えて、部活を頑張ってきた。

なのに…なのに…。

「俺は一体何の為に頑張ってきたんだ?」

絶望に打ちひしがれるとはこの事だった。

「マジでなんのために生きるんや?生きれば生きるほど楽しくなくなる人生って生きていく意味あるんか?」

別に死にたかった訳でもない、死のうと思ったわけでもない。
けれどなんで生きていくのかだけが本気で分からなかった。

そんな僕は当時やっていたバイトに逃げるようにのめり込んだ。

その時はまだ
"人生最大級の恐怖体験"をする事も

"つまらない人生が大きく好転するきっかけ"があることも知らずに…

【新たな道】

「ドッコーン!!」

突然背中に強烈な衝撃が走る。

そしてその衝撃の正体を感じ切る間もなく、
倒れた僕の上には凄い形相をした男がいた。

「お前殺すぞ。なに調子乗っとんねん。本間お前しばき回したるからな」

そうそれは当時20歳で、大学の合間にやっていた居酒屋キャッチのバイト中に起こった出来事。

違うキャッチ会社のボスでラリった半グレ男が、理不尽に僕の事をボコボコにしてきたのだった。

そのボスの部下がルール違反をしていたので僕が注意をしたのだが、それだけで舐めてると言われボコボコにされた。

…理不尽極まりない。でも怖くて何も言えなかった。

今でもこっそり撮ったボイレコが残っているのだが、
「耳を千切るか、鼻を曲げるか」どっちか選ばされた。
※機会があればボイレコ聞いてください。

幸い街中で暴れてくれていたので、
警察がきて今でもなんとか耳も鼻も正常だ。

一歩間違えれば今の僕は耳と鼻のどちらかがなくなっていたかもしれないと思うと、今でも"ぶるるっ"と体が震えてしまう。

そんな絶対に味わいたくない恐怖体験を良くも悪くも経験出来たキャッチのバイトが、僕の憂鬱な人生を変えるキッカケになった。

【社外人になったらしんどい、大学の内に楽しんでおけ】

今までこんな事しか言われなかったのに、居酒屋キャッチの社員さんは、【俺は大人になればなるほど楽しいけどなぁ】と真逆の事を言っていた。

これもまた衝撃だった。

「そんな大人もいるんや…。」

「なんでですか!?」と興味深々に聞く。

「だって誰に文句言われる訳でもないし、自由やし自分の力で稼げてるし。」

なるほど…。
確かにそうだった。

【完全歩合の世界】だからこそ、文句も言われないし、自由だし、確かに稼げていた。

なるほど、そういうことか!!

と、全てを分かり切ったかのような僕は、
「雇われるからしんどいのか!」と安易な考えに至った。

今までは「世間一般の働いてる人」を目指して頑張っていた。

でも自分の力で稼げるようになれば最高の未来が待ってるんじゃないか??

とそんな風に安易な考えのままの僕は、
その日からいわゆる「成功者」にすごく興味を持つようになった。

【成功者の世界】


その日から僕は様々な成功本を読み漁った。

今までスポーツしかしてこなかった僕だ。
本?そんなの漫画以外読んだ事がない。

なのにその時の僕は人が変わったように本屋に行き、興味のある本を片っ端から買っていった。

・ロバートキヨサキさんの「金持ち父さん貧乏父さん」
・丸尾孝俊さんの「大富豪アニキの教え」
・永松茂久さんの「成功の条件」

などなど有名本は読み漁った。

勉強嫌いな僕でも、興味のある事にはこんなにも勉強できるんだ。と少し自信を持てたのを覚えている。

その中でも金持ち父さん貧乏父さんは、僕に世の中のカラクリを教えてくれた。

「なるほど。世の中にはESBIというのがあるのか」

ESBIとは以下の略である。
E=労働者
S=自営業者
B=ビジネスオーナー
I=投資家

簡単に言うと"お金と時間"の両方を手にするためには、B(ビジネスオーナー)か I(投資家)になるしかないですよって事が書いてあった。

だけど世の中のほとんどはE(労働者)だ。
その次に多いのがS(自営業者)。

「なるほど。だから世の中の人はお金も時間もない人が多いのか。」

それを知った僕は

「じゃあBかIになればいいんだ!でも I の投資家は想像つかないなー。じゃあBのビジネスオーナー、つまり経営者を目指そう!」

と、またもや安易な考えに至り、その日から僕は経営者を目指すことにした。

【人生を変えた一冊の本との出会い】

経営者を目指す事を決めたものの道のりが分からない僕は、なんやかんやまだ部活を続けていた。

それでも本を読む事だけは辞めなかった。

当時YouTubeもなかったし、Twitterは趣味を投稿するものだと思っていた僕にとって、経営という知らない世界を知るには本以外思いつかなかったのだ。
勿論周りに経営者なんか1人もいなかった。

本を読めば読むほど大学にさえ行ってる意味が分からなくなったし、「部活を辞めたい」という思いも日に日に強くなっていた。

意味を見いだせない僕は、居酒屋のキャッチで朝まで飲んだあと、二日酔いでそのまま部活にいき試合に出た事も何度もあった。

もう部活内では完全に浮いた状態になっていたと思う。
先輩にも何度も怒られた。
だけどずっと上の空だった。

それでもなぜか辞めるという【たった一歩】が踏み出せなかった。

そんなある日一冊の本に出会った。

【バカになれる男の魅力】

潮凪洋介さんという方が著者らしい。


この本が僕に大きな一歩を踏み出させてくれるとは、当時は思いもしなかった。

この本の内容はほとんど覚えていないが、ワンフレーズだけ未だに頭に残っている。
そしてこのワンフレーズが僕の人生を変えたといっても過言ではない。

【嫌な事はしなくていい。やりたい事だけやっていく。そんな馬鹿みたいな男の方が魅力的だ。】

このフレーズが僕の心に突き刺さり、脳がスパークした。

僕の為にある言葉だと思った。

試合前の部室でこの本を読んでいた僕は、隣に座ってる親友にこう言った。

「おい!嫌な事はやらんくて言いらしいぞ!やりたい事だけやっていいんやって!だから部活辞めようや!」と。

その親友も僕と共に愚痴を言い合っていたから退部を誘ったが、その親友はどうやら辞める気はないらしい。

「わかった!ほんなら俺だけでも辞めるわ!辞めてやりたい人生生きていくわ!」

と言葉を残し、その日に部長に辞めることを告げた。
そしてその勢いのまま後日教務部に退学届を提出し、大学も3回生の夏で辞めた。

あんなにも重かった一歩が、こんなにもあっさりと踏み出せてしまった。

退学届を提出したあと大学の門を出た僕は、まるでフーシャ村を小舟で飛びだした時のルフィのような気分になっていた。

「これから俺の人生は始まるんだ!もう最高にワクワクする!絶対に俺は成功してやるんだ!!」

と、強く拳を握り、今までに感じたことのないぐらいのとてつもない高揚感を味わった。
まだ何も成し遂げていないのにまるで人生の主人公のような気分だ。

【ネットワークビジネスの沼】

この前までただのどこにでもいる大学生だったくせに、何故か成功できると勘違いしている僕は、兵庫の実家を飛び出して一人大阪に旅立った。

大阪に来たのは良いものの、
気持ちだけが先行していたのか、
いざ何かやろう!と考えると何もアイデアがなく行き詰まる。

本は一通り読んだ!
次はとりあえず人に会いまくろうと決めた。
ビジネスをしてそうな人達にSNSでアポを取りまくった。

そうして絵に描いたように、見事にネットワークビジネスという世界にハマったのだった。

今になるとネットワークビジネスという難易度の高いビジネスを選ぶ事は有り得ないが、当時の僕はネットワークビジネスの"ネ"の字も知らなかった。

出会った人に紹介され、いわゆる"凄い人"にプレゼンされる内容をそのまま受け取った僕は、

「これはすげー!!こんな良いものを友達に紹介してそれをみんなでやればみんなで稼げるんや!!」

と、マジで画期的な発明を目の当たりにしているかのようなリアクションをしていたと思う。

尚且つネットワークビジネスで成功する事は、経営者になる事と一緒だと言われた。そしてそれを信じた。
※無知って本当に怖い。

即答で「やります」と言い、そのままアコムやレイクなどの消費者金融でお金を借りてその日に払った。

そしてその日から僕の"営業活動生活"がスタートした。

素直すぎる僕は教えられるがままに、今までの友達をノートに書き起こしていった。
いわゆる"リストアップ"ってやつだ。

そして一人一人電話か直接会って、ビジネスの話をしまくった。

そうしてその結果、見事に友達がいなくなった。

その内の何人かは一緒にやってくれて、「絶対成功しような!」と肩を叩きあったが、ほとんどみんな辞めていった。

友達から嫌がられてることぐらいは流石に分かっていたので、同窓会などには正直参加しずらくなった。

そんな状況になっても一切自分のやっていることに疑いはなかった。
なんせこれが成功への道のりだと勘違いしてるのだから。

"凄い人"からはこう言われた。

「後で後悔するのは向こう側だ。成功者と凡人は分かり合えないし、分かった人だけが成功する。だから分かってくれる人だけを仲間にしていこう」と。

当時の僕も"間違いない"と120%納得していた。

友達がいなくなればなるほど、むしろネットワークビジネスの世界にハマっていった。

今思えば友達がいなくなった僕の唯一の理解者は、一緒にビジネスをやってる人達なのだ。
よりハマっていくのは至極当然の話だ。

そんな感じで上手くいったりいかなかったり、
会社も色々変えたりしながらもハマり続けて約2年。
営業活動を死ぬ気で頑張り続けた僕は意外にも上手くいっていた。
組織も数百人になり、その時の僕は"営業活動のやり方"を教える側の立場になっていた。

そんなこんなで組織も増え続け、多い時で月に150万ほど得ていた。

その時は大学の友達とかも遊んでくれるようになり、一緒にクラブに行ったりもしていた。

「今はなにで稼いでるん??」

と友達から聞かれ、

「まあ、不動産仲介とか経営とかそんな感じかな。」

と、意味分からない事ばかり言っていた。
今思えばダサすぎる。

ただその時はネットワークビジネスが世間から嫌われてる事ぐらいは理解していたので、"あやふや"に誤魔化していたのだ。

本当にダサイ…。
黒歴史の一つだ。

ただビジネスとしてはある程度順調だった。
そんな矢先、事件が起きた。

"バン!!"

「Yはいるか!?携帯を触るな!携帯を置け!」

と声を荒げ突然事務所に入ってきたのは、なんと警察だった。

Yさんとはその当時の大阪チームの代表だ。

そのままYさんが警察に連れて行かれ、事務所は騒然とした。

当時既に中心人物になっていた僕は、このままじゃマズイと察し、「大丈夫大丈夫!何も悪い事してないんやから!」となだめるのが精一杯だった。

その日の内に、全国で会社の中心人物の5人が警察に連れて行かれた事が分かった。

「大丈夫、大丈夫」と声をかけていたのも虚しく、最終的に中心人物の5人は捕まり、会社は突如あっけなく崩壊した。

と同時に月に100万ぐらい稼いでいた僕の収入もいきなり0となった。

【天国から地獄へ】

組織も、収入も何も無くなった僕は、
「これからどうしよう」と思い悩んでいた。

だけど何も浮かばない。
僕がやってきた事は営業活動をして組織を作る事だけだ。

この時、嫌でも気付かされた。

「俺は一人じゃなにもできへんやん。1円だってどうやって稼げば良いか分からへん。どうしていけばいいんや…。」

自分の無力さに打ちひしがれた。

あんなにも大勢の前で自信満々でセミナーをしたり、こうやったら上手くいくんやで!と堂々と話していた自分はもうそこにはいなかった。

「また振り出しに戻った。」

いや、つい最近まで月収100万円を越えていた僕からしたら、ゼロどころかむしろマイナスの気分だ。

数百万円は貯金があった僕は、現実逃避とばかりに毎晩クラブ遊びに明け暮れた。

収入は無くなっても、金銭感覚だけは元に戻らなかった。

「プシューッ!」

VIPに座りシャンパンを開けまくる。
そうして隣に座る女の子を口説きにかかった。

「なんのお仕事してるんですか?」

と横に座った女の子から聞かれ僕は咄嗟に答えた。

「経営者やで。」と。
そして次次にシャンパンを開けまくる僕。


こうして僕に騙された女の子達と遊び回る日々。

日に日に虚しくなる毎日。

収入は0のくせに月に60万ぐらい使っていたので、あっという間に貯金は底をつきた。

「マジでもう遊ぶお金がねー。」

そんな時に限って女の子から連絡が来る。

「今日遊ばへん^ ^?」

「ごめん、今めっちゃ仕事忙しくてさー、また落ち着いたら誘うわ!」

…仕事なんかしてねーよ。

ただのニートが経営者なんか装うと本当に悲惨だ。

その時はもうどうしていいか分からず、遊びにいけなくなった僕は、ただただ家にこもる選択をした。

それでも容赦なく家賃など生活費はかかる。

まだまだこれからも稼げるとばかり思っていた僕は、借金も返していなかったのでその支払いもある。

それでも"時給1000円"とかで働く気になんていまさらなれない自分。

資本主義を心底恨んだのはこの時が初めてだ。

それでもなんとかしなければならない。
だけど何もしたくない。

そんな僕が選んだ選択は…

「プルルル、プルルル」

「ごめん、お金貸して欲しい」

そう、母親に頼み込むことだった。

まさかの何も言わず20万ほど貸してくれる母親。

「ごめん。お母さん。でも今は許して」と心の中でつぶやく。

ダサイ。本当にダサイ。
そう分かっていながらも本当に何もやる気が起きなかった。それぐらい心が疲弊していたんだと思う。

そんな生活が約2ヶ月ほど続いた。

「流石にこのままじゃマズイ…。」
それぐらいはバカな僕でも分かる。

2ヶ月も休んだ僕は金銭感覚もある程度元に戻り、心も徐々に回復していた。

「腹括るしかねー。」と思い、1日短期派遣に行く事を決意した。

・工場の仕分け
・パチンコ台を運ぶ仕事
・イベント会場の設営

などなど色んな派遣をした。

「半年前までは大勢を束ねていた俺が…なんでこんな事に」

派遣に行きながらもこんな事をずっと思っていた。
だけど現実はもうただの派遣バイターなのだ。

周りの友達はみんな立派に就職している。

「俺の選択は間違いだったのか?」

そんな事が頭によぎる夜もあった。

そんな気持ちに蓋をするかのように僕は派遣バイトに明け暮れた。
その生活がしばらく続いたある日、僕は発狂したくなった。

働いても働いても減らない借金。
働いても働いても生活費に消えていくお金。
遊ぶお金なんか一銭も残らない。

考えた。この生活を続けていてもなにも変わらない。

「でもどうしたら良い…。もう嫌だ…」

そんな風に先が見えないある日、心斎橋の商店街を歩いていた時の事。

「ザワザワザワ」

街中にとんでもない人混みができている。

「なんだろう?」と、気になり近づく自分。

……人が止まっている。

そう、それはただ人がじっと止まっている光景だった。言い換えると【静止パフォーマンス】である。

見たことないだろうか?
外国人の方とかがずっと止まって、あたかも銅像のようにポーズを決めている光景を。

ただ止まっているだけのパフォーマンス。
それなのに周りにはとんでもない人達が集まっていた。
そしてその人が置いている箱にとんでもない量のチップが集まっていたのだ。

……これだ!!

「これだったら俺でも出来るぞ!」そう思った。

そしてそのパフォーマンスを自分なりにアレンジしたものを編み出した。

【スパイダーマンのコスチュームを着て静止するパフォーマンス】

これがまさかの大ヒットした。
世界共通のスパイダーマンを着たことによって、外国人に大ウケしたのだ。

その日から僕の職業は【路上パフォーマー】となった。

【世界中を混乱させたコロナの登場】

路上パフォーマーになった僕はウハウハだった。

なんせ1時間に集まるお金が安定して7000円前後だったのだ。
1日に3万前後は稼いでいた。

「キターーーーー」マジで心の中で叫んでいた。

永遠にパチンコ台が当たってる状態に等しい。

そんな生活を3年ほど続け、海外進出も果たした。

韓国でも稼げたし、台湾でも稼げた。何故かパリだけは稼げなかったが(笑)
実際は台湾とパリで試したのは僕の友達で、僕は韓国で試した。

海外でもある程度稼げる事が分かったので、僕はもう最強になった気分だった。

ずっと夢だった【世界を旅する事】も叶うと確信した。

しかも誰にも縛られないし、好きな時に出来る。
1日4.5時間やれば3万前後は稼げるので時間もある!

もう成功者のような気分だった。一生これで食っていけると思った。
そして現にこれで3年間生きていけた。その時にはもう26歳になっていた。

そんなウハウハの僕にまたもや神様のイタズラが…。

【コロナ時代の到来】

これによって外国人は日本に来なくなり、緊急事態宣言発令。街から人が消えた。

「…終わった。」

またもや天国から地獄へと落ちた瞬間だった。

街に人がいないのだ。
そんな中パフォーマンスをしても意味がない。
魚のいない海に釣り竿を投げているようなもんだ。

それでもコロナが少し落ち着き、街に少しは人が戻った時にパフォーマンスをしてみたこともあった。

少しは稼げたがコロナの前から比べたら半分以下に減っていた。

「どうすれば良いんだ…」

またもやこのサイクルにハマった。
そう思いながらもなんとか少ないながらも稼いで食いつないでいく。

今までは4.5時間パフォーマンスすれば3万前後稼げていたのにも関わらず、その時は7時間ぐらいやってやっと1万ちょっとだった。

そんな状態の中突然だが、僕はなんと結婚したのだった。

当時4歳の女の子を持つシングルマザーの女性と結婚をし、突然1人の娘の親父になった。
そしてその後に僕と妻との間の子供も授かり、とんとん拍子で僕は2児の親父になった。

親父の職業「路上パフォーマー」

これはヤバいと思った。
稼げていればまだしも、稼げない路上パフォーマーだ。

それでも何も思い浮かばない僕は、とりあえず路上に毎日立ち続けて、コロナで少なくなったチップをかき集め家族をなんとか養っていた。

冒頭にも書いたように色んな人に助けられまくった。

周りからの出産祝いに助けられた。

そして日用品費+食費を月3.5万でやりくりしてくれた妻にも助けられた。

赤ちゃんの服などを出来るだけ安く買える方法も探した。

この状況を知っている僕の母親はよく食べ物を持ってきてくれた。

そんな状況に焦った。
「ヤバいヤバいヤバい…なんとかしないと」

そう思えば思うほど焦っていく。だがしかしヤバイと思っても何かが変わる訳でもない。誰かが手を差し伸べてくれるわけでもない。

"就職"

この2文字が頭によぎった。

「絶対に嫌だ。ここまできたのに今更就職なんて。しかも履歴書になんて書けばいいんだ。」

僕が書ける履歴書はこうだ。

居酒屋キャッチ

ネットワークビジネス

派遣バイター

路上パフォーマー

「…無理だ。」

他に違う道を探すしかないと思った。

そしてもう一度自分に問いかけた。

「俺はどんな人生を送りたいんだ!?」

そうして出した答え。

・家族や仲間と世界中を旅して周りたい。
・面白いと思うこと思いついた時に出来る自分になりたい。

この2つが僕の今描く理想の人生だった。

その為に何が必要かを本気で考えた。

「いつでもどこでもお金も時間も生み出せるスキルを身に付ける」

この状態を作るべきだと思った。

そして自分が今までなんで失敗したのかを今更ながら振り返った。

その結果、「ノリでしか生きていないからだ」という結論に辿り着いた。

人生を切り拓けた理由もノリで動けたからだ。

だけど

人生で失敗したのはノリでしか動かなかったからだ。

ちゃんと考えていなかった。
だからもっと本気で考えないとダメだと思った。

だから僕は考えた。
【いつでもどこでもお金も時間も生み出せるスキルを身に付ける】

これをどうすれば成し遂げるのかを考え尽くした。

【半年で大逆転】

【いつでもどこでもお金も時間も生み出せるスキルを身に付ける】
まずはこれをを叶えれる手段を探そうと思った。

その日から空いてる時間はTwitterやYouTubeでその手段を探しまくった。そしたら色々出てきた。

・動画編集
・WEBデザイナー
・アフィリエイト
・投資
・ブロガー
・プログラミング

色々出てきたが、どれもピンとこなかった。
唯一興味を持てたのは動画編集だ。

だから働きながら動画編集を学べないか探した。
すると一つ良い感じのバイト募集を見つけた。

「動画編集のスキルをつけたい人必見、月給20万円!」

これはチャンスだと思い、即面接に向かった。

すると…

「土日勤務で平日は自分で動画編集を勉強して!それで月の報酬2万円!これでも大丈夫か?」

と言われた。

「…!?大丈夫な訳ねーやろ…。」

どうやら未経験者はこの待遇らしい…。

この時に気付いた。
どうやらこの手のスキルは長い間下積み時代が必要で、その後にやっと稼げる仕事なんだと。

「これじゃない」僕が求めてるものではなかった。

しかもスキルをつけたとしても、フリーランスとしてやるとなると【集客】を自分でしないといけない。

それだったらまた不安定になる可能性があると思った。

もっと安定的に稼げて、尚且つ早く成果の出せるものはないのか…。
そう思いまた調べまくった。

その結果一つの答えに辿り着いた。

それが【せどり】だった。

せどりとは「安く買って、高く売る。」商売の基本だ。

しかも売る時にみんなが使っていたのは「メルカリ、ヤフオク、アマゾン」などだった。

つまり【集客はしなくていい】ということに気付いた。

「って事は…ちゃんと利益の出る商品を仕入れる事さえ出来ればお金を稼げるんや!その知識さえあれば勝てるんや!」

そう思った。

せどりをやろう!という事はその時に決めた。
ただせどりを調べれば調べるほどたくさん出てきた。

・パソコンやスマホを治して売るせどり
・中国から仕入れてAmazonなどで売るせどり
・家電製品を扱うせどり

何を基準に選べばいいか迷ったが、もう一度自分の目的に立ち返った。

【いつでもどこでもお金も時間も生み出せるスキルを身に付ける】

どのせどりでもお金を生み出せるのは分かった。
ただ時間も生み出したかったんだ。

そこで考えた。結局物が何であれ、仕入れて売るということに変わりはない。

だったら1個あたりの利益額が大きいほうが、同じ作業をするのなら【時間】が出来るんじゃないか?と考えた。

そこから利益額が大きいせどりを探した。
その結果辿り着いたのが【アパレル・ブランドせどり】だった。

アパレル・ブランドせどりを調べば調べるほどこう思った。

「もしかしたら俺の求めているのはこれかもしれない。」

YouTubeでアパレル・ブランドせどりについて発信しているYouTubeチャンネルがあったので、そのチャンネルを食いつくように全部見まくって学びまくった。

そして一回独学でやってみようと思い、店舗仕入れにいってみると一商品だけ自分が知っているブランドがあって、仕入れてみたら5000円の利益が出た。

「なるほど、この世界は"知っているか知っていないか"だけなんやな」

そう思い知識さえあれば【誰でも】勝てるんだという事を改めて実感した。

ただそのあとは何回店舗に行っても仕入れられなかった。

だけどYouTubeで発信しているアパレル・ブランドせどらーの方は1日で20万とかの利益を出している。
見ているとその方達の知識量は半端がなかった。

【知識の差】

これを痛いほど思い知らされた。

ただ、もし仮に自分もこの人達のように【知識さえ】身につければ、自分の求めてる人生が手に入るかもしれないと思った。

全国どこにでも店舗はあるのでどこでも仕入れは出来る。尚且つ1日に20万とかの利益を出せれば時間も出来る。

その為の道のりは2つあった。
・独学で取り組む道のり
・教えてもらって取り組む道のり

独学であればコンサル費などはかからない。だけど時間が物凄くかかるなと思った。
逆にコンサルに入って教えてもらえば、お金はかかるがその分早くスキルを身につけれると思った。

「早く今の現状から抜け出したい。そして早く自分の理想の人生を手に入れたい。」

そう思っていた僕は勇気を振り絞り、問い合わせをした。

「アパレル・ブランドせどりに興味があります。」

そして色々と説明して頂いた結果。

「学ぶなら絶対ここだ!」とコンサルに加入する事を決意した。

【アパレル・ブランドせどりのコンサル入会後】

コンサル加入後は、思っていた以上に質の高いサポートが用意されており、かなり驚いた。

最初にコンテンツサイトを見まくってアパレル・ブランドせどりの基礎を学んだ。

それから仕入れをするってなった時も、仕入れをする前に仕入れ相談ができるので、素人からでも負ける事がなかった。

知れば知るほどこのせどりは本当に素晴らしいビジネスだなと思った。

何故ならアパレル・ブランドせどりの真髄は【集客いらず、後出しジャンケン、飽和しない】ということだ。

どういうことかというと、僕らアパレル・ブランドせどらはー、仕入れた時点で利益が出ることが確定しており、それが売れ残ることもなく、しかも市場規模がとてつもなく大きいので、それを繰り返し繰り返しやり続けれる。ということだ。

そう、世の中には皆さんが知らないだけで、実は仕入れる事さえ出来れば儲けれる物というのは世の中にわんさかある。

その【知識】さえあれば、こんなにも失敗ばかりの僕でも稼ぐ事ができたんだ。

そのおかげもあって、2021年4月20日にコンサルに加入した僕はドンドン成果をあげていった。

5月 利益16万
6月 利益53万
7月 利益116万
8月 利益71万
9月 利益100万
10月 利益250万

このように自分でもビックリするぐらい成果が上がっていった。
独自の販売方法を駆使し、仕入れてから売れるまで約1週間なので、抱える在庫も限りなく少ない状態で出来た。

尚且つ今は仕入れ以外を外注できているので、1日4.5時間程の稼働でこれだけの成果を上げることに成功している。

そしてこの理想も叶える事が出来た。
【いつでもどこでもお金も時間も生み出せるスキルを身に付ける】

叶えれたおかげで、家族と色んなところにいけるようになったし、お金が貯まってきた事によってこれからやりたい事にもドンドン近付いていっている。

あの時本気で考えてなければ…
あの時せどりを知らなければ…
あの時コンサルに入っていなければ…

そう思うとすごく怖くなる。
おそらく一つでも決断を間違えていたら半年前の自分と何も変わっていなかっただろう。

本当にあの時決断した自分を褒めてやりたい。

【最後に】


正直半年前の自分は今の自分を全く想像出来ていなかった。

たまに夢なんじゃないか?と思う事さえある。

だけど実際にここまでこれた。

7年間色んなことに挑戦して失敗しまくっていた僕でもなんとかここまでこれた。

僕が手にしたスキルは【この世に物がある限り】一生使えるスキルだ。

「…長かった。だけどやっと、やっとここまでこれた。」

この7年間で上手く行くために大切だと分かったこと。

それは【正しい努力の継続】これに限る。

僕もずっと何もやらなかった訳ではなく、むしろ色々挑戦してきた。頑張ってきた。本当に頑張ってきた。
だけどずっと上手くいかなかった。

それは今思えば正しい努力をしていなかったんだと思う。
努力をしても、間違った努力をしていたら残酷だが上手くいかないのだ。

だが【正しい努力】をやり続けた結果、僕は半年で大逆転する事できた。

最後にもし昔の自分に会えたとしたらこれだけは伝えたい。
最後にこのメッセージを昔の自分に届けて終わりにします。


「やあ、今どんな人生をお前は送ってるんや?
楽しいか?それとも苦しいか?

もし上手くいってなかったとしてもお前は大丈夫や。
だってお前は頑張ってるやろ?頑張っていないわけじゃないんや。
ずっとずっと悩んでもがき続けてるやろ?
悩んでるって事はまだ諦めていないってことや。

毎日頑張って仕事をして、頑張って生きてるやろ?
大丈夫、そのまま諦めるな!!

絶対に道は切り開けるんやぞ!理想を叶える事を諦めるなよ!
ただ失敗を失敗のままで終わらすな!ちゃんと考えろ!
失敗を活かして頑張り続ければ絶対に辿り着けるからな!

どんだけどん底に落ちてもどんだけ上手くいかなくても、こっから這い上がってやれ!!
俺はお前がここまで来るのを待ってるからな!」

終わり。

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